板倉好重

日本の戦国時代の武士

板倉 好重(いたくら よししげ)は、戦国時代の武将。

 
板倉好重
時代 戦国時代
生誕 永正16年(1520年
死没 永禄4年4月15日1561年5月28日
別名 八右衛門
戒名 源空
墓所 長円寺愛知県西尾市
主君 松平好景
氏族 板倉氏
父母 板倉頼重
兄弟 好重忠政
本多光次の娘
忠重勝重定重、新美作右衛門の室
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概要 編集

渋川氏一族と称した板倉頼重の子として生まれる。子に勝重ら。

深溝松平家松平好景の配下。永禄4年(1561年)善明堤の戦いで好景に従って吉良義昭と戦うが、吉良軍に包囲されて好景らともに戦死した。

三男の定重が家督を継いで徳川家康に仕えたが高天神城の戦いで戦死したため、菩提寺の永安寺に出家していた次男の勝重が還俗し、跡を継いだ。長男の忠重は分家して深溝松平家に仕えた。

参考文献 編集

先代
板倉頼重
板倉宗家当主
? - 1561年
次代
板倉忠重