朴龍根(パク・ヨングン 1984年1月21日 - )は、大韓民国江原道束草市出身の元プロ野球選手(内野手)。

朴龍根
Park Yong-Geun
LGツインズ 1軍作戦コーチ #84
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 江原道束草市
生年月日 (1984-01-21) 1984年1月21日(40歳)
身長
体重
172 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手 二塁手
プロ入り 2007年 2次ドラフト1巡目
初出場 2007年4月7日
最終出場 2016年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴 編集

アマチュア時代 編集

江原束草商業高校を卒業し、2003年嶺南大学校に入学した。

大学1年生のときから、チーム内のレギュラー遊撃手として活躍し、3年生時の2005年には国家代表チームに選抜され、第23回アジア野球選手権大会に出場した。

2006年にも代表に再び選抜され、アメリカとの親善野球シリーズにレギュラー遊撃手として全試合に出場した。

LG時代 編集

2007年にチームの2次ラウンド1ラウンド指名を受けて契約金1億2000万ウォン、年俸2000万ウォンの条件で入団した。

デビューシーズンの間は代走や守備固めとして試合に出場した。

2008年には権容寬朴慶洙などを押し出してレギュラー遊撃手として重用され、特有の速い足と守備センスを見せてチームの内野陣への大きな恩恵になった。

2009年9月23日の宋津宇の引退試合では彼の最初の投球をヒットにした。

2010年に軍服務で警察野球団と契約。2012年9月に除隊された。しかし同年10月17日に飲食店で食事をしていたところ、暴漢に襲撃され大怪我を負ってしまう[1]。この事件をきっかけに育成選手に降格し、2013年は試合に一切出場できなかった。

復帰した2014年3月30日の斗山ベアーズ戦では守備固めとして出場し、直後の打席で二塁打を記録した[2]。さらに4月27日のNCダイノス戦では1点ビハインドの9回表2アウト満塁から崔敬哲の打席途中にホームスチールを敢行。しかし彼がホームベースに突入する直前に崔敬哲が投球を打ち返し、ライトフライに倒れてしまったため、彼の得点は認められず試合に敗れた[3]。同年は最終的に27試合に出場。

KT時代 編集

2015年の開幕直前に尹耀渉とともにKTウィズへトレードされた。トレード相手は李俊珩だった[4]

しかし5月24日のハンファイーグルス戦で足のすねを骨折し、残りのシーズンを棒に振った[5]

2016年は31試合に出場。2017年は一軍出場がなく同年で現役を引退。

現役引退後 編集

2018年より尚武フェニックスのコーチとなった。2019年よりコーチとしてLGに復帰。

人物 編集

前述した傷害事件では、自分が怪我を負いながらも偶然居合わせたチェ・リナ朝鮮語版を庇った。その結果彼女は朴龍根を命の恩人と感じて交際を始め、2016年に結婚した[6]

LG時代の応援歌は金光三が打者時代に使っていたものの流用だった。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

年度 チーム 試合 打数 打率 得点 安打 2塁打 3塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 四球 死球 三振 併殺 失策
2007 LG 67 33 0.152 9 5 1 0 0 6 0 4 2 4 1 9 1 1
2008 93 157 0.197 20 31 5 1 1 41 5 9 4 14 4 31 5 4
2009 101 127 0.213 33 27 5 2 1 39 9 19 6 15 4 29 1 5
2010 53 99 0.263 17 26 2 2 2 38 19 8 2 7 2 20 2 2
2014 27 19 0.211 8 4 2 0 0 6 0 1 0 6 0 6 1 2
2015 KT 27 76 0.263 7 20 6 0 0 26 4 5 2 7 0 15 4 5
2016 31 74 0.230 5 17 4 1 1 26 6 0 1 11 0 14 1 1
通算 7シーズン 399 585 0.222 99 130 25 6 5 182 43 46 17 64 11 124 15 20

背番号 編集

  • 4 (2007年 - 2010年、2013年)
  • 3 (2014年 - 2015年途中)
  • 89 (2015年途中 - 同年途中)
  • 9 (2015年途中 - 2017年)
  • 84 (2019年 - )

脚注 編集