尊勝院 (古河市)

古河市にある寺院

尊勝院(そんしょういん)は、茨城県古河市本町(二丁目)にある真言宗豊山派の寺院。山号を明王山、寺号を安楽寺、院号を尊勝院という[1]古河公方ゆかりの寺院である。

尊勝院
所在地 茨城県古河市本町1-4-26
位置 北緯36度11分50.8秒 東経139度42分23.0秒 / 北緯36.197444度 東経139.706389度 / 36.197444; 139.706389座標: 北緯36度11分50.8秒 東経139度42分23.0秒 / 北緯36.197444度 東経139.706389度 / 36.197444; 139.706389
山号 明王山
院号 尊勝院
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 不明・嘉元年間(1303年 – )か
開山 不明
開基 不明
正式名 明王山安樂寺尊勝院
文化財 足利義氏充行状(市指定・古文書
法人番号 1050005005682 ウィキデータを編集
尊勝院 (古河市)の位置(茨城県内)
尊勝院 (古河市)
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歴史 編集

当寺の縁起によれば、足利尊氏の父・貞氏不動明王を篤く信仰し、その甲斐があって尊氏が生まれたので、不動明王を安置する不動堂を建てたことに始まる。したがって、もとは鎌倉にあったが、享徳年間(1452年 – )、初代古河公方足利成氏にしたがって古河に移転した。

明応年間(1764年 – )、火災のため、寺の記録・寺宝を失っている。

明治初年の廃仏毀釈の際には、住職・順盛が廃仏を逃れるよう祈願し、亡くなるまで塩を断っていたという。順盛は野木町満願寺境内にある塩断地蔵尊の石仏として祀られている。『明治三 庚午年 より御布告 寺役日誌』によれば、鍛冶町の一乗院、一丁目の正蔵院、天神町の地福院、大堤の正福寺が廃仏毀釈により消滅し、尊勝院に吸収されている[2] [1]

なお、明治5年(1872年)、明治政府により「学制」が頒布された際には一時期、本寺を仮校舎として町民のための小学校「市街校」が設けられていた[3]

境内 編集

現在、本堂のほかに、雨引観音堂、不動堂、石仏大日如来像(寛文12年(1672年)造立)などがある。[1] 不動堂には絵馬が納められており、不動明王(慶応4年)、向い天狗元治元年)、不動明王が持つ剣・不動剣(文化六年)、神社参詣図、常盤御前都落ちの図(元治元年)などがある[4]

文化財 編集

  • 足利義氏充行状:第5代古河公方足利義氏が、武州・品川の領地30のうち2人扶持分を与えるとした充行(あてがい)状が残されている。本文書では、義氏の上意を奉じた人物名は「瑞雲院」となっているが、これは古河にあった寺院・芳春院(のちに徳源院と改名)の住持を務めた季竜周興と同一人物である。古河市指定文化財(古文書)[5]

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 『古河市史 民俗編』824 – 825頁(尊勝院)
  2. ^ 『古河市史通史編』192頁(尊勝院)
  3. ^ 『古河市史通史編』621-627頁(近代学校の設立)
  4. ^ 『古河市史 民俗編』858-859頁、867頁、871-872頁
  5. ^ 『古河市の文化財』48頁

参考文献 編集

  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
  • 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年