岩本博行(いわもと ひろゆき、1913年大正2年)11月4日 - 1991年平成3年)10月29日)は、日本建築家竹中工務店常務。

来歴 編集

大阪府に生まれる(出身地は岡山県勝田郡奈義町[1])。

1932年(昭和7年)、大阪市立都島工業学校建築科を卒業し、竹中工務店に入る[1]

竹中入社後に小林三造に指導を受ける[2]。日本建築素材の色彩を用いて統一感を与えることを持論とし、職人(大工・棟梁)の伝統を受け継ぐ人物と目された[1][2]

九州支店設計部長(1959年)、大阪本店設計部長(1962年)、取締役技師長(1968年)を経て、1972年に常務取締役に就任した[2]

竹中工務店の創立80周年記念事業の「竹中大工道具館」創設(1984年)にも関与した[1]

代表作 編集

1963年実施の建築競技で1等入選した国立劇場などを手がける。

その他に「天神ビル(1960年)」「神戸関電ビル(1964年)」、「神戸オリエンタルホテル(1964年)」 [2]、「御堂ビル(1965年)[3][4]」など。

寄稿文 編集

  • 「私の伝統論」『国際建築』1964年11月号[1]
  • 「建築一般構造」『森北建築学全書〈11〉』1970年(吉木寿と連名)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 岩本博行 - 『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、コトバンク
  2. ^ a b c d 岩本博行 IWAMOTO Hiroyuki - 竹中工務店
  3. ^ 御堂ビル (PDF)
  4. ^ 御堂ビル (PDF) - 大阪市

参考文献 編集

  • 石田潤一郎+歴史調査WG『16人の建築家 竹中工務店設計部の源流』井上書院
  • 『建築評論』2~6号 建築評論社、1972年