熊代昭彦
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くましろ あきひこ
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| 生年月日 | 1940年2月21日(72歳) |
| 出生地 | 岡山県岡山市 |
| 出身校 |
ウィスコンシン大学大学院卒業 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 厚生省官僚・援護局長 |
| 現職 | 岡山市市議会議員 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (国民新党→) (無所属→) 市民の党「自由と責任」 |
| 称号 |
法学士(東京大学・1963年) 政治学修士(ウィスコンシン大学・1969年) |
| 公式サイト | くましろ昭彦ホームページ |
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| 選挙区 | 中区選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2011年5月1日 - 現職 |
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| 内閣 |
第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
| 任期 | 2002年1月22日 - 2002年10月2日 |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
| 任期 | 2002年1月8日 - 2002年10月2日 |
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| 選挙区 | (旧岡山1区→) 岡山2区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1993年7月19日 - 2005年8月8日 |
熊代 昭彦(くましろ あきひこ、1940年2月21日 ‐ )は、日本の政治家、元厚生官僚。岡山市議会議員(1期)
衆議院議員(4期)、内閣府副大臣、内閣総理大臣補佐官を務めた。
概要
岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部卒業。1963年、厚生省(現厚生労働省)に入省した。厚生省では年金局資金課長、大臣官房総務審議官、援護局長等を務める。
岡山県選出の橋本龍太郎に見出され、1993年7月、厚生省を退官し第40回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧岡山県第1区(定数5)から出馬。同区最下位ながら初当選を果たした。以後当選4回。小渕派に所属し、2003年自由民主党総裁選挙では小泉純一郎を支持するか否かで平成研究会の対応が決まらない中、一旦総裁選に出馬表明を行うが、20人の推薦人を集められず、出馬を断念した。
2005年7月、小泉首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じた。そのため第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、自民党は岡山市長の萩原誠司を熊代の選出選挙区である岡山県第2区で公認した。熊代は8月に総選挙出馬を断念し、萩原の辞職に伴う岡山市長選挙に鞍替えして出馬するが、高谷茂男に敗れた。
その後国民新党に入党し、2007年の第21回参議院議員通常選挙に同党公認で比例区から出馬したが、落選。2008年6月に国民新党を離党し、次期総選挙に無所属で出馬する意向を表明。第45回衆議院議員総選挙に岡山2区から無所属で出馬するが、民主党の津村啓介、自民党の萩原の後塵を拝し、3位で落選した。
2011年4月に行われる岡山市議会議員選挙に中区選挙区から自ら代表を務める地域政党「市民の党「自由と責任」」から出馬し[1]、6917票を獲得しトップ当選を果たした[2]。
脚注
- ^ asahi.com : 「身近な所から改革」70歳元副大臣が岡山市議選出馬へ - マイタウン岡山
- ^ “岡山市中区選挙区” (2011年4月12日). 2011年4月12日閲覧。
関連項目
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 仲村正治 松下忠洋 村田吉隆 |
松下忠洋、村田吉隆と共同 2002 |
次代: 伊藤達也 根本匠 米田建三 |