池原女王
池原女王(いけはらじょおう/いけはらのおおきみ、生没年不詳 )は、奈良時代の日本の皇族。天武天皇の曾孫で、従四位下・山前王の子。兄弟に、葦原王がいる。俗名は栗前枝女(くりくま の えだめ)で、姓は連。位階は従五位下。
出自 編集
栗前連は山背国久世郡栗隈郷(現在の京都府宇治市大久保・広野付近)を本拠地とする氏で、栗隈とも表記する。天智天皇の官人に、栗隈首徳万の娘、黒媛娘がおり、その子供に水主皇女(みぬしのひめみこ/もいとりのひめみこ)がいる[1]。姓は首で、天武天皇12年(683年)9月に連姓を賜っている[2]。
経歴 編集
光仁朝の宝亀7年(776年)10月21日 従六位上 から外従五位下に敍せられる。同11年(780年)8月7日、枝女はもと従四位下山前王の娘でありながら、母姓に従って未だ王名を蒙っていないということで、『継嗣令』に従い皇親とされ[3]、池原女王と名乗り、選叙令35条に従い叙位され、従五位下を授けられた[4]。
官歴 編集
『続日本紀』による。
脚注 編集
参考文献 編集
関連項目 編集
- 水主皇女…栗隈(栗前)氏の母親所生の皇族。