恵光寺快川

日本・戦国時代の武将

恵光寺 快川(えこうじ かいせん、生年不詳 - 天正3年(1575年))は、戦国時代武将

高森領主・恵光寺武田家。高森恵光寺快川。東郷の戦国史跡の会が設置した墓石付近の案内板では、「主従全て戦死ともいう謎の武田武将」と説明書きがされている。

略歴 編集

武田信重の5世の孫で、恵光寺宗賢の子と推定される。天正3年(1575年長篠の戦いの戦いで討死した[1]

織田信長首実検の中に名が見られる。墓所は新城市八束穂

参考文献 編集

  • 『長篠戦後四百年史』(新城市教育委員会 、1975年、33p)

脚注 編集