木村 三千夫(きむら みちお、1927年昭和2年〉4月28日[2] - 2006年平成18年〉11月5日)は、日本実業家日本デコラックス会長。

きむら みちお

木村 三千夫
生誕 (1927-04-28) 1927年4月28日
日本の旗 愛知県名古屋市中区[1]
死没 (2006-11-05) 2006年11月5日(79歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 岐阜薬学専門学校(現:岐阜薬科大学
職業 実業家
肩書き 日本デコラックス会長
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略歴 編集

愛知県名古屋市中区出身[1]1958年(昭和33年)、メラミン化粧板の生産を目的に愛知県尾西市日本デコラックスを設立[3]。当時は先発メーカーが少なかったこともあり、同社の製品は家具、木工業界を中心に需要が高まり、生産量も拡大していった。このため、1962年(昭和37年)に本社および工場を現住所の同県丹羽郡扶桑町に移転、増産体制を敷いたほか、新商品開発にも力を入れた。昭和40年代後半には各メーカーが乱立し、供給過剰に伴う販売激化で、一時は販売部門を別会社にするなどの曲折を経たが、1985年(昭和60年)には製造、販売を一本化した。

1996年(平成8年)5月22日、扶桑町商工会長に選任された[4]

1998年(平成10年)5月18日、代表権のある会長となり、後任社長に長男の木村重夫専務が昇格するトップ人事を発表した[5]6月26日株主総会後の取締役会で正式決定。

2006年(平成18年)11月5日心不全のため死去[1]

関連項目 編集

出典 編集

  1. ^ a b c 『中日新聞』2006年11月6日付朝刊社会31頁、「木村三千夫氏死去」
  2. ^ 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』(産経新聞年鑑局、1970年)か行160頁
  3. ^ 『中日新聞』19881111朝刊地経面11頁、「新上場会社の横顔 日本デコラックス 高付加価値商品に力」
  4. ^ 『中日新聞』1996年05月23日朝刊近郊版近郊、「会長に木村氏選任 扶桑町商工会」
  5. ^ 『中日新聞』1998年05月19日朝刊地域経済面12頁、「社長に木村重夫氏 日本デコラックス」
先代
創業者
日本デコラックス社長
1958年 - 1998年
次代
木村重夫