浦島太郎

日本のおとぎ話、およびその主人公たる架空の少年

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浦島太郎(うらしまたろう)は、日本各地にある龍宮伝説の一つ。また、日本伽話(おとぎばなし)の一つで、その主人公の名前でもある。

歌川国芳画浦島太郎(このカメはウミガメではなく、クサガメかイシガメのようである)

あらすじ

現在一般的に敷衍しているストーリーはおおむね以下のようなものである。

漁師の浦島太郎は、子供達がをいじめているところに遭遇する。太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を海の中の竜宮城に招く。竜宮城では乙姫が太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して開けてはならない」[注釈 1]としつつ玉手箱を渡す。太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいない。太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では随分長い年月が経っていた。

解説

乙姫は、一説には東海竜王の娘である竜女とされる。

助けられた亀の返礼は浦島太郎に対し短期的な快楽を与えるのと引き換えに生まれ育った家庭コミュニティの人間関係を全て失わせ、且つ玉手箱の中身を見たいという知的好奇心を抑制できなかったことによる因果応報の形式をとりながら、人生経験を積むことなく瞬時の肉体的な老化を経験させられた上で完全な孤独状態で別世界に放り出されることをもたらす結果に終わっている。苛められている亀を救うという浦島太郎の善行は、結果的に自身が不幸に陥いることになり、お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっている。

なお、浦島太郎のその後については文献や地方によって諸説あり、定説と呼ぶべきものはない。

バリエーション

『日本書紀』による話

浦島太郎(浦嶋子)が文献に登場する例の初見は、8世紀の初めに成立した『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇22年(478年)秋7月の条の記述である。丹波国餘社郡(現・京都府与謝郡)の住人である浦嶋子は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋子は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬莱山へ赴き、各地を遍歴して仙人たちに会ってまわった。この話は別の巻でも触れられている通りである、と最後に締めくくるが、この別巻がどの書を指しているのかは不明。いずれにしても『日本書紀』が完成した養老4年(720年)頃までには、既にこの浦島の話が諸々の書に収録されていたことが窺い知れる。

(雄略天皇)廿二年(中略)秋七月。丹波國餘社郡管川人瑞江浦嶋子乘舟而釣、遂得大龜、便化爲女。於是浦嶋子感以爲婦、相逐入海、到蓬莱山歷覩仙衆。語在別卷。
読み下し文:丹波国余社郡の管川の人、端江浦島の子、舟に乗りて釣りす。遂に大亀を得たり。便に女に化為せる。是に、浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)を歴り(めぐり)観る。語は別巻に在り。

「蓬莱山」(とこよのくに)とは「常世の国」のことであり、不老不死理想郷とされる世界である。不老不死という考えは、中国に起源を持つ道教の中核的思想である神仙思想によるところが大きい。道教的な要素が含まれているとの解釈もある[1]

『丹後国風土記』にある話

8世紀に成立した『丹後国風土記』(現在は逸文のみが残存)にある「筒川嶼子 水江浦嶼子」[2]は、浦島太郎の物語の原型と解されている。ほぼ同時代の『日本書紀』『万葉集』にも記述が見られるが、『丹後国風土記』逸文が内容的に一番詳しい。

與謝郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也是旧宰伊預部馬養連所記無相乖故略陳所由之旨長谷朝倉宮御宇天皇御世嶼子独乘小船汎出海中爲釣経三日三夜不得一魚乃得五色龜心思奇異置于船中即寐忽爲婦人其容美麗更不可比嶼子問曰人宅遥遠海庭人乏詎人忽來女娘微咲對曰風流之士獨汎蒼海不勝近談就風雲來(中略)
嶼子即乖違期要還知復難會廻首踟蹰咽涙徘徊于斯拭涙歌曰
 等許余蔽尓久母多智和多留美頭能睿能宇良志麻能古賀許等母知和多留
神女遥飛芳音歌曰
 夜麻等蔽尓加是布企阿義天久母婆奈禮所企遠理 等母与和遠和須良須奈
嶼子更不勝恋望歌曰
 古良尓古非阿佐刀遠比良企和我遠礼婆等許与能波麻能奈美能等企許由
後時人追加歌曰
 美頭能睿能宇良志麻能古我多麻久志義阿気受阿理世波麻多母阿波麻志遠
 等許余蔽尓久母多智和多留多由女久母波都賀米等和礼曾加奈志企[3]
読み下し:與謝郡日置里、この里に筒川村あり。ここの人夫(たみ)日下部首(くさかべのおびと)等が先祖は名を筒川嶼子といひき。人となり姿容秀美(かたちうるは)しく風流(みやび)なること類なかりき。こはいはゆる水江浦嶼子といふ者なり。これ旧宰(もとのみこともち)伊預部馬養連が記せるに相乖くことなし。故略(およ)そ所由之旨(ゆゑよし)を陳べむ。長谷(はつせ)の朝倉宮に御宇(あめのしたし)らしめしし天皇の御世、嶼子獨り小船に乗りて海中に汎(うか)び出で、釣すること三日三夜を経て一の魚だに得ず、すなはち五色の龜を得たり。心に奇異(あや)しと思ひて船の中に置きて、即ち寐(い)ねつるに、忽ちに婦人(をとめ)と爲りき。その容美麗(かたちうるは)しく更(また)比(たと)ふべきものなかりき。嶼子問ひて曰く、人宅遥遠(ひとざとはろか)にして海庭(うなばら)に人なし、詎人(なにびと)の忽ちに來れるぞといひき。女娘(をとめ)微咲(ほほゑ)みて對(こた)へけらく、風流之士(みやびを)獨り蒼海(うみ)に汎べり、近(した)しく談(かた)らむとするこころに勝(た)へず、就風雲(おとづれ)來つと曰ひき。(中略)
嶼子すなはち期要(ちぎり)に乖違(そむ)きて、還りても復(また)會ひ難きことを知り、首を廻らして踟蹰(たたず)まひ、涙に咽びて徘徊(たもとほ)りき。ここに涙を拭ひて歌ひしく、
 常世邊に 雲立ち渡る 水の江の 浦島の子が 言持ち渡る
また神女遥に芳音(よきこゑ)を飛ばして歌ひしく、
 大和邊に 風吹き上げて 雲離れ 退き居りともよ 吾を忘らすな
嶼子更(また)戀望(こほしさ)に勝へずして歌ひしく、
 娘(こ)らに戀ひ 朝戸を開き 吾が居れば 常世の濱の 波の音(と)聞ゆ
後時(のち)の人追ひ加へて歌ひけらく、
 水の江の 浦島の子が 玉匣(たまくしげ) 開けずありせば 又も會はましを
 常世邊に 雲立ち渡る 絶ゆ間なく 言ひは継がめど 我ぞ悲しき

万葉集巻九による話

8世紀半ば以降に成立した『万葉集』巻九の高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき以下の内容が歌われている。

春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得〈乎〉良布見者〈古〉之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝T 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人〈乃〉 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡〈宅〉毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓〈垣〉毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯〈如〉本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 𠮧[注釈 2]袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴〈由〉奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見」

読み下し:春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の 我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ

大意訳:水の江の浦島の子が7日ほどを釣り帰って来ると、海と陸の境で海神(わたつみ)の娘(亀姫)と出会った。二人は語らいて結婚し、常世にある海神の宮で暮らすこととなった。3年ほど暮らし、父母にこの事を知らせたいと、海神の娘に言ったところ「これを開くな」と篋(くしげ・玉手箱のこと。もともとは化粧道具を入れるためのもの)を渡され、水江に帰ってきた。海神の宮で過ごした3年の間に家や里は無くなり、見る影もなくなっていた。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ常世との間に白い雲がわき起こり、浦島の子は白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。[4]

「浦島太郎」という名前は中世から登場し、それ以前は水江浦嶼子を略して「浦島子」と呼ばれている。

『御伽草子』

「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫竜宮城玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。

原文[5]:昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母を養ひけるが、ある日のつれ\〃/に釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝生あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。(中略)
「これは龍宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀涼しき漣に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけ\/て、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃の、煙にしるき賤がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦の衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻の契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめ\〃/と泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥を一つ取りいだし、「相構へてこの筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。(後略)
あらすじ丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日、釣りに出かけたところ、亀がかかったが、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に漕ぎ寄せて自分はやんごとなき方の使いとして太郎を迎えに来た。姫が亀を逃がしてくれた礼をしたい旨を伝え、太郎はその女人と舟に乗り大きな宮殿に迎えられる。ここで姫と三年暮らし、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分は実は太郎に助けられた亀であったことを明かし、玉手箱を手渡した。太郎は元住んでいた浜にたどり着くが、村は消え果てていた。ある一軒家に住んでいた老人に浦島太郎の事を尋ねると、浦島太郎は七百年も昔の人で、近くにある古い塚が太郎の両親の墓だと教えられた。太郎が姫と三年暮らしていた間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が玉手箱を開けると、三筋の煙が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。その後、太郎はになり蓬莱山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かい、太郎と乙姫は再び巡り会って夫婦の神になったという。

御伽草子』では竜宮城は海中ではなく、島か大陸にあるように書かれている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。

「鶴亀」バージョン

室町以降の『御伽草子』系の一部に浦島説話の変形版があり、以下のように結末を結ぶ。

浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。亀は甲に三せきのいわゐ(苔)をそなへ、万代を経しと也。(中略、両者は)夫婦の明神になり給ふ

一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽鶴亀』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする。

香川県仲多度郡に伝わる話

香川県仲多度郡で採集された話で、関敬吾編『日本の昔ばなし』(岩波文庫)に所収[6]。漁師の浦島太郎は、いかだ船で釣りに出かけるが亀が何度もかかるばかりで、そのつど放してやる。釣果はなしに帰途につくと、渡海舟がやってきて、乙姫のいる海中の竜宮界に連れていかれる。結末は御伽草子と同様だが、玉手箱が三段重ねで、一段目には鶴の羽があり、二段目で白煙があがって老人となり、三段目に鏡が出て浦島太郎が自分の変わり果てようを目にすると、鶴の羽が触れて鳥の姿になって飛び回る。その浦島をみようと、乙姫が亀に変身して浜にあがってくる[7]

神奈川県横浜市神奈川区に伝わる話

 
慶運寺にある石碑

昔、相模国三浦に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため丹後国に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)老人になった太郎はある漁師から両親の墓が武蔵国白幡にあると聞いた。

この情報を聞いた太郎は急いで子安の浜に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、松枝[注釈 3]に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地にをつくり、太郎はそこに住んだ。この庵は後に観福寿寺となるが、明治5年に廃寺になってしまう。しかし、聖観世音菩薩像が残り、神奈川区慶運寺に安置されている[8]。この聖観世音菩薩像と、慶運寺および同区内の蓮法寺が所有する塔・碑は、「浦島太郎伝説関係資料」として横浜市登録の地域有形民俗文化財となっている。

神奈川区は、浦島町・浦島丘・亀住町など浦島太郎にちなんだ名称があり、伝説の亀をマスコットとしている[9]

沖縄に伝わる話

沖縄の伝承としては、『遺老説伝』の第103話「与那覇村の人竜宮に遊ぶこと」と浦島伝説との類似性が指摘される[10][11][12]。粗筋は次のようなものである。

南風原(はえばる)の与那覇村(よなはむら)の男が、与那久浜(よなくばま)で髢(かもじ。髪の毛)を拾う。探しているそぶりの美女に返すと感謝され、竜宮に招待したいと言われる。男が(手を)引かれて歩くと海が二つに割れて道が開け、竜宮に通じていた。その美女は神であり、男と竜宮で歓待の日々を過ごすことになる。三ヵ月ほど経つと男は故郷が恋しくなり帰郷を思い立つ。神女は、元の世を去ってからすでに三十三代経っており、男には子孫もいないと諭すが、断念させられない。そこで向かう所に道が開けるという(しかし絶対に開けてはいけない)紙包みを渡し里帰りさせる。男が郷里に帰り着くと辺りは変わり果て、自宅を指さし家族について尋ねるが、嘲笑され癩人扱いされる。なすすべなくなった男は丘に登り桑の杖を突きたてて穏作根(坐って休み)。ふと、何か良策が出るかと思って紙包みを開いたが、中に入っているのは白髪だけで、それが飛びついて体に付着すると、老爺と化し動けなくなって死んだ。地元の者が老爺をその場所に神として祀ったのが、穏作根嶽(うさんにだき)であるという[13][11]

この説話の主人公は無名だが、設定はおおむね浦島子伝説と合致する。本土のものと道具立てが異なり、玉匣(たまくしげ)は開けてはならぬ紙包みに置き変わり、その包みのなかの白髪が接触することで老化現象がおこる[12]

また、桑の木は、杖から生えてくるまで島には伝来していなかったとするので、神の国か伐られたものと推察できる[10]、異話では、竜宮まで戻る道を開ける手段は、(紙包とは別に与えられた)桑の木の杖を海に投じることであった[14]

近代における改変

竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に話すにはふさわしくない内容[注釈 4]が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)されている[注釈 5]。これは、明治時代国定教科書向きに書き換えられたためである。このいわゆる「国民童話」版は、巌谷小波が、国定教科書の準備委員(教科用図書調査委員会の芳賀矢一)の要請を受けて執筆されたものとされる[15]

歴史・解釈

 『丹後国風土記』を基にして解釈すれば、主人公は風流な男である浦島子と、神仙世界の美女であり、その二人の恋が官能的に描かれて異界(蓬莱山)と人間界との3年対300年という時間観念を鮮明に持つ。その語り口は、古代にあっては非常に真新しい思想と表現であり、神婚神話や海幸山幸神話などとはまったく異質であり、結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な尸解譚になっているのもそのためである。[独自研究?]

『丹後国風土記』逸文によれば、その記事は連(むらじ)の伊預部馬養(いよべのうまかい)という人物が書いた物語を本にしたものでありこの人物は7世紀後半の学者官僚で『律令』選定、史書編纂に係わり皇太子学士を勤め、『懐風藻』に神仙思想を基にした漢詩を残す当代一級の知識人であった。もともとあった伝承を採集しそれを編集、脚色したと思われる。平安時代になると浦島物語の舞台の丹後地方で、浦島明神という神社が浦島子を祀り人々の信仰を受け、中央の浦島物語と呼応する形で出てきたものと考えられる。[独自研究?]

平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた。[独自研究?]

12世紀以降になると、『俊頼髄脳』をはじめ『奥儀抄』、『和歌童蒙抄』など歌論書に浦島物語が登場し、仮名で書かれ宮廷や貴族達の間に浦島物語が広く浸透した。[独自研究?]

中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた。[独自研究?]

明治期には長谷川武次郎が『日本昔噺』(ちりめん本)の一篇としてまとめ、ジェームス・カーティス・ヘボンバジル・ホール・チェンバレン、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英訳を行った[要出典]。1897年にはハーンの著書『Out of the East』によっても紹介されている[16]

さらに巌谷小波が前代の物語を恩返しに主眼を置いた子供向けの読み物に改作し、ダイジェスト版が明治43年から35年間、国定教科書の教材になり定着していった[17]

疾患的解釈

浦島太郎は、メラノサイト自己抗体ができ、半年程度の短期間で毛髪眉毛などが白髪になるフォークト―小柳―原田病を描いていると指摘されている[18][19]

ゆかりの神社仏閣

  • 慶運寺神奈川県横浜市神奈川区) - 明治時代に焼失した観福寿寺の、聖観世音菩薩像を安置。
  • 浦嶋神社京都府与謝郡伊根町) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では天長2年(825年)に創建。丹後半島にはこのほかにも浦島伝説に基づく神社がある。
  • 浦島神社香川県三豊市) - 荘内半島一帯には、太郎が生まれたという生里、箱から出た煙がかかった紫雲出山ほかたくさんの浦島伝説に基づく地名が点在している。太郎が助けた亀が祀られている亀戎社もある。
  • 寝覚の床臨川寺長野県上松町) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。
  • 知里付神社真楽寺愛知県武豊町) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。日照りの際の雨乞いに使われたという。また、真楽寺の境内には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている

類似の物語

  • 時代、李朝威中国語版によって書かれた伝奇小説「柳毅伝中国語版」は若い書生柳毅が竜王の娘を助け、洞庭湖の竜王のもとに赴き、後に娘をめとって竜王となる話である。柳毅は竜王となった後、長い年月がたっても若いままであるが、それは仙薬によるものであると説明されている[20]
  • アイルランド神話に、美しい海の乙女と「常若の国」に行き楽しく過ごして3年ぶりに故郷に帰っきたら300年経っていたというストーリー『ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)』[21]がある。
  • クルアーン』の「洞窟の章」には、アッラーフによって309年間洞窟で眠っていた男達の話がある。これは「エフェソスの7人の眠り男」と呼ばれる、ローマ帝国の迫害から逃れた人々が洞窟に閉じこめられたが、200年以上たった後、そのうち一人の男が目覚め街に姿を現したという説話が元になっている[16]

派生

唱歌

文部省唱歌「浦島太郎」は、1900年の『幼年唱歌』に掲載された「うらしまたろう」(作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵)と、1911年の『尋常小学唱歌』に掲載された「浦島太郎」(作詞・乙骨三郎、作曲者不明)とがある。「昔々浦島は助けた亀に連れられて」で始まる歌は、『尋常小学唱歌』の「浦島太郎」である。

ウラシマ効果

物理学アインシュタイン相対性理論によれば、運動している物体の時間の経過は、静止している物体のそれに比べて相対的に遅くなる。この現象は日常的には判らないが、光速に近づくと顕著になり、理論的には、光速に達すると時間は止まってしまう。そのため、光速に近い速度の宇宙船に乗って宇宙旅行をして帰還すると、地上では宇宙船での何倍もの時間が経過しており、宇宙船の乗組員は、さながら浦島太郎の様相を呈することとなる。そのため、日本では、この効果のことを俗にカタカナで表記して「ウラシマ効果」と呼ぶが、物理学用語ではない。

『浦島太郎』と違うのは、宇宙旅行した当人はそのままの状態が維持される点であり、物語の浦島太郎の様に玉手箱を開けるなどの行為で加齢すると言うことはない

豊田有恒藤子不二雄など複数のSF作家漫画家が、時間経過が遅くなる現象を背景に、浦島太郎の物語の筋書きをめぐり「主人公が宇宙人とともに亀(円盤型宇宙船)に乗って、竜宮城(異星)へ光速(亜光速)移動したために地球との時間の進み方にズレが生じた」とする解釈を提示している。また、光速ないし亜光速で飛行する宇宙船が登場する作品ではしばしば時間の経過のズレを指して「ウラシマ効果」として言及する。

詳細は時間の遅れ双子のパラドックスを参照。

「浦島太郎(花子)状態」

竜宮城から故郷に戻るとまったく見知らぬ土地になっていたという浦島太郎の立場になぞらえ、長い間離れていた所に久しぶりに戻ると別世界になっており面食らうことを、古くは「今浦島」現在では「浦島太郎である」「浦島太郎状態にある」などと言う。女性の場合は浦島花子(うらしまはなこ)。「日本国外に住み日本の流行に疎くなったり違和感を覚えてしまう」「出向先から戻って本社の変貌ぶりにまごつく」「世間から離れていたために時事ニュースや新しい技術を知らず、時代に取り残されたと感じる」などの状態を自虐的に表現する際に用いる。

テレビ CM

ヴァリグ・ブラジル航空(VARIG、現在は倒産しゴル航空に路線を買収された)は、1970年代から80年代にかけてリオデジャネイロ - サンパウロ - 東京線直行便の宣伝のため、浦島太郎をモチーフにした テレビCMブラジル国内において、放映していた。この宣伝歌はオリジナルソングで日系人歌手のローザ・ミヤケポルトガル語版(三宅ローザ)によって歌われた。3部作となっており、浦島太郎は助けた亀に乗せられて竜宮城ではなくブラジルへ連れて行かれ、時が過ぎて老人になってしまった浦島太郎が、乙姫から貰った玉手箱を開けると若返り、箱の中にはヴァリグ航空の日本行きチケットが入っているというものであった。第2部は大阪万博、第3部は日本便を紹介している。

日本行き直行便はVARIGと日本航空両社交代で毎日飛行していたが、ヴァリグ倒産時に路線もろとも廃止となり、さらに日本航空がブラジル路線から撤退したため、日本~ブラジル間を運航する直行便はなくなった。

生物

サトイモ科ウラシマソウは、肉穂花序の先端部が先細りに長く伸び、次第に垂れるものを釣り竿に見立てての命名である。

クモ目ウラシマグモの場合、このクモそのものでなく、近縁種のオトヒメグモに対比して名付けられた。

その他

海底にある龍宮城へ行ったという伝説から、海洋研究開発機構が研究している自律型深海巡航無人探査機うらしまと命名された。

2015年10月初旬、小惑星探査機「はやぶさ2」が目指す小惑星1999 JU3の名称が「Ryugu」(リュウグウ)に決定された。

浦島太郎に関連する作品

『浦島太郎』の話を原案とした作品

浦島太郎 (1918年の映画)
国産アニメ映画の創始者の1人である北山清太郎が手がけたアニメ映画。この当時は、セル画などの技術が日本に伝わっていないため、半紙のような薄い紙に少しずつ動きの異なるキャラクターを描いていき、それを1枚1枚撮影する、所謂「ペーパーアニメーション」方式で制作されていたという。本作は、ながらくフィルムが現存しないとされていたが、2007年に発見された。上映時間は1分、16fps、35mmフィルム、無声、染色。
TARO URASHIMA(ミュージカル、2016年上演)
る・ひまわりと明治座により企画されたオリジナル作品。2016年8月に明治座で上演。脚本は池田鉄洋、演出は板垣恭一、主演は木村了[22]
お伽草紙太宰治、1945年刊行)
昔話を題材とした連作中の一篇「浦島さん」。
「男はつらいよ/浪花の恋の寅次郎」
冒頭の夢のシーンで寅さんが浦島太郎になり原公が亀になる。竜宮城ではマドンナの松坂慶子が乙姫になる。
「ウルトラQ/育てよ!カメ」
太郎少年がギャングに誘拐された時、育てていたゼニガメが怪獣ガメロンになり竜宮城へ向かうが乙姫はロケットに乗ったおてんば少女で龍がいた。しかし、全ては授業中に太郎が見た夢だった。

『浦島太郎』の話を題材とした作品

洞窟の人々(タウフィーク・アル=ハキーム英語版、1933年)
クルアーン』の洞窟の章を元にした、300年間洞窟で眠っていた男たちが、突然目覚めるという物語。作中、王女プリスカの教育係ガリヤースは数百年後に人が突然戻ってくることの例として、漁に出てから4世紀の後戻ってきた男として「ウラシマ」をあげる。ガリヤースはウラシマがその間何をしていたかという質問には答えられなかったが、プリスカはその理由を導き出す。アル=ハキームはラフカディオ・ハーンの『Out of the East』から浦島太郎の知識を得たとされる[16]

脚注

注釈
  1. ^ 何故、開けてはならないか、開けた場合どのような状況が生起するかについての合理的な説明がなされないまま禁止のみが言い渡される。
  2. ^ 「𠮧」は口偏にりっとう(刂)
  3. ^ 乙姫が枝に光を照らしたとされる松は、大正時代に枯死。
  4. ^ 乙姫との官能的な性生活の描写などが含まれる。
  5. ^ 浦島太郎を乙姫との知的な会話やヒラメの踊りの鑑賞のみによって満足するという欲求に対し抑制的で謙虚なパーソナリティの持ち主として表現している。
出典
  1. ^ 瀧音能之「浦島」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版 2004年 36ページ
  2. ^ toka3aki 「国土としての始原史~風土記逸文」~山陰道 - 露草色の郷(『丹後国風土記』(たにはのみちのしりのくにのふどき)の逸文テクスト。「浦嶼子」は『釋日本紀』〈卷十二〉からの引用)
  3. ^ 沢瀉久孝 編 (1941年). “上代文学選. 上”. 三省堂. 2015年7月15日閲覧。
  4. ^ [1]
  5. ^ 今泉定介, 畠山健 校定 (1891年). “御伽草子. 後”. 2015年7月16日閲覧。
  6. ^ 久野昭『日本人の他界観』吉川弘文館、1997年、44–46頁https://books.google.co.jp/books?id=XMcEAQAAIAAJ 
  7. ^ 泉, 滋三郎= (1999), “茶の湯と日本人の自然観”, 神奈川歯科大学基礎科学論集 : 教養課程紀要 = Bulletin of liberal arts and science 17: 13–14 
  8. ^ 神奈川区の歴史
  9. ^ 神奈川区のマスコットマーク・シンボルマーク
  10. ^ a b 柳田國男『海南小記』大岡山書店、1925年、225–7頁http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1871757 
  11. ^ a b 浦野聡; 深津行徳『人文資料学の現在 I』春風社、2006年、294–6頁https://books.google.com/books?id=v9ntujlTOHoC&pg=PA294 
  12. ^ a b 倉田一郎『国語と民俗学』あかね書房、1961年、55–57頁https://books.google.com/books?id=x4hIAAAAMAAJ 
  13. ^ 平良直「南島の伝承における御獄(ウタキ) : 「球陽外巻遺老説伝」における御獄の解釈を中心に」『比較民俗研究』第11巻、183頁、1995年http://hdl.handle.net/2241/14337 
  14. ^ 水野 1975, pp. 176–178: "桑の木の呪杖"
  15. ^ 三浦 1989, pp. 21, 34–35
  16. ^ a b c 榮谷温子エジプトに渡った浦島太郎 : タウフィーク・アル=ハキーム『洞窟の人々』をめぐって」(1989年)
  17. ^ 三浦 1989, pp. 21, 35, 49–51
  18. ^ 日本眼科学会 - ぶどう膜の病気 - フォークト―小柳―原田病
  19. ^ 「眼科ケア」、メディカ出版、2006年4月号P58-59「物語にみる眼疾患をチラッと検証! めだま千夜一夜 第一回 - 「浦島太郎は原田病だった!?」」
  20. ^ 項青「浦島説話と柳毅伝 ―両作品の文学表現と神仙道教思想の受容―」(1994年)
  21. ^ ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)エールスクエア
  22. ^ “浦島太郎がミュージカルに!木村了主演「TARO URASHIMA」脚本は池田鉄洋”. ステージナタリー. (2016年5月1日). http://natalie.mu/stage/news/185708 2016年5月2日閲覧。 

参考文献

  • 三浦佑之浦島太郎の文学史: 恋愛小說の発生』五柳書院、1989年。ISBN 4906010369https://books.google.co.jp/books?id=HRzUAAAAMAAJ 
  • 林 晃平 『浦島伝説の研究』 おうふう ISBN 4273031531
  • 水野祐『[url=https://books.google.com/books?id=ybEEAAAAMAAJ 古代社会と浦島伝説〈上〉 - 浦島伝説の歴史的形成]』雄山閣、1975年。url=https://books.google.com/books?id=ybEEAAAAMAAJ 
  • 宮田 登 他 『日本「神話・伝説」総覧』〈愛蔵保存版〉新人物往来社 ISBN 4404020112
  • 関裕二古代史の謎 未解決のあの事件あの人物の正体が次々と明らかに!』PHP研究所、2008 。ISBN 9784569704456https://books.google.co.jp/books?id=R_UKFxrZxewC&pg=PT272 

関連項目

類似説話

派生事項

これまで扮した芸能人

外部リンク