新潟県立村松高等学校

日本の新潟県五泉市にある県立高等学校

新潟県立村松高等学校(にいがたけんりつ むらまつこうとうがっこう)は、新潟県五泉市村松に所在する県立高等学校。通称は「松高」(まつこう)。

新潟県立村松高等学校
地図北緯37度41分16秒 東経139度10分54.7秒 / 北緯37.68778度 東経139.181861度 / 37.68778; 139.181861座標: 北緯37度41分16秒 東経139度10分54.7秒 / 北緯37.68778度 東経139.181861度 / 37.68778; 139.181861
過去の名称 新潟縣立新発田中學校村松分校
新潟縣立村松中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 新潟県
併合学校 新潟県立村松女子高等学校
設立年月日 1911年4月25日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D115221800026 ウィキデータを編集
高校コード 15133F
所在地 959-1704
新潟県五泉市村松甲5545-2
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

1911年、旧制村松中学校として開校。

煉瓦造りの正門は、本校創立以前の1903年に、新潟県立工業学校時代に建築されたものである。門柱の煉瓦の組積法が大きい方の2本はイギリス積み、小さい方の1本はフランス積みと積み方が異なる点が珍しい。前庭の赤松と共に本校を代表する象徴として親しまれており、登録有形文化財に登録されている[1]

沿革 編集

経緯 編集

1911年旧制新潟県立村松中学校として創立した。一時新発田中学校(現新潟県立新発田高等学校)の分校となるが、すぐに再び独立。戦後の学制改革により新潟県立村松高等学校となった。一方1915年に開校した村松町立女子工芸学校は、1921年には町立実科高等女学校となり、戦後の学制改革で町立村松女子高等学校となったが、1949年に村松高校に併合された。なお村松中学の設立以前、村松町には新潟県立工業学校があったが、これは1911年長岡へ移転した(現新潟県立長岡工業高等学校)伝統校である。

年表 編集

村松高等学校 編集

村松女子高等学校 編集

  • 1915年 - 村松町立女子工芸学校として開校。
  • 1921年 - 村松町立実科高等女学校となる。
  • 1922年 - 村松町立村松高等女学校となる。
  • 1948年 - 学制改革により村松町立村松女子高等学校となる。
  • 1949年3月31日 - 県立村松高等学校に合併して閉校。

校歌 編集

一、 普く照らす天つ日の 光を浴びて年々に 伸びてしやまぬ若松の ときわの志操いや堅き 学徒われらの在るところ 明朗の和気みなぎれり

二、 見よ質実に清純に 進取の生気湧き溢れ 文化の花の咲くところ 希望は常に輝ける 道に我らを進ましむ 努めなんいざもろともに

交通 編集

学校行事 編集

部活動 編集

運動部 編集

1953年35回夏の新潟大会、優勝。(信越大会で松商学園に敗れ甲子園不出場。)
1965年47回夏の新潟大会、ベスト4
1974年51回秋の新潟大会、ベスト4
1976年54回春の新潟大会、準優勝。
1980年63回秋の新潟大会、ベスト4
2006年春の新潟大会では準優勝となり、30年ぶりに北信越大会出場。夏の第88回全国高等学校野球選手権新潟大会では実に41年ぶりのベスト4入りを果たして地元を大いに沸かせた。

文化部 編集

同好会 編集

著名な出身者 編集

脚注 編集

  1. ^ 新潟県立村松高等学校(旧新潟県立工業学校)正門 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ ふれあいバス(基幹バス)”. 五泉市. 2019年9月17日閲覧。

関連書籍 編集

  • 新潟県高校野球熱戦譜―新潟県高等学校野球連盟創立50周年記念

ベースボールマガジン社

関連目次

昭和28年 

郡部の高校が初めて制した夏の大会―新潟南高校‐村松高校

ISBN 4583034091

関連項目 編集

外部リンク 編集