安倍清成
安倍 清成(あべ の きよなり)は、奈良時代の貴族。氏は阿倍、名は浄成とも記される。従四位下・阿倍安麻呂の孫で、従五位下・阿倍豊継の子とする系図がある[1]。官位は正五位上・員外右中弁。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 氏:阿倍、名:浄成 |
官位 | 正五位上員外右中弁 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:阿倍豊継 |
兄弟 | 清成、清継 |
経歴 編集
天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に行われた叙位にて従五位下に叙爵。称徳朝では鋳銭長官・右中弁・造宮大輔といった京官を歴任し、神護景雲2年(768年)鋳銭長官として公務に精励していることを賞せられて、次官・多治比乙安とともに昇叙され、清成は従五位上に叙せられている。
官歴 編集
『続日本紀』による。
脚注 編集
- ^ 宝賀[1986: 374]