月野木 正雄(つきのき まさお、1888年明治21年)11月17日[1] - 1972年昭和47年)4月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

月野木 正雄
生誕 1888年11月17日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (1972-04-15) 1972年4月15日(83歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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経歴 編集

1888年(明治21年)に鹿児島県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1936年(昭和11年)8月に独立山砲兵第3連隊長に就任し[2]1937年(昭和12年)8月2日陸軍砲兵大佐に進級した[2]盧溝橋事件発生後に戦線が拡大する中、日中戦争に出動[1]1938年(昭和13年)7月に近衛野砲兵連隊長に転じ[2]、8月に南寧に出動した[2]

1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級と同時に第13軍兵器部長に就任し[1][2]1942年(昭和17年)10月に長崎要塞司令官に転じた[1]1945年(昭和20年)4月1日西部軍管区司令部附となり[3]4月30日に待命[4]5月1日予備役に編入された[1]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026