正岡村

日本の愛媛県温泉郡にあった村

正岡村(まさおかむら)は愛媛県風早郡のち温泉郡にあった村である。1951年(昭和26年)に隣の難波村とともに北条町に合併し、自治体としては廃止された。現在の松山市最北部。地域名としては小学校名などとして今日まで受け継がれている。

まさおかむら
正岡村
廃止日 1951年4月1日
廃止理由 新設合併
北条町、難波村正岡村北条町
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,126
国勢調査1950年
隣接自治体 北条町、難波村、立岩村河野村
正岡村役場
所在地 愛媛県温泉郡正岡村大字八反地
座標 北緯33度58分13秒 東経132度47分42秒 / 北緯33.97039度 東経132.79506度 / 33.97039; 132.79506座標: 北緯33度58分13秒 東経132度47分42秒 / 北緯33.97039度 東経132.79506度 / 33.97039; 132.79506
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地理 編集

高縄半島の西部、現在の松山市の北部、旧北条市の市街地の北東側(陸地側)に位置する。高縄山の西麓、高縄山系に源流を発する立岩川中流左岸に当たり、東側になだらかな丘陵地が、西側には平坦地が広がる。西は北条町に接する。昭和30年代までは純農村であった。

村名の由来 編集

正岡郷の名は戦国期には既にみられる。

社会 編集

地域・集落 編集

合併・発足前の旧7村をそのまま大字として継承。

八反地(はったんじ)、中西内(なかにしうち)、中西外(なかにしそと)、寺谷(てらたに)、院内(いんない)、波田(はだ)、神田(かんだ)
後に寺谷と波田とは合体し高田(たかた)と呼ばれ、6地区構成となっている。
神田は松山市に既に同名の町があったことから松山市への編入に伴い、正岡を冠して「正岡神田」(まさおかかんだ)と呼ばれる。[1]

世帯数・人口 編集

  • 1904年(明治37年) 406戸、2303人
  • 1921年(大正10年) 415戸、2480人

参考 2020年(令和2年) 814世帯、1956人

教育 編集

  • 正岡小学校  1892年(明治25年)正岡尋常小学校、北条町立、北条市立を経て松山市立正岡小学校として現在に至る。[2]
  • 正岡中学校  1949年(昭和24年)北条・難波・正岡の3校が組合立北温中学校[3]、さらに北条市となってから後の1966年(昭和41年)4月に北温・立岩・浅海の3校が統合し 北条市立北条北中学校として統合[4](現在は松山市立)された。[5]

沿革 編集

  • 1889年12月15日 - 町村制施行により旧風早郡八反地村、中西内村、中西外村、寺谷村、院内村、波田村、神田村が合併し風早郡正岡村として発足。
  • 1897年4月1日 - 風早郡が温泉郡に編入され温泉郡正岡村となる。
  • 1951年4月1日 - 温泉郡北条町、難波村との合併により温泉郡北条町となり消滅。

参考文献 編集

  • 『角川日本地名大辞典38 愛媛県』

関連項目 編集

  1. ^ 松山市への編入合併にともなう協議において決定。愛媛県『愛媛県市町村合併誌』2006年3月 p332 による
  2. ^ 松山市立正岡小学校の沿革  https://masaoka-e.esnet.ed.jp/history
  3. ^ 難波村・正岡村が北条町と合併したのは1951年(昭和26年)であるため、当初は「組合立」として発足した。「北温」(ほくおん)は温泉郡の北部という意味で、正岡村を含む旧北条市地域一帯の呼称であった。
  4. ^ 校舎建設の関係から1966年は「名目統合」で、2年後の3月に校舎完成、翌4月に「実質統合」された。北条北中学校の沿革による。
  5. ^ 北条北中学校の所在地は愛媛県松山市北条辻365番地となっており旧北条であるものの、学校敷地を旧北条と中西内との境界が南北に縦断しており、中央から東側に位置する校舎やグランドが立地しているのは正岡地域(正岡小学校区)に属する。