東伏見稲荷神社

東京都西東京市に鎮座する神社

東伏見稲荷神社(ひがしふしみいなりじんじゃ)は東京都西東京市に鎮座する神社である。1929年京都伏見稲荷大社分霊を勧請して創建された。あわせて西武新宿線上保谷駅の駅名が東伏見駅に変更されている。また、当社所在地の東伏見という地名は当社にちなんで1966年につけられた地名である[1][2]

東伏見稲荷神社

鳥居
地図
所在地 東京都西東京市東伏見一丁目5番38号
位置 北緯35度43分35.9秒 東経139度33分26.5秒 / 北緯35.726639度 東経139.557361度 / 35.726639; 139.557361 (東伏見稲荷神社)座標: 北緯35度43分35.9秒 東経139度33分26.5秒 / 北緯35.726639度 東経139.557361度 / 35.726639; 139.557361 (東伏見稲荷神社)
主祭神 宇迦御魂大神
佐田彦大神
大宮能売大神
社格 旧無格社
創建 1929年昭和4年)
本殿の様式 三間社流造銅板葺
例祭 2月初午の日
主な神事 4月10日
10月20日
地図
東伏見稲荷神社の位置(東京都内)
東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社の位置(西東京市内)
東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社の位置(日本内)
東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社
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祭神 編集

伏見稲荷大社の祭神の中から、宇迦御魂大神佐田彦大神大宮能売大神の3を勧請し、この3座を「東伏見稲荷大神」と総称している[3]

歴史 編集

関東地方稲荷神を信仰する信者たちの希望により、1929年昭和4年)に稲荷神の総本社である伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建された[3]。勧請の新しさからか、規模は大きいが近代社格制度下で社格が与えられることはなかった(旧無格社)。

境内 編集

朱色の社殿境内の緑に映えて美しく、新東京百景の一つに選ばれている[4]

お塚参り (千本鳥居) 編集

社殿の裏側には18か所の末社があり、それらをお参りするのが「お塚参り」である。そのお塚参りエリアも朱色の鳥居が迷路のように張り巡らされ、千本鳥居のようである。

戦没者慰霊碑 編集

戦前、中島飛行機の社員研修所があり、鍛錬教育が行われていた。このため、米軍の空襲により中島飛行機武蔵製作所で亡くなった人々の慰霊碑がある。因みに戦時中は武蔵製作所には従業員に加え、日本全国から徴用工員男女動員学徒ら総数5万人が働き、国内第一の航空発動機工場となっていた。米軍は日本空軍の補給力を全滅させるため武蔵製作所を本土編隊爆撃の第一目標とし、昭和19年11月24日から終戦まで十数回の爆撃が行われ爆弾五百発が命中し、二百余名の殉職者と五百名を越える負傷者を出し工場は全く廃墟と化してしまった[5]

交通アクセス 編集

周辺 編集

都立東伏見公園と隣接している。公園には神社の杜と一体化する形で森の整備が進んでいる[12]

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ 角川日本地名大辞典 13.東京都 P1133
  2. ^ 保谷町広報第62号 1964年7月30日
  3. ^ a b ご由緒”. 東伏見稲荷神社. 2021年1月2日閲覧。
  4. ^ 新東京百景”. 東京散歩ナビ. 2021年1月2日閲覧。
  5. ^ 慰霊碑「建碑之由来」より抜粋。
  6. ^ 吉53「柳沢駅(武蔵野住宅経由)」行、吉55「柳沢駅(武蔵野市役所経由)」行
  7. ^ 吉63「保谷駅南口(柳沢駅通り経由)」行、吉64「花小金井駅」行
  8. ^ 鷹03「田無橋場」行、鷹13「柳沢駅」行、鷹15「東伏見駅北口」行、鷹21「天神山」行
  9. ^ 鷹21「天神山」行、鷹22「ひばりヶ丘駅」行
  10. ^ 吉63「吉祥寺駅(柳沢駅通り経由)」行、鷹21「三鷹駅」行
  11. ^ 鷹21「三鷹駅」行
  12. ^ 東伏見公園の公園づくり”. 東京都建設局. 2021年1月2日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集