木地小屋駅(きじごやえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町若宮にあった磐梯急行電鉄廃駅)である。磐梯急行電鉄の廃線に伴い1969年(昭和44年)3月27日に廃駅となった。

木地小屋駅
駅跡(2010年6月)
きぢごや
KIJIGOYA
酸川野 (2.6 km)
(3.9 km) 沼尻
地図
所在地 福島県耶麻郡猪苗代町若宮
北緯37度37分19.9秒 東経140度9分39.2秒 / 北緯37.622194度 東経140.160889度 / 37.622194; 140.160889座標: 北緯37度37分19.9秒 東経140度9分39.2秒 / 北緯37.622194度 東経140.160889度 / 37.622194; 140.160889
所属事業者 磐梯急行電鉄
所属路線 磐梯急行電鉄
キロ程 15.6 km(川桁起点)
駅構造 地上駅
ホーム なし(1線)
開業年月日 1913年大正2年)5月11日
廃止年月日 1969年昭和44年)3月27日
備考 磐梯急行電鉄廃線に伴い廃駅
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概要 編集

開業時からの駅の一つであった[1]交換設備を有していたが、晩年は交換設備が施錠され、無人化された[2]

駅名標には「きぢごや」と表記されていた[3]

歴史 編集

駅構造 編集

廃止時点で、1線を有する地上駅であった[3]プラットホームは存在せず、乗客は地面から直接乗降した[3]。かつては2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側(北側)の旧下り線は、交換設備運用廃止後も側線として残存していた[3]が、方開き分岐の転轍機は鎖錠され、「鎖錠」と記載された立て札が立てられていた[5]。そのほか本線の沼尻方から構内外側に分岐する行き止りの側線を1線有した[3]

無人駅となっていた[1]が、有人駅時代の駅舎が残っていた[3]。駅舎は構内の北側に位置していた[3]。駅舎とは別棟でトイレ棟を有した[3]

荷物取扱時は、薪炭や木材などの産出量が群を抜いて多かった[5]

駅周辺 編集

酸川野駅から当駅に至る区間の鬱蒼とした林を抜け、平地が開けた所に位置した[2]。高原といった風情が漂う雰囲気であった[3]。当駅から沼尻駅の区間は人家の全く無い原野で、40の勾配となっていた[2]

駅跡 編集

1996年平成8年)時点では、駅跡は消滅していた[6]1999年(平成11年)時点では、国道115号沿いのドライブインの前に駅跡が確認できた[7]。その後、2007年(平成19年)5月時点では駅跡地に「なつかしの沼尻軽便鉄道を訪ねて」と記載され、駅の説明文と現役時代の写真が付いた、駅名標を模した案内板が建てられていた[8]2010年(平成22年)4月時点でも同様で[2]、駅舎のあった位置には赤い屋根の建物が建築されていた[9]

当駅跡附近から沼尻方の線路跡は、1996年(平成8年)時点では、水田や雑木林の間に未舗装の道路として残存していた[6]。沢に掛かるコンクリート橋も再利用されていた[6]。農道に転用されており[8]、2007年(平成19年)5月時点[8]、2010年(平成22年)4月時点でも同様であった[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c 書籍『RM LIBRARY 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)』(著:青木栄一ネコ・パブリッシング、2009年1月発行)20ページより。
  2. ^ a b c d e f 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行)102-103,108-109ページより。
  3. ^ a b c d e f g h i 『RM LIBRARY 113』25ページより。
  4. ^ 『新 消えた轍 3』100-101ページより。
  5. ^ a b 書籍『写真でつづる 懐かしの沼尻軽便鉄道』(編:『懐かしの沼尻軽便鉄道』編集委員会、歴史春秋出版、2000年2月発行)129ページより。
  6. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くII』(JTBパブリッシング、1996年9月発行)41ページより。
  7. ^ 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版、1999年12月発行)113ページより。
  8. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)47-49ページより。
  9. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く2 南東北・関東編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)69ページより。

関連項目 編集