小槻千宣

鎌倉時代の官人

小槻 千宣(おづき の ちのぶ、生年不詳 - 元享3年〈1323年〉)は、鎌倉時代官人左大史小槻統良の子。官位正五位上・左大史。

経歴 編集

正安2年(1300年)父の小槻統良出家しまもなく没するが、千宣は若年であったためか大夫史を継ぐことはできず、大宮流小槻伊綱が単独で大夫史の地位を占めた。

千宣は主殿頭などを経て、延慶4年(1311年)ごろ左大史に任ぜられて、大夫史は壬生(千宣)・大宮(伊綱)両流による2人体制となる。正和5年(1316年)伊綱が没したため、千宣が官務(左大史上首)となり単独の大夫史となった。文保元年(1317年)正五位上に叙せられ、能登介を兼ねたほか、修理東大寺大仏長官・記録所奉行も務めている。

元応元年(1319年)大宮流の小槻冬直が左大史に任ぜられ、再び大夫史は2人体制となる。元享2年(1322年)冬直に官務・氏長者の地位を譲り、翌元享3年(1323年卒去した。なお、この年に子息の匡遠が大夫史に任ぜられている。

官歴 編集

系譜 編集

系図纂要』による。

  • 父:小槻統良
  • 母:倫有の子
  • 生母不詳の子女
    • 男子:小槻匡遠
    • 男子:小槻興緒
    • 男子:小槻兼郷

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『地下家伝』
  2. ^ 『大外記師右記』
  3. ^ 『花薗天皇宸記』
  4. ^ 『神護寺文書略』
  5. ^ 『壬生家文書』33

参考文献 編集