張益 (永楽進士)

永楽進士

張 益(ちょう えき、1395年 - 1449年)は、明代官僚は士謙、は惷庵。本貫応天府江寧県

生涯 編集

1415年永楽13年)、進士に及第し、翰林院庶吉士に任じられた。中書舎人となり、大理寺評事に転じた。『宣宗実録』の編纂に参与し、完成すると翰林院修撰となった。博学強記で、詩文にすぐれ、楊栄楊士奇楊溥らに重んじられた。1448年正統13年)6月、侍読学士に進んだ[1]1449年正統14年)5月、文淵閣に宿直し、国政の機密に参与した[2]。7月、オイラトエセン・ハーンが明に侵攻してくると、英宗宦官王振にたきつけられて親征し、張益は曹鼐とともに閣臣としてこれに扈従した。8月、張益は土木の変で難に遭って死去した。享年は55。景泰帝が即位すると、翰林院学士の位を追贈された。は文僖といった。

脚注 編集

  1. ^ 談遷国榷』巻27
  2. ^ 明史』英宗前紀

参考文献 編集

  • 明史』巻167 列伝第55
  • 大明故翰林院侍読学士贈学士謚文僖張公合葬墓誌銘(倪岳『青渓漫稿』巻22所収)