湯山村

日本の愛媛県温泉郡にあった村

湯山村(ゆやまむら)は1955年(昭和30年)まで愛媛県温泉郡にあったである。現在の松山市の北東部、石手川上流域。自治体としては消滅したが、地名としての「湯山」は小中学校の名として現在も残っている。

ゆやまむら
湯山村
廃止日 1955年5月1日
廃止理由 編入合併
松山市、湯山村伊台村五明村久米村松山市
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,199
国勢調査1950年
湯山村役場
所在地 愛媛県温泉郡湯山村
座標 北緯33度51分50秒 東経132度49分03秒 / 北緯33.86392度 東経132.81761度 / 33.86392; 132.81761座標: 北緯33度51分50秒 東経132度49分03秒 / 北緯33.86392度 東経132.81761度 / 33.86392; 132.81761
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地理 編集

位置・地形 編集

現在の松山市の北東部、重信川の支流の一つである石手川の上流域。
石手川に沿ってわずかに平地が開けているものの、山地が村域の大半を占める。
西北は松山市街に接しているが、北は越智郡龍岡村に、西は河野村五明村(ごみょうむら)、伊台村(いだいむら)に、東は北吉井村や小野村に接しているものの、いずれも境界には山地が横たわっている。
明神ヶ森
北三方ヶ森
杉立山
倉谷山

村名の由来 編集

「湯山」は南北朝期から見られるという。貞治2年の河野通盛寄進状に見える。[1]

社会 編集

地域・集落 編集

明治22年町村制施行とともに湯山(ゆやま)、溝辺(みぞのべ)の2つの地域が大字となった。
松山市に編入後の、1969年(昭和44年)に制定された米野町、大井野町、東川町、川の郷町、福見川町、河中町、青波町、水口町、藤野町、玉谷町、湯山郷、宿野町、末町、杉立町、食場町、高野町、上高野町、溝辺町の地域。
溝辺町の一部は1968年(昭和43年)に石手1丁目、石手白石となっている。同地域は松山市市街地に隣接し早期に都市化・市街化が及んでいった地域である。

教育 編集

  • 湯山小学校 [2] 
  • 湯山中学校 [3]
  • 日浦小中学校 [4]
現在はいずれも松山市立の学校

沿革 編集

  • 古代は和名抄に見える温泉郡井上郷に属していた。
  • 藩政期は松山藩領
  • 1889年明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、湯山村、溝辺村が合併して発足。
  • 1955年昭和30年)5月1日 - 松山市に編入。同日湯山村は廃止。当村と同じく松山市の北東部の中山間地に位置する五明村伊台村と同時の編入。

脚注 編集

  1. ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』による
  2. ^ 湯山小学校の沿革 https://yuyama-e.esnet.ed.jp/page_20180122090702  
  3. ^ 湯山中学校の沿革 https://yuyama-j.esnet.ed.jp/page_20191129070111 
  4. ^ 同校のホームページには沿革の記述がない。2024/4/12閲覧

参考文献 編集

  • 『角川日本地名大辞典38愛媛県』

関連項目 編集