満穂村

日本の愛媛県喜多郡にあった村

満穂村(みつほむら)は、1955年昭和30年)まで愛媛県喜多郡にあったである。

みつほむら
満穂村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
満穂村立川村・内子町・五城村大瀬村内子町
現在の自治体 内子町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
喜多郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,526
(1921年)
隣接自治体 中山町・立川村・内子町・柳沢村・下灘村(廃止時)
満穂村役場
所在地 愛媛県喜多郡満穂村大字河内
座標 北緯33度34分42秒 東経132度38分53秒 / 北緯33.57822度 東経132.64808度 / 33.57822; 132.64808座標: 北緯33度34分42秒 東経132度38分53秒 / 北緯33.57822度 東経132.64808度 / 33.57822; 132.64808
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現在の喜多郡内子町の西北、伊予市の下灘地域に接する地域にあたる。中山川の支流麓川の流域。

地理 編集

現在の喜多郡内子町の西北部。北は牛ノ峰、黒山など標高700から800m級の山々で伊予郡下灘村、伊予郡中山町と接する。麓川が村内を南流し、五城村へと流れている。西は柳沢村と接する。麓川にそって所々に集落が形成され、傾斜地を利用した農業が営まれている。

歴史 編集

藩政期

明治以降

  • 1889年(明治22年) - 町村制実施により成立。喜多郡に属す。
  • 1908年(明治41年) - 伊予郡下灘村大字石畳を編入、同村大字石畳とする。
  • 1914年(大正2年) - 一部(袋口(ふろく)字鈴木、程野、横平)を喜多郡立川村へ編入
  • 1955年(昭和30年) - (旧)内子町、五城村大瀬村、立川村との合併により、新たな内子町となる。
満穂村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
            町村制施行時
論田   ━━┓        (明治41年9月30日境界変更)
       ┣━━━  満穂村 ━━━━━┳━━━━━┓ 
河内   ━━┫             ┃     ┃
       ┃             ┃     ┃
袋口   ━━┛        伊予郡下灘村大字石畳  ┃  (昭和30年1月1日合併)      
                           ┣━━━━ 内子町
              立川村    ━━━━━━┫     
               大瀬村    ━━━━━━┫       
              (旧)内子町 ━━━━━━┫
              五城村    ━━━━━━┛     
             
(注記)立川村ほかの合併まで、及び内子町の平成の合併の系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。

地域 編集

発足時の袋口(ふろく)、論田(ろんでん)、河内(かわのうち)の旧3村がそのまま大字となった。後に、伊予郡下灘村から境界変更した大字石畳が加わる。内子町になって後に大字は省くようになった。 おおむね麓川の上流から、石畳、袋口、河内、論田と集落(大字)が続く。

行政 編集

役場は大字河内においた。

産業 編集

米、雑穀、栗、タバコ草等を産する。『大日本篤農家名鑑』によれば満穂村の篤農家は、「佐田都太司」のみである[1]

交通 編集

街道からも外れ、鉄道等はない。

出身者 編集

脚注 編集

  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。

関連項目 編集