敬侯(けいこう、? - 紀元前375年)は、戦国時代君主。名は章。子に成侯

敬侯
王朝
在位期間 前387年 - 前375年
姓・諱 趙章
生年 不詳
没年 前375年
列侯

生涯 編集

列侯の子。紀元前387年、叔父の武公が死去すると、敬侯は趙の国人の支持を得て即位した。紀元前386年、武公の子の趙朝が反乱を起こしたが、趙朝は敗れてに亡命した。敬侯は邯鄲(現在の河北省邯鄲市)に都を置いた。

紀元前385年軍を霊丘で破った。紀元前384年、斉が魏を攻撃すると、敬侯は魏軍を救援するために出兵し、廩丘で斉軍を撃破した。紀元前383年、魏軍に兎台で敗れた。剛平に築城してに侵攻する準備をした。紀元前382年、斉と魏の軍が衛のために趙に進攻し、剛平の城を奪った。紀元前381年、敬侯はの兵を借りて魏を攻撃し、棘蒲の城を攻略した。紀元前379年、魏の黄城を攻め落とした。紀元前378年、斉がに進攻すると、敬侯は燕の救援のために軍を派遣した。紀元前376年、魏やと共同でを滅ぼし、その領土を分割した。

紀元前375年に死去した。

参考文献 編集

先代
武公
の王
第4代:前387年 - 前375年
次代
成侯