小野千株

平安時代初期から前期にかけての貴族

小野 千株(おの の ちかぶ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族官位従五位上播磨守

 
小野千株
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上播磨守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 小野氏
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経歴 編集

天長10年(833年従五位下叙爵し、翌承和元年(834年尾張介に任ぜられる。その後も、備中守出羽守土佐守仁明朝において地方官を歴任した。嘉祥3年(850年)3月に仁明天皇が崩御した際に、少納言・県犬養氏河と共に鈴印の櫃の守護を担当する[1]。またその初七日に際して功徳を修めるために近陵7ヶ所の寺院に遣使が行われた際、紀伊寺使を務めている[2]

文徳朝に入り同年4月に右近衛少将に任ぜられ、翌嘉祥4年(851年)従五位上に叙せられる。しかし、仁寿4年(854年備前守に転じ、文徳朝後半は再び地方官を務めた。

その後散位となり、清和朝の貞観2年(860年)正月に内匠頭に補任されて京官に復すが、同年6月播磨守となり三度地方官に転じている。

官歴 編集

六国史』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本後紀』嘉祥3年3月21日条
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年3月27日条

参考文献 編集