武山真吾

日本の野球選手

武山 真吾(たけやま しんご、1984年6月22日 - )は、愛知県名古屋市緑区出身の元プロ野球選手捕手)、コーチ監督。右投右打。

武山 真吾
リベラック小田原 監督
現役時代
2014年5月29日、ナゴヤドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市緑区
生年月日 (1984-06-22) 1984年6月22日(39歳)
身長
体重
179 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手三塁手外野手
プロ入り 2002年 ドラフト10巡目
初出場 2008年5月31日
最終出場 2019年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (2020 - 2021)
  • リベラック小田原

経歴 編集

プロ入り前 編集

子どもの頃から地元のプロ野球チーム中日ドラゴンズを応援し、中村武志立浪和義今中慎二らに憧れていた[1][2]

中学時代は、名古屋市内では強豪の緑クラブへ入団する。中学2年生の頃から正捕手の座を勝ち取り、卓越した強肩・強打で打順5番・6番を務める。享栄高等学校では1学年下に大島洋平がおり、投手兼外野手だった大島とはバッテリーを組んだ事もあった[3]。 3年夏の愛知県大会では、準決勝で中京大中京高校に敗れ、甲子園出場は果たせなかったが[4]、準々決勝で愛知高校と対戦した際に4打数4安打と活躍したのがスカウトの目に留まり、2002年度ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから10巡目指名を受け、入団[5]

横浜時代 編集

 
横浜時代(2010年5月5日、横浜スタジアム)

2005年フレッシュオールスターゲームに出場し、優秀選手賞とホームラン賞を獲得した[6]

2006年、序盤から一軍に控え捕手として待機していたが出場機会はなかった。

2007年イースタン・リーグにおいて、出場機会増加を目的に三塁手へ準コンバートされ、この年は捕手・三塁手・一塁手左翼手で起用された。二軍では規定打席不足ながら打率.300を越え、チームトップの9本塁打を記録した。

2008年、5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で一軍初出場を果たし、相川亮二の故障離脱を補った。チームが最下位と低迷する中、武山の活躍によってチームの起用法を若手中心に転換させた。後半は相川の再離脱も重なったことで斉藤俊雄と併用され、シーズン33試合に出場した。

2009年、5月に田代富雄が監督代行に就任すると即一軍に昇格し、新沼慎二細山田武史との併用でスタメンに抜擢されるようになった。途中加入したスティーブン・ランドルフとのバッテリーで好成績を残し、最終的には細山田に次いでマスクをかぶり自己最多の49試合に出場した。

2010年、開幕前に移籍してきた橋本将に次ぐ2番手捕手だったが、橋本の離脱以降は前年同様に阻止率の低迷に苦しむチームに肩でアピールし、レギュラーを獲得した。チーム捕手最多の95試合に出場したが、打撃面においては打率.187と結果を残せなかった。

2011年、4月12日に「8番・捕手」として初の開幕スタメン入りを果たす。一時はセントラル・リーグトップの盗塁阻止率を誇ったが、打撃面は不調だった。その後は自身の不調や投手陣が崩壊した影響で、7月26日に降格して以降は一軍出場がなかった。

西武時代 編集

2011年11月22日、後藤武敏とのトレード埼玉西武ライオンズへ移籍。背番号は52[7]

 
西武時代(2013年7月31日、こまちスタジアム)、

2012年、5月にバセドウ病に罹り、治療の末に回復はしたものの一軍昇格はならなかった[8]

2013年、5月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で西武移籍後初ヒットとなる2点適時打を代打で放った。

2014年、4月に代打で出場したが、その1試合の出場に留まっていた。

中日時代 編集

2014年5月2日、金銭トレードで中日ドラゴンズへ移籍[9][10]。翌日、ナゴヤドームで入団会見が行われた[11]。背番号は49

打撃は低迷したが、山井大介ダニエル・カブレラなどを中心にバッテリーを組むなど、谷繁元信松井雅人に次ぐ出場機会を得た。また、盗塁阻止率はチームトップの.412を記録した。オフに背番号を西武時代と同じ「52」に変更。

2015年、開幕から松井雅と併用で使われていたが、4月18日の広島戦に代走として出場した際に本塁クロスプレーで広島の捕手會澤翼と激突して脚を負傷し、担架で運ばれて試合から退いた[12]。20日に右前距腓靱帯の損傷と診断され[13]、9月には負傷箇所の手術を受けた[14]

2016年、開幕一軍に入るもスタメン出場はなく、15試合の出場に終わった。

2017年、開幕から二軍暮らしが続いたが、6月15日に一軍に昇格。17日の西武戦で移籍後初の適時打を放った。以降は田島慎二などを中心にバッテリーを組み、抑え捕手として出場した。オフに背番号を自身の尊敬する中村武志が現役時代に着けていた「39」に変更[15][2][16]

2018年は、初打席となった6月7日のロッテ戦で起死回生の2点適時打を放った[17]。最終的には30試合に出場したが、打率1割未満に終わった。

2019年、2年連続で30試合に出場したが、10月1日に球団から翌年の契約を結ばないことを伝えられた[18]。12月2日に自由契約公示された[19]

現役引退後 編集

2020年から中日の二軍バッテリーコーチに就任することが発表された[20][21]2021年の春季キャンプ中の2月21日、一軍バッテリーコーチの中村武志が胃の手術で療養したたため、3週間ほど一軍バッテリーコーチを代行した[22]

2021年限りで与田政権退陣に伴い二軍バッテリーコーチを退任。

中日退団後の2022年4月に学生野球資格を回復[23]。また、小中学生、社会人に個別で野球指導を行いながらセルフの脱毛サロンを経営している[24]。4月18日、自身のインスタグラムにて、現役時代から10年もの間患っていた、バセドウ病の手術を行った事を明かした[25]

2022年5月、神奈川県小田原市を拠点とする社会人野球チームであるリベラック小田原の監督に就任した[26][27]

選手としての特徴・人物 編集

意外性のある打撃と強肩が魅力の捕手[28]。守備では一塁や三塁、外野もこなせる器用性を持っている[28]

山本昌は「大きな体を小さく見せてくれて、投げやすかった。サインがすんなり決まるキャッチャーだった」と投手目線で武山の事を語っている[29]

横浜時代の応援歌は2010年5月から若菜嘉晴、中村武志らに使用されていたものが使われていた。これは中村を慕っていた武山が自ら希望したことによる[2]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2008 横浜 33 81 74 2 17 3 0 0 20 5 0 0 3 0 3 1 1 23 1 .230 .269 .270 .540
2009 49 130 120 7 29 5 0 0 34 5 1 1 2 0 7 1 1 35 2 .242 .289 .283 .572
2010 95 298 257 15 48 8 2 1 63 22 0 0 16 2 20 8 1 56 5 .187 .246 .245 .491
2011 46 102 88 4 11 3 0 1 17 5 0 0 6 1 4 0 3 26 4 .125 .188 .193 .381
2013 西武 19 16 15 2 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 1 6 0 .067 .125 .067 .192
2014 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
中日 33 72 63 4 8 0 0 1 11 5 0 0 4 1 3 0 1 15 1 .127 .176 .175 .351
'14計 34 73 63 4 8 0 0 1 11 5 0 0 4 1 3 0 1 16 1 .125 .174 .172 .346
2015 11 27 22 1 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 4 0 0 8 1 .091 .231 .091 .322
2016 15 5 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .000 .200 .000 .200
2017 50 76 66 2 15 1 0 1 19 7 0 0 2 0 7 0 1 21 3 .227 .311 .288 .599
2018 30 54 44 1 3 2 0 0 5 6 0 0 2 3 5 1 0 17 0 .068 .154 .114 .267
2019 30 51 45 6 9 2 0 1 14 4 0 0 1 0 3 0 2 13 1 .200 .280 .311 .591
通算:11年 412 913 799 45 143 24 2 5 186 61 1 1 37 7 57 11 11 223 18 .179 .241 .233 .474
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 編集


捕手 一塁


































2008 29 126 11 1 2 2 .993 15 11 4 .267 -
2009 49 293 27 2 4 2 .994 33 24 9 .273 -
2010 90 519 55 4 7 2 .993 85 64 21 .247 -
2011 45 189 26 0 0 3 1.000 23 13 10 .435 -
2013 6 13 0 0 0 0 1.000 0 0 0 - 3 5 0 0 0 1.000
2014 32 156 13 1 1 3 .994 17 10 7 .412 1 2 0 0 1 1.000
2015 10 42 6 0 1 1 .994 10 7 3 .300 -
2016 15 21 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 -
2017 50 168 16 0 0 1 1.000 15 10 5 .333 -
2018 30 121 13 0 3 2 1.000 9 4 5 .556 -
2019 29 104 10 0 1 0 1.000 11 9 2 .182 -
通算 385 1752 177 8 19 16 .996 219 153 66 .301 4 7 0 0 1 1.000

記録 編集

初記録
その他の記録
  • 1試合2度の打撃妨害:2009年8月28日、対広島東洋カープ18回戦(横浜スタジアム)、5回表・7回表にいずれも栗原健太の打席で記録

背番号 編集

  • 61(2003年 - 2011年)
  • 52(2012年 - 2014年5月1日、2015年 - 2017年)
  • 49(2014年5月2日 - 同年終了)
  • 39(2018年 - 2019年)
  • 75(2020年 - 2021年)

登場曲 編集

脚注 編集

  1. ^ 地元で現役を終えたい 中日・武山「夢」の続き――ドラゴンズで恩返しを”. スポニチ Sponichi Annex (2019年12月3日). 2022年4月27日閲覧。
  2. ^ a b c “正捕手のテーマ”を自分の応援歌に。横浜・武山真吾が扇の要になる日。(村瀬秀信)”. Number Web - ナンバー. 2022年4月15日閲覧。
  3. ^ 武山が中日入団会見 地元名古屋で活躍誓う”. 日刊スポーツ (2014年5月3日). 2022年4月27日閲覧。
  4. ^ “「えっ、あの人が?」 高校時代に投手だった“意外”なプロ野球選手”. AERA dot.. (2018年5月1日). https://dot.asahi.com/articles/-/99742?page=1 2022年4月27日閲覧。 
  5. ^ “中日・武山真吾 強くなって帰ってきた地元原産捕手/地元愛を胸に”. 週刊ベースボールONLINE. (2018年5月1日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20180507-12 2022年4月27日閲覧。 
  6. ^ プロ野球フレッシュオールスターゲーム2005, 日本野球機構, https://npb.jp/freshas/2005/award.html 2022年4月27日閲覧。 
  7. ^ 【西武】武山捕手と桟原投手の入団を発表日刊スポーツ、2011年12月2日閲覧。
  8. ^ バセドー病から再起へ 炭谷居ぬ間に武山弾スポニチ、2013年2月18日閲覧。
  9. ^ トレードのお知らせ埼玉西武ライオンズ、2014年5月2日閲覧
  10. ^ ドラゴンズニュース 武山真吾捕手を獲得中日ドラゴンズ公式サイト、2014年5月2日閲覧。
  11. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース ★武山真吾選手入団会見”. dragons.jp. 2022年2月17日閲覧。
  12. ^ “中日武山負傷交代、谷繁兼任監督がマスク”. 日刊スポーツ. (2015年4月18日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1463488.html 2015年11月7日閲覧。 
  13. ^ “中日武山は右前距腓靱帯の損傷、全治は不明”. 日刊スポーツ. (2015年4月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1464932.html 2015年11月7日閲覧。 
  14. ^ “中日武山、100万減で契約「チャンスは必ず来る」”. 日刊スポーツ. (2015年11月7日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1563127.html 2015年11月7日閲覧。 
  15. ^ “谷元、背番号14に変更=プロ野球・中日”. 時事ドットコム. (2017年11月27日). https://web.archive.org/web/20180119120130/https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112700811&g=spo 2018年1月18日閲覧。 
  16. ^ 【背番号物語】「#39」脈々と受け継がれる捕手の系譜 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年4月15日閲覧。
  17. ^ 【中日】武山、土壇場で同点2点打!初打席の殊勲打「心折れそうな立場ですが…」”. スポーツ報知 (2018年6月8日). 2022年2月17日閲覧。
  18. ^ 中日 武山と来季契約結ばず、引退示唆「名古屋で終わろうと思っていた」 スポニチ 2019年10月1日
  19. ^ 自由契約選手 2019年度 NPB公式サイト
  20. ^ “中日・パウエル新コーチの背番号は「93」栗原コーチは「73」仁村2軍監督は「72」 2020年のコーチングスタッフ発表”. 中日スポーツ. (2019年11月23日). https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201911/CK2019112302100029.html 2019年11月23日閲覧。 
  21. ^ 中日が渡邊博幸内野守備走塁コーチ、武山真吾バッテリーコーチの就任を発表”. ライブドアニュース. 2022年2月17日閲覧。
  22. ^ “中日・中村バッテリーコーチが胃の手術 武山2軍同コーチが代行”. サンスポ. (2021年2月21日). https://www.sanspo.com/article/20210221-X7GWYHOSSNOJDNHX4TSJZWCZ7Y/ 2022年4月27日閲覧。 
  23. ^ “鈴木啓示氏、梨田昌孝氏、高木豊氏ら大御所も…学生野球資格回復95人のNPB出身者一覧”. スポーツ報知. (2021年2月2日). https://hochi.news/articles/20220202-OHT1T51199.html?page=1 2022年4月27日閲覧。 
  24. ^ “ドラゴンズOB武山真吾の「意外?なセカンドライフ」”. (2022年3月1日). https://news.radiko.jp/article/station/TOKAIRADIO/65649/ 2022年4月27日閲覧。 
  25. ^ shingo.takeyama Instgram
  26. ^ LL_odawaraの2022年5月20日のツイート2023年5月14日閲覧。
  27. ^ 小田原の社会人硬式野球チーム 新たな仕組みで再始動”. タウンニュース 小田原・箱根・湯河原・真鶴版 (2022年7月23日). 2023年5月14日閲覧。
  28. ^ a b 中日が西武武山を金銭トレードで獲得 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年4月15日閲覧。
  29. ^ “ドラゴンズOB武山真吾が今シーズンの活躍を期待する若手たち”. (2022年3月1日). https://news.radiko.jp/article/station/TOKAIRADIO/65647/ 2022年4月27日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集