宗形 深津(むなかた の ふかつ、生年没不詳)は奈良時代宗像地方(現在の福岡県宗像市)の豪族。朝臣。官位は従五位下宗形郡大領。名を保津とする写本もある。

記録 編集

天平神護3年(767年)、僧侶寿応の勧誘により、金埼船瀬(現在の福岡県宗像郡玄海町鐘崎に存在した)を造った功績により、外従六位下から外従五位下に昇叙されている。この時、妻の竹生王も無位から従五位下に叙せられている[1]

宗像大社の神主でもあった。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本紀』天平神護3年8月4日条

参考文献 編集


関連項目 編集