李隆
生涯 編集
李濬の子として生まれた。1406年(永楽4年)9月[1]、15歳で襄城伯の封を嗣いだ。体格雄偉で将才があった。永楽帝の漠北遠征にたびたび従軍し、奇策で敵を手玉に取ったので、永楽帝に賞賛された。永楽帝が北京に遷都すると、李隆は南京の留守を命じられた。1424年(永楽22年)、洪熙帝が即位すると、山海関に出向するよう命じられたが、まもなく南京に戻されて再び留守をつとめた。李隆は読書して文章を好み、盛んに議論をおこない、清廉慎重で法を守り、士大夫を敬愛して礼を尽くした。南京にいること18年、前後して璽書200あまりを賜った。李隆が北京に召還されると、南京の民は江上で涙を流して見送った。1440年(正統5年)、入朝して禁軍を統率した。1446年(正統11年)、大同の辺境を巡察し、宝刀1本を正統帝から賜った。任務を終えて帰還したが、一人も殺すことはなかった。1447年(正統12年)、死去した。
子女 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 『明史』巻146 列伝第34