安川塾(やすかわじゅく)は、安川内蔵之助が1811年(文化8年)に、下総国葛飾郡藤原新田村(現在の千葉県船橋市藤原)に開いた寺子屋である[1]安川舎とも呼ばれた[1]1872年(明治5年)明治政府学制を交付し、柏井小(現在の船橋市立法典小学校)が誕生するまでの62年間で、32村896人が入塾した[1]。非嫡男の入塾者が293名[1]、女性の入門者も62名確認できる[1]。入学年齢は7歳から15歳と幅広いが、9歳から入門するものが多かった[1]

塾長は安川家の当主が代々勤め、初球の読書習字算術から、中級の四書五経国史日本外史史記左伝まで教えていたという[1]

歴代塾長 編集

  • 第1代:安川内蔵之助[1]
  • 第3代:安川新右衛門[1]
  • 第4代:安川栄之助[1]
  • 第5代:安川新作[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 石山秀和「江戸近郊農村にみる手習塾の門人と家族 : 門人帳の分析を中心に」『立正大学人文科学研究所年報』第38巻、立正大学人文科学研究所、2001年3月、25-37頁。 

参考文献 編集

  • 『船橋市史研究1号』船橋市における寺子屋・私塾の発達より。

関連項目 編集