清水谷石子

中御門天皇の典侍。贈正三位。子に理秀女王(1725.12.9-1764.12.22、四女、嘉久宮、宝鏡寺、覚宮、寿巌理長、逸巌理秀、景愛寺、浄照明院宮、理長女王)、尊乗女王(1730.4.4-1789.4.2、六女、亀

清水谷 石子(しみずだに いわこ、1703年元禄16年) - 1735年10月17日享保20年9月2日))は、中御門天皇典侍。父は権大納言清水谷実業藤原石子とも呼ばれる。権典侍局、民部卿典侍と称した。

生涯 編集

権大納言清水谷実業の娘として生まれる。1715年正徳5年)に中御門天皇の典侍となり、1皇子(公遵入道親王)と3皇女(理秀女王・尊乗女王・周宮)を生む[1]。権典侍局、民部卿典侍と称される[1]

1735年10月17日享保20年9月2日)、死去。享年33[1][2]。墓所は京都府京都市廬山寺

脚注 編集

  1. ^ a b c 「日本人名大辞典」(講談社
  2. ^ 「日本女性人名辞典」(日本図書センター1993年