楠妣庵観音寺
楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)は、大阪府富田林市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
楠妣庵観音寺 | |
---|---|
本堂 | |
所在地 | 大阪府富田林市大字甘南備1103 |
位置 | 北緯34度26分48秒 東経135度36分16秒 / 北緯34.44667度 東経135.60444度 |
山号 | 峰條山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 千手観音菩薩 |
創建年 | 伝・延元4年/暦応2年(1339年) |
開山 | 伝・授翁宗弼 |
開基 | 伝・楠木正行 |
中興年 | 大正6年(1917年) |
札所等 |
河内西国霊場第20番 楠公史跡河南八勝第二蹟 |
法人番号 | 8120105004777 |
歴史 編集
楠木正行が、延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが起源とされる。
1348年(正平3年/貞和4年)に開基とされる正行とその弟正時が四條畷の戦いで討死にした後、二人の母で楠木正成正室の久子も、観音殿と同じ地に草庵を結び隠棲した。久子は敗鏡尼と称し、念持仏の十一面観音を奉祀して、夫と息子、一族の菩提を弔いつつ、16年間の余生を過ごした。
久子の入寂後、正行の弟楠木正儀は、不二房行者(藤原藤房、後の授翁宗弼か)を住持させて、観音堂改め観音寺とし、楠木一族の香華寺としたとされる。
甘南備の松尾家が真言宗無本寺であった観音寺の除地として久子の遺跡を守れるよう寺社奉行に届出たことから、観音寺は楠妣庵と称された草庵と共に、江戸時代を通して松尾家の所有であったようである。享保年間までは尼僧を住持させて護持されていたが、明治6年(1873年)には廃寺となる。
廃寺跡は甘南備の尾花和市の所有に帰することになり、久しく田畑として利用されていたが、大正4年(1915年)2月、岐阜県益田郡下原村(現・岐阜県下呂市金山町)出身の篤志家加藤鎮之助によって購入されることになり、大正6年(1917年)5月に草庵が再建された。
大正11年(1922年)には、同じく鎮之助により本堂も建立され、池上慧澄(柏蔭室湘山老大師、臨済宗大学学長)が住持として請われ晋山、約半世紀を経て再興が果たされた。昭和7年(1932年)2月には、石神會元(三光亭老大師、恵林寺貫主)が住持として請われ晋山。
伽藍 編集
- 五輪塔 - 久子の墓とされる。
- 草庵 - 大正6年5月(1917年)建立。久子が隠棲した草庵で、楠妣庵と称する。東京帝国大学教授・帝国芸術院会員伊東忠太博士の設計により、鎌倉時代末期の建築様式に則り、復元された。東宮であった昭和天皇がここに行啓した。
- 観音堂 - 大正6年5月(1917年)建立。久子の念持仏である十一面観音が祀られている小堂。設計は伊東忠太博士。
- 本堂 - 大正11年(1922年)建立。
- 書院 - 昭和3年(1928年)建立。
- 恩光閣 - 昭和7年(1932年)建立。庫裡、客殿等に使用。昭和御大典大礼の建物を宮内省より下賜、移築された。
- 山門 - 昭和39年(1964年)建立。楠公夫人六百年祭の際、山梨県甲州市の恵林寺塔頭青松軒の山門を移築したもの。栗材、四脚門。
- 楠公夫人像 - 昭和10年(1935年)落成。岩崎光仁作。
- 楠妣会館 - 平成2年(1990年)落成。檀信徒会館。
- 南門 - 平成3年(1991年)建立。裏参道に通じる。