海犬養 五百依(あまのいぬかい の いおより、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は宿禰。官位は正六位上・摂津職少進。勲位は勲十二等
聖武朝の天平12年(740年)9月に藤原広嗣の乱が発生すると、征討軍の軍曹(第四等官)として筑紫に遠征する。同年10月に肥前国松浦郡値嘉島長野村(現在の長崎県北松浦郡宇久町小浜郷長野。五島列島の宇久島内)にて安倍黒麻呂が藤原広嗣とその従者らを捕らえると[1]、11月に大将軍・大野東人の命令を受けて、五百依は広嗣の従者の三田兄人ら20数名遠征軍の本陣に連行した[2]。
その後、橘諸兄の家令を務めたほか、孝謙朝から淳仁朝にかけて右京少進・摂津職少進を歴任した。
注記のないものは『続日本紀』による。