橘入居
日本の平安時代の貴族
橘 入居(たちばな の いりい)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。参議・橘奈良麻呂の子。官位は従四位下・右中弁。
時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延暦19年2月10日(800年3月8日) |
官位 | 従四位下・右中弁 |
主君 | 桓武天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘奈良麻呂、母:藤原宇合娘? |
兄弟 | 安麻呂、島田麻呂、清野、清友、入居 |
子 | 永継、永名、逸勢、御井子、田村子 |
経歴 編集
桓武朝初頭の延暦2年(783年)従五位下・近江介に叙任される。延暦4年(785年)中衛少将と京官を兼ねるが、延暦7年(788年)遠江守として再び地方官に転じる。
その後、従五位上・左兵衛佐に叙任され、延暦14年(795年)には近江・若狭両国に駅路を調査するために派遣されている[1]。のち左少弁、延暦15年(796年)には右中弁と弁官を兼ね、延暦16年(797年)には、大納言・神王らと共に『刪定令格』の編集に参画した。その後、播磨守・左京大夫を兼帯し、延暦18年(799年)4月以降に従四位下に至る。
人物 編集
しばしば適切な内容で上書を提出したが、有益な事項が多かった。右中弁に抜擢され、政務に関する意見が多く採用されたという[2]。
官歴 編集
『六国史』による。