尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日[1] - 2009年3月26日)は、日本国文学者成城大学名誉教授。専門は近世文学、特に俳諧

尾形 仂おがた つとむ
人物情報
生誕 (1920-01-28) 1920年1月28日
日本の旗 日本東京都
死没 2009年3月26日(2009-03-26)(89歳)
出身校 東京文理科大学
学問
研究分野 国文学(近世文学)
研究機関 成城大学
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経歴 編集

東京府東京市生まれ[1]。1941年、東京高等師範学校文科第二部卒業[1]1943年東京文理科大学文学科国語国文学専攻を卒業[1]。在学中は能勢朝次山岸徳平に師事し、潁原退蔵の指導を受けた[1]。同年、海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊[1]

1945年、東京大空襲で家族全員を失い、終戦を迎える[1]。会社勤めを経て、1955年東京教育大学文学部助教授に就任[1]。1975年、同教授[1]。1977年、東京教育大学閉学に伴い退官[1]成城大学教授[1]。1990年、同大学を退職[1]

研究内容・業績 編集

近世文学、特に俳諧を専門とした。主な著書は『座の文学』[2]で、下記のとおり多数の著書がある。

芭蕉・蕪村研究等を引き継ぎ、『おくのほそ道』(潁原退蔵 共訳注 1967)(角川ソフィア文庫で新版 2003)を始めとする多くの書籍を出し、『蕪村全集』(講談社全9巻 1992.5-2009.9)の監修を行った。また岳父でもある潁原退蔵が作成した語彙カードを弟子たちと共に長年かけて編集し、遺稿が結実:『江戸時代語辞典』(角川学芸出版)として、没する直前の2008年(平成20年)11月に刊行、2009年11月に第63回毎日出版文化賞を受賞[3]

受賞 編集

家族・親族 編集

  • 妻:国文学者潁原退蔵の次女雅子[1]。潁原の没後、お悔やみの書簡を出した事がきっかけで結婚した。

著作 編集

校注・編纂 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 鷗外の歴史小説の評価に関して、作家大岡昇平との間で論争になっている。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「尾形仂教授略歴・編著作目録」『成城国文学論集』第20巻、成城大学、1990年3月、332-335頁。 
  2. ^ 大岡信・解説より (1997年). “内容紹介”. 講談社学術文庫. 2023年9月21日閲覧。
  3. ^ 講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus『尾形仂』 - コトバンク