松崎観海

江戸時代中期の儒学者

松崎 観海(まつざき かんかい、1725年6月14日享保10年5月4日)- 1776年1月14日安永4年12月23日))は、江戸時代中期の儒学者[1][2]漢詩人である[3]。名は惟時、字は君脩[1](君修[2]とも)、子黙[3]。通称は才蔵。

経歴・人物 編集

丹波篠山藩士であった松崎観瀾の子として生まれる[2]。幼年期より父から儒学を学び[2]、後に江戸太宰春台及び高野蘭亭の門人となった[1][2]。儒学以外にも漢文等の詩歌剣術武藤良夫から学んだ[2]

1746年延享3年)、父が仕えられていた篠山藩付の松平家家老を勇退した事により[2]、観海を後継者として継がせた[1][2]。観海が学んだ儒学や詩歌は後に多くの儒学者に反響を及んだ[2]

主な著作物 編集

  • 『観海(先生)集』- 詩文集[1][2][3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『松崎観海』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『松崎観海』- コトバンク
  3. ^ a b c 精選版 日本国語大辞典『松崎観海』- コトバンク