林 湖(イム・ホ、朝鮮語: 임호1920年7月21日[1] - 1988年?)は、大韓民国政治家。第9・10代大韓民国国会議員[2]本貫平沢林氏[3]

経歴 編集

1920年、日本統治時代の朝鮮に生まれた。高麗大学校経営大学院を修了後、1973年2月27日に行われた第9代総選挙に無所属で大邱地区より立候補して当選し、国会議員となった。その後も1978年12月12日に行われた第10代総選挙に無所属で大田地区より立候補して当選し、国会議員を務めた。また、そのほか全国大学排球(バレーボール)連盟の会長、興亜タイヤ工業専務、世界通信社副社長、国民大学財団常務理事などの政界や団体の要職を務めた。また、第13代総選挙にも出馬する意向があったという[4]

1988年3月30日、当時64歳の林は家を出た後、木浦済州行のカーフェリーで失踪し、行方不明になった。遺体がないまま、四十九日となる同年5月19日に葬儀が行われた[4][5]

脚注 編集

  1. ^ 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 韓国史データベース. 2023年9月28日閲覧。
  2. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年2月4日閲覧。
  3. ^ (39)평택 임씨(平澤林氏)-210,089명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月26日). 2022年8月16日閲覧。
  4. ^ a b 前(전)의원 林湖(임호)씨 행방불명 두달”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1988年5月19日). 2022年8月7日閲覧。
  5. ^ 林湖(임호)전議員(의원) 실종49일 屍身(시신)없이 葬禮式(장례식)거행”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1988年5月20日). 2022年2月7日閲覧。