小西 一男(こにし かずお、1955年9月30日 - )は日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属の調教師、元騎手である。

小西一男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
生年月日 (1955-09-30) 1955年9月30日(68歳)
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 柴田欣也(1974 - 1980)
小西登(1980 - 1983)
フリー(1983 - 引退)
初免許年 1974年
免許区分 平地
騎手引退日 1989年12月31日
通算勝利 1362戦92勝
調教師情報
初免許年 1990年(1991年開業)
経歴
所属 美浦トレーニングセンター
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父は元騎手の小西登。娘は自厩舎に所属していた騎手であった田辺裕信のバレットを務めている小西由紀

来歴 編集

1955年9月、中山競馬場岩佐宗五郎厩舎の騎手である小西登の嫡男として出生。中山で生まれ育ち、幼少時より馬に近い環境にいた一男は「馬世界の外で生きることは考えもつかなかった」と後に語る。

父登は太平洋戦争末期の1944年に騎手デビューするも、兵役などのため実働わずか1年あまり、通算66戦0勝という成績に終わっており[1]現役未勝利だった自分の代わりに一男がレースで躍動することを望み、息子の騎手願望に対し反対はまったくしなかったという。のちに登は一男の騎手デビューに発奮し1977年に調教師免許を取得し厩舎を開業、自らの要望により一男を自厩舎に所属させた時期もあり、1982年には管理馬だったタケデンフドーに一男を騎乗させ、東京優駿への出場も果たしている。

馬事公苑長期養成課程を経て1974年3月一男は騎手デビューを果たす。1度試験に落ち、2度目での騎手合格であった。なお同期騎手として根本康広加藤和宏木藤隆行池添兼雄佐々木晶三などがいる。

デビュー1週間後に初勝利をあげ、父登が手にできなかった勝ち鞍を手にした一男であるが、重賞勝利などの特筆すべき実績を挙げるには至らず、騎手として大成できなかったのは「環境云々以前に自分に適性がなかった」と述べ、16年間で1362戦92勝という成績に終わり、調教師免許取得に伴い1989年12月をもって現役を引退している。

4度目の挑戦で調教師免許に合格した一男は1991年3月、定年退職した鈴木勝太郎厩舎を継ぐ形で美浦に開業。3月2日に初出走、同年6月23日に初勝利を挙げる。1994年管理馬から重賞ホルダー、GI出走馬を輩出。この他1990年代には中央・地方双方で活躍馬を擁し、1993年から2010年にかけ毎年2桁勝利を維持し続けている。

騎手成績 編集

日付 競走名 競馬場 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1974年3月2日 アラブ4歳未勝利 中山 ヒシリキス 7 - 6着
初勝利 1974年3月10日 アラブ4歳未勝利 中山 ヒシリキス - - 1着
重賞初騎乗 1974年6月16日 セイユウ記念 中山 ヒシリキス 15頭 6 3着
GI級初騎乗 1982年4月18日 皐月賞 中山 タケデンフドー 20頭 14 4着
  • 通算1362戦92勝

調教師成績 編集

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1991年3月2日 2回中山3日2R 4歳未勝利 ミニヨン 16頭 11 11着
初勝利 1991年6月23日 1回福島4日3R 4歳未勝利 サロマブルー 10頭 2 1着
重賞初出走 1994年2月19日 1回東京7日11R フェブラリーS トモエボンバー 16頭 9 7着
重賞初勝利 1994年11月12日 5回東京3日11R 京成杯3歳S ゴーゴーナカヤマ 11頭 2 1着
GI初出走 1994年5月22日 3回東京2日10R 優駿牝馬 マイネマジック 18頭 12 5着

主な管理馬 編集

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

脚注・参考文献 編集

  1. ^ JRA・小西登プロフィール
  2. ^ ペイシャエス”. www.jbis.or.jp. 2022年12月8日閲覧。

関連項目 編集