無因宗因(むいんそういん、1326年正中3年) - 1410年7月14日応永17年6月4日))は、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗妙心寺3世住持を務め、後に妙心寺の三祖と仰がれた。

尾張国(現・愛知県)に生まれる。幼くして上京し建仁寺の可翁宗然に奉仕するようになった。その後出家得度し建仁寺において出世していったが、35歳を過ぎて妙心寺の授翁宗弼の許に通うようになる。やがて建仁寺から出て1371年応安4年)に授翁宗弼から印可を得た後、妙心寺3世住持となる。

その後、妙心寺住持を退き1380年天授6年)寝屋川観音寺の住持となり、1394年(応永元年)に西宮海清寺の開山となる。1404年(応永11年)には波多野重通の開基により、退蔵院の開山となった。海清寺で示寂。法嗣に後に妙心寺四祖となる日峰宗舜や舂夫宗宿がいる。

参考資料 編集

  • 『新版禅学大辞典』
  • 『妙心寺 650年の歩み』