深井 信恭(ふかい のぶやす)は、江戸時代後期の三河国吉田藩3代藩主・松平信明の九男。

 
深井信恭
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年12月11日1806年1月30日
死没 文化9年4月27日1812年6月6日
別名 蕃之助
戒名 俊徳院殿光誉信恭童子
墓所 愛知県豊橋市の梧真寺
氏族 大河内松平家深井氏
父母 父:松平信明、母:服部氏娘・美遠
兄弟 某、松平信順、篤之助、泉吉郎、
本庄道貫松平信厚津軽順承、某、
信恭、某、松平忠質内藤忠行
大森頼実阿部正瞭松平孝、雅、栄、従、錦、厚、睦、庸
養兄弟:
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生涯 編集

文化2年(1805年)12月11日、松平信明の九男として三河吉田で生まれる。

文化3年(1806年)9月5日に吉田藩士・深井資敬に預けられ、深井姓を称する。深井家は、藩祖松平伊豆守信綱の生母の里方にあたるので、藩士の中では格別の家柄で、禄高700石、代々吉田藩の重職を務めてきた。

文化4年(1807年)8月21日、父信明が丈夫届を幕府に提出する。文化7年(1810年)4月、播磨赤穂藩主・森忠敬の仮養子となる。文化9年(1812年)4月27日、疱瘡により8歳で病死する。

参考文献 編集

  • 『豊橋市史』第6巻