森 長義(もり ながよし)は、江戸時代後期の大名播磨国三日月藩の第6代藩主官位従五位下河内守伊予守

 
森長義
時代 江戸時代後期
生誕 天明7年8月20日1787年10月1日
死没 天保8年8月20日1837年9月19日
改名 芝二郎(幼名)、長義
戒名 長義院殿棲鶴日娯大居士
墓所 東京都大田区池上の本行寺
官位 従五位下河内守伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨三日月藩
氏族 関氏森氏
父母 関長誠:不詳
養父森快温
兄弟 関長輝長義、千衛子
長国関長道高辻以長室、貞子、
南部信誉正室ら
養子長篤
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略歴 編集

備中新見藩主・関長誠の次男として江戸で生まれる。享和元年(1801年)12月4日、先代藩主快温の死去により、その末期養子として跡を継いだ。同年12月15日、将軍徳川家斉に拝謁した。同年12月28日、従五位下河内守に叙任した。文化6年(1809年)5月20日、養嗣子長篤に家督を譲って若くして隠居した。天保8年(1837年)8月20日に51歳で死去した。

系譜 編集