法典村

日本の千葉県東葛飾郡にあった村

法典村(ほうでんむら)は、千葉県東葛飾郡にかつて存在した。現在の船橋市の北西部の地域にあたる。

ほうでんむら
法典村
廃止日 1937年4月1日
廃止理由 新設合併
船橋町葛飾町八栄村法典村塚田村船橋市
現在の自治体 船橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.35 km2
隣接自治体 市川市、東葛飾郡葛飾町、塚田村、八栄村、大柏村鎌ケ谷村
法典村役場
所在地 千葉県東葛飾郡法典村
座標 北緯35度44分25秒 東経139度59分15秒 / 北緯35.74028度 東経139.98758度 / 35.74028; 139.98758座標: 北緯35度44分25秒 東経139度59分15秒 / 北緯35.74028度 東経139.98758度 / 35.74028; 139.98758
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概要 編集

法典村は、1889年(明治22年)に藤原新田、上山新田、丸山新田の3村[1]が合併して成立した。なお、村立の際、当初は藤原等の3村は前貝塚等3村(塚田村)も加えた大きな村を組織する計画であったが、種々問題があって実現せず、成立事情を同じくする藤原、上山、丸山だけで法典村を組織したという。法典村は、1937年(昭和12年)の船橋市誕生に伴い自治体として消滅した。

村名の由来 編集

村名となった「法典」名称の由来については、『千葉県町村合併史』に「藤原新田、丸山新田等の諸村は法典と総称され、近隣に通じているのでそれに由った」と記されているが、江戸時代の古文書類に「法典」の名称が見えないこともあり、この仏教的な言葉が、なぜ村名に採用されたのかはっきりとわかっていない。ただ上山地区にある字の「法伝」は、かつては藤原の一部まで指していたと思われ、それが字を変えて新村名に採用された蓋然性はある。

人物 編集

歴代村長
  • 初代 鈴木清 - 明治22年6月〜明治10年9月
  • 第2代 高橋彌五郎 - 明治10年10月〜明治16年4月
  • 第3代 安川一 - 明治13年5月〜明治14年5月
  • 第4代 吉橋政次郎 - 明治14年5月〜明治18年5月
  • 第5代 安川尚三 - 明治42年8月〜大正2年9月
  • 第6代 鈴木清 - 大正3年3月〜大正15年7月
  • 第7代 安川尚三 - 大正5年3月〜大正7年3月
  • 第8代 吉橋政次郎 - 大正7年6月〜大正7年11月
  • 第9代 武藤三郎 - 大正7年11月〜大正11年11月
  • 第10代 大野三郎 - 大正11年3月〜
村議会議員

交通 編集

鉄道路線 編集

旧法典村の区域内に東武野田線(法典村が存在していた当時は北総鉄道および総武鉄道)馬込沢駅があり、開業当初は「法典駅」を名乗っていた。合併後の1978年昭和53年)、区域内に国鉄(現・JR東日本武蔵野線船橋法典駅が開業した。
なお、旧法典村の読みは「ほうでんむら」だが、船橋法典駅の読みは「ふなばしほうてんえき」である。

主な道路 編集

注釈 編集

  1. ^ 藤原新田、上山新田、丸山新田の3村はいずれも、江戸時代の延宝3年(1675年)に成立した新田部落である。3村の土地は、開墾以前は幕府の小金牧の一部であったが、幕府が年貢量を増やすことと、人口増加に対応するため、開墾を許可したという。

参考文献 編集

  • 「ふるさとの地名」船橋市の地名を探る(船橋市史談会)

関連項目 編集