「闇サイト殺人事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (web.archive.org) (Botによる編集) |
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
||
(4人の利用者による、間の14版が非表示) | |||
1行目:
{{半保護}}
{{画像提供依頼|事件現場(殺害現場)の写真(位置座標付きで、現場の様子・雰囲気などがよくわかる写真)|date=2021年9月|依頼ページ=Portal:日本の都道府県/愛知県/画像提供依頼|cat=愛西市}}
{{画像提供依頼|事件現場(死体遺棄現場)の写真(位置座標付きで、現場の様子・雰囲気などがよくわかる写真)|date=2021年9月|依頼ページ=Portal:日本の都道府県/岐阜県/画像提供依頼|cat=瑞浪市}}
{{告知|提案|[[ノート:闇サイト殺人事件#実名記載の可否について|無期懲役が確定した受刑者「山下」の実名記載に関して]]}}
{{Notice|本記事の主題である闇サイト殺人事件および、[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]の加害者である'''[[堀慶末]]'''([[死刑囚]])は、実名で自身が関与した事件に関する著書を出版しており、[[WP:DP#B-2]]の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。}}
11 ⟶ 13行目:
|画像={{Location map+|Japan zoom Aichi and Gifu|width=|caption=事件現場|places=
{{Location map~|Japan zoom Aichi and Gifu|lat_deg=35|lat_min=10|lat_sec=20.8|lat_dir=N|lon_deg=136|lon_min=57|lon_sec=51.8|lon_dir=E|position=right|background=#FFF|label=拉致現場}}
{{Location map~|Japan zoom Aichi and Gifu|lat_deg=35|lat_min=
{{Location map~|Japan zoom Aichi and Gifu|lat_deg=35|lat_min=19|lat_sec=51.7|lat_dir=N|lon_deg=137|lon_min=17|lon_sec=14.2|lon_dir=E|position=top|background=#FFF|label=死体遺棄現場}}
}}
|脚注=
|場所= {{JPN}}:[[愛知県]]および[[岐阜県]]
* 拉致現場 - 愛知県[[名古屋市]][[千種区]][[春里町 (名古屋市)|春里町]]2丁目4番地の1付近の路上{{Efn2|name="拉致現場"|[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]] (2009) によれば、拉致現場
* 殺害現場 - 愛知県[[愛西市]][[内佐屋町]]西新田39番1{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}(屋外駐車場){{Efn2|name="殺害現場"|殺害現場(愛西市内佐屋町西新田)は<ref name="中日新聞2007-08-27"/>、[[国道155号]]沿いにあるレストランの屋外駐車場(レストランの建物から国道を隔てた場所にある第二駐車場)の奥だった{{Sfn|大崎善生|2016|p=234}}。2016年時点で、駐車場の敷地のうち、半分は産業廃棄物処理場となっている{{Sfn|大崎善生|2016|p=19}}。}}<ref name="中日新聞2007-08-27">『[[中日新聞]]』2007年8月27日朝刊第12版一面1頁「路上で女性拉致、殺害 第2の犯行も計画 闇サイトで知り合う 男3人を逮捕 遺棄容疑で愛知県警 強殺でも追及」([[中日新聞社]]) - 『中日新聞』[[新聞縮刷版|縮刷版]] 2007年(平成19年)8月号1133頁</ref>
* 死体遺棄現場 - 岐阜県[[瑞浪市]]稲津町小里(山林){{Efn2|name="死体遺棄現場"|死体遺棄現場の山林(岐阜県瑞浪市稲津町小里)は、「{{ウィキ座標|35|19|50.2|N|137|17|14.2|E|オプション|御料林橋}}<!--「御料林橋」の位置座標は、『ゼンリン住宅地図 岐阜県瑞浪市 2018.12』(ISBN:978-4432466405)149頁より確認可能。-->」北東に位置する<ref name="中日新聞2007-08-27"/>。この場所は、[[岐阜県道33号瑞浪上矢作線]]から20 m程度入った場所<ref name="中日新聞2007-08-26"/> ないし、「([[恵那市]]との境界にある)山林の東の[[小里川ダム]]に通じる県道(33号)のバイパス道路を上って行き、「{{ウィキ座標|35|19|38.46|N|137|17|15.64|E||川折大橋}}」<!--<ref>{{Cite book|和書|title=岐阜県道路地図|publisher=[[昭文社]]|year=2019|page=32|author=(発行人)[[黒田茂夫]]|edition=4版5刷|series=[[県別マップル]]|isbn=978-4398626547|NCID=BB18699119|id={{国立国会図書館書誌ID|025968417}}|chapter=瑞浪 (1:30000)|volume=21}}</ref>-->の手前から工事用に造られた脇道を[[小里川]]に向かって70~80メートル入った場所」<!--(丸括弧内を除き原文ママ引用)-->で<ref name="毎日新聞 遺棄現場">『毎日新聞』2007年8月27日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:工事用の脇道、深夜車少なく--遺棄現場」(毎日新聞中部本社 記者:小林哲夫)</ref>、鎖により車両の侵入が禁止されていた[[林道]]の脇だった{{Sfn|集刑|2012|p=110}}。}}<ref name="中日新聞2007-08-27"/>
|緯度度= |緯度分= |緯度秒=
|経度度= |経度分= |経度秒=
24 ⟶ 26行目:
|日付= [[2007年]]([[平成]]19年)[[8月]]
|時間=
|開始時刻= [[8月24日|24日]]23時10分ごろ(拉致)
|終了時刻= [[8月25日|25日]]1時ごろ(殺害)
|時間帯= [[UTC+9]]
|概要= [[インターネット]]の[[闇サイト]]で知り合った男3人が、互いに[[共謀]]した上で、夜道で帰宅途中の女性を拉致して金品を奪い、殺害することを計画<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。名古屋市千種区内で帰宅途中の被害者Aを拉致し、金品を奪った上で殺害した<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。
75 ⟶ 77行目:
{{TOC limit|3}}
== 概要 ==
加害者らはいずれも闇サイトで出会った当時から{{Efn2|「山下」は『[[中日新聞]]』宛の手紙で、このように共犯者たちと互いに虚勢の張り合いを続けた末に自制心が働かなくなった旨を述べている<ref name="中日新聞2007-12-26"/>。}}、互いの素性を知らないまま、偽名を使っていたり、相手から馬鹿にされないように「[[暴力団]]に関係していた」と虚勢を張ったり<ref group="注" name="エスカレート"/>、虚実ないまぜに過去の犯罪歴を自慢し合ったりした<ref group="注" name="山田麻紗子"/><ref>『中日新聞』2009年3月19日朝刊第二社会面30頁「ニュース前線 千種拉致殺害 闇の接点 きずな裂く 下された極刑 重い警告」(中日新聞社 社会部記者:北島忠輔)</ref>。それが次第にエスカレートし<ref group="注" name="エスカレート"/>{{Sfn|大崎善生|2016|p=215}}、最終的には強盗殺人を起こすに至った。
82 ⟶ 85行目:
本事件は、インターネット上の掲示板を通じて集まった加害者らが利欲目的で、初めて顔を合わせてからわずか数日後に{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}、それまで面識のない帰宅途中のごく普通の女性会社員を拉致・監禁し、惨殺した事件として{{Sfn|集刑|2012|p=114}}、大きく報道された{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。また、その犯行手口から{{Sfn|集刑|2012|p=114}}、社会に「いつ誰でも同じような被害に合うかもしれない」」という大きな衝撃・恐怖感・不安感を与え{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}、加害者3人への極刑を求める世論が沸き上がった{{Sfn|コトバンク|2016}}。被害者Aの母親は加害者3人への極刑適用を求めた[[署名]]活動を行い、事件発生から5年間で33万人以上の署名を集めた{{Sfn|極刑陳情書への署名を募っていたサイト}}ほか、[[法務大臣]]・[[検事総長]]への請願や、犯罪被害者遺族への支援拡大を求める活動などを行っている<ref name="中日新聞2015-06-25 社会"/>。
事件発生直後、『[[中日新聞]]』『[[読売新聞]]』『[[毎日新聞]]』はそれぞれ[[社説]]で、インターネットの匿名性が反社会的行為に悪用される危険性{{Efn2|『毎日新聞』は社説 (2007) で、インターネット犯罪の特性として、匿名性(身元特定の困難さ・証拠の残りにくさ)に加え、短期間に不特定多数と連携することが可能な点や、顔が見えないことでやり取りに抵抗感が薄れ、虚実ないまぜになって意見や主張がエスカレートする点を指摘している<ref name="毎日新聞 社説"/>。}}や、本事件以前から[[サイバー犯罪|インターネットを利用した犯罪]]が続出していた{{Efn2|本事件の約4年前から、インターネットで[[殺し屋]]を依頼する事件が目立っていた<ref name="毎日新聞 社説"/>。2003年(平成15年)10月には[[滋賀県]]でインターネットを利用した殺人依頼の事件が発覚したほか、2005年(平成17年)4月には名古屋市[[中川区]]で、同年12月には[[長野県]][[松本市]]で殺人事件(それぞれ加害者がインターネットで被害者の殺害を依頼し、第三者が実行した事件)が発生した<ref name="ネットで共犯募集">『中日新聞』2007年8月27日朝刊第12版第二社会面24頁「闇サイト 凶行またも ネットで共犯募集 増加」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1158頁</ref>。また、2003年末 - 2004年(平成16年)初めには主犯格が携帯電話のサイトで共犯者を募った連続強盗事件(愛知・[[三重県|三重]]・[[静岡県|静岡]]の3県で発生)が、2007年5月には三重県[[亀山市]]の女子中学生が誘拐される事件(犯人の1人がインターネットで運転手役を手配した)が発生していた<ref name="ネットで共犯募集"/>。}}ことなどを指摘し、違法情報への対策(法規制・摘発の強化など){{Efn2|『中日新聞』は「(ウェブサイトの運営)業者に通信記録の保存を義務付けるなど、法規制の強化が必要だが、法規制は言論の自由や個人のプライバシーを侵害しかねない側面もある。司法・行政・有識者らでプロジェクトチームを作り、監視社会を招かずに凶悪犯罪を防止できる方法を練る必要がある」と<ref name="中日新聞2007 社説"/>、『読売新聞』は「サイト運営に責任を持つ管理者が、問題情報の自主的な削除を積極的に進めるべき」とそれぞれ指摘した<ref name="読売新聞 社説"/>。}}の必要性を訴えた<ref name="毎日新聞 社説">『毎日新聞』2007年8月29日東京朝刊内政面5頁「社説:携帯サイト殺人」(毎日新聞東京本社) 匿名化の行き過ぎ見直す時」(毎日新聞東京本社)</ref><ref name="中日新聞2007 社説">『中日新聞』2007年8月29日朝刊社説・発言面7頁「社説 女性拉致殺害 凶悪犯罪招いた匿名性」(中日新聞社)</ref><ref name="読売新聞 社説">『読売新聞』2007年8月29日東京朝刊三面3頁「[社説]愛知女性殺人 闇サイトの実態を徹底解明せよ」(読売
== 事件前の経緯 ==
本事件の加害者である'''「山下」'''(当時40歳・「山下」は偽名/本名のイニシャル「K・K」)は{{Sfn|大崎善生|2016|p=200}}、事件の8年ほど前から[[日本の携帯電話|携帯電話]]で闇サイトを利用し続けていた<ref name="中日新聞2007-09-15"/>。「山下」は本事件以前に、闇サイトを利用した別の詐欺事件を起こし<ref name="毎日新聞2009-03-14">『毎日新聞』2009年3月14日中部朝刊社会面23頁「曲がり角で:18日・闇サイト殺人判決/上 意思疎通なき寄せ集め集団」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>、[[2005年]](平成
一方、本事件後に夫婦殺害事件の余罪が判明した'''堀 慶末'''(本事件当時{{年数|1975|4|29|2007|8|24}}歳){{Efn2|堀慶末は[[1975年]](昭和50年)4月29日生まれ{{Sfn|集刑|2012|p=91}}。}}は2007年3月、同居女性の金を遣い込んだことが露見し、激怒した彼女によって家を追い出された{{Sfn|堀慶末|2019|pp=114-115}}。その後、堀は別の知人女性宅で同居していたが、先述の女性への[[借金]]{{Efn2|借金の合計額は計440万円<ref name="中日新聞2012-08-23"/>。}}の返済手段を求め、ネットサーフィンをしていたところ{{Sfn|堀慶末|2019|pp=115-117}}、携帯電話の闇サイト<ref name="中日新聞2007-08-27 夕刊"/>「'''闇の職業安定所'''」(以下「闇の職安」){{Efn2| name="闇の職安"|加害者3人が知り合うきっかけとなった「闇の職業安定所」は<ref name="中日新聞2007-08-27 夕刊"/>、犯罪の仲間や協力者を募る目的で利用されていたウェブサイト<ref name="中日新聞2007-08-27"/>。事件発覚後の2007年8月27日朝までに閉鎖されていることが判明した<ref name="中日新聞2007-08-27 夕刊">『中日新聞』2007年8月27日夕刊E版第一社会面13頁「千種・拉致殺害 『闇の職安』サイト閉鎖 事件と関連、確認へ」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1173頁</ref>。}}を見つけ、同サイトの[[電子掲示板|掲示板]]に投稿するようになった{{Sfn|堀慶末|2019|p=117}}(同年6月ごろ){{Sfn|大崎善生|2016|p=201}}。堀はまず、借金および[[未払金]]回収の仕事を募集する書き込みを見て、投稿主と接触したが、無報酬に終わったため、自ら掲示板に「名古屋周辺で何か仕事はないか」と仕事募集の投稿をした{{Sfn|堀慶末|2019|pp=118-119}}。
99 ⟶ 102行目:
=== 8月22日 ===
翌日(2007年8月22日)、KT・堀・「山下」の3人は、前日から考えていたパチンコの常連客襲撃と、KTが提案した偽装[[養子縁組]]の子役の男からの取り立て{{Efn2|その子役はKTから報酬を払われたが、役目を果たさずに逃げたため、KTが振り込んだ金を回収しようとしていた{{Sfn|大崎善生|2016|p=209}}。彼は2007年8月より数か月前、居宅のアパート([[日進市]])から[[東京]]へ引っ越していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=214}}が、後に口座の売買で逮捕された{{Sfn|堀慶末|2019|p=136}}。}}を並行して行おうとしていたが、後者は失敗{{Sfn|大崎善生|2016|pp=209-210}}。昼ごろ、「山下」は[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ|TSUTAYA]](名古屋市[[緑区 (名古屋市)|緑区]][[鳴海町|鳴海]])の駐車場でKTと落ち合い、「杉浦」が来るのを待った{{Sfn|大崎善生|2016|p=210}}。この間、2人は虚構の犯罪歴を互いに自慢しつつ談笑していた{{Efn2|name="8月22日"|2007年8月22日、KTは「山下」に対し、「自分は過去に2人ほど殺して(出身地の)[[群馬県|群馬]]に埋めたことがある」「人を殺すのは[[ゴキブリ]]を叩き殺すのと同じだ」などと発言していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=210}}。KTは第9回公判<ref name="公判について"/>(2008年11月26日)でも、堀の弁護人からの被告人質問で、「警察からの取り調べに対し、『2人ほど埋めたことがある』と話した」と供述したが、愛知県警は「そのような事実は把握していない」とコメントしている<ref>『中日新聞』2008年11月27日朝刊第一社会面35頁「『他にも2人埋めた』 千種拉致殺害 公判でKT被告」(中日新聞社)</ref>。}}ほか、KTは「山下」が[[手錠]]を見せてきたところ、「手錠の爪を折らなければ、鍵をかけていても簡単に外される」と言い、ペンチで手錠の爪を折った{{Sfn|大崎善生|2016|p=210}}。しかし、約束の時間になっても「杉浦」は来なかったため、2人は携帯電話の[[出会い系サイト]]を検索し、サイトを用いて[[援助交際]]している人妻を呼び出して現金を奪ったり、そのことを種に脅迫したりすることを考えたが、これも思うように
2人は同日16時ごろ、堀の待つパチンコ店へ移動し、地下駐車場で(前日と同じ常連客を)待ち伏せ、[[千種区]]内の高級マンション{{Efn2|しかし、このマンションは実際には常連客の居宅ではなく、会社の事務所だった{{Sfn|堀慶末|2019|p=132}}。}}まで尾行に成功したが、KTがマンションの駐車場を確認したところ、[[防犯カメラ]]が多数設置されていた{{Sfn|大崎善生|2016|p=211}}。その旨を報告された堀は「それでは無理だろう」と発言したが、KTは「どうせ顔を見られるなら、(常連客の)部屋に侵入して殺してしまおう」と提案{{Sfn|大崎善生|2016|pp=211-212}}。堀・「山下」の両者ともそれに異を唱えなかった{{Efn2|「山下」は、「(常連客を最後は殺してしまえば良いなどという言葉を聞いて)半信半疑の気持ちではあったが、KTの話をまったくの冗談だとは思わず、半分は『実際に人を殺すことになるかもしれない』という気持ちを持っていた」と述べている{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。}}が、マンションはセキュリティが厳重だったため、襲撃計画はいったん見送った上で、18時ごろに「杉浦」と先述のTSUTAYA駐車場で合流した{{Sfn|大崎善生|2016|p=212}}。KTは遅れてきた「杉浦」に苛立ちを露わにしつつも{{Sfn|大崎善生|2016|p=213}}、「'''パチンコ店常連客を襲うんだったら、最悪は殺してしまうことになるかもしれない'''が、それでもいいか」「これは3人の総意なんだ」などと告げた{{Sfn|集刑|2012|pp=118-119}}が、「杉浦」は「強盗殺人は、([[法定刑]]が)[[無期刑|無期]]か死刑しかないから、やりたくない」と拒否した(捜査報告書より){{Sfn|集刑|2012|p=119}}。このため、KTから「「山下」が入手している他人名義のクレジットカード{{Efn2|そのクレジットカードは、かつて「山下」が勤務していた会社の社長の息子宛てに届いた書留を、「山下」が本人を装って受け取っていたものだった{{Sfn|大崎善生|2016|p=213}}。}}で買い物をしてみろ」と提案され、[[コンビニエンスストア]]で煙草2箱を購入してきた{{Sfn|大崎善生|2016|p=213}}。これにより、カードが使えることが分かったため、[[ドン・キホーテ]]で金のネックレスを購入して換金しようとしたが、それ以降はカードが使えなかったため、失敗した{{Sfn|大崎善生|2016|p=214}}。
108 ⟶ 111行目:
このように次々と犯罪計画が失敗に終わったことに加え、それまで下っ端扱いされていたことも相まって、「杉浦」は不満を爆発させた{{Sfn|大崎善生|2016|p=216}}が、KTは「だったら若い女を拉致・監禁してキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出して金を引き出そう。最後は殺してしまえば良い」などと提案し、堀と「山下」もそれに賛同した{{Sfn|大崎善生|2016|p=217}}。この時の話し合いでは、[[風俗嬢]]([[キャバクラ]]嬢・[[ソープランド|ソープ]]嬢)が候補に上がったが、前者はKTが「金を持っていなさそう」と反対し、後者も「山下」が「拉致する場所は[[名駅]]か[[栄 (名古屋市)|栄]]になる。車での逃走が難しい」と、堀も「ソープ嬢はバックに暴力団がついているから、父と兄が暴力団員である自分としては賛成できない」と難色を示した{{Sfn|大崎善生|2016|p=217}}。
その後、KTや堀はそれぞれ帰宅し、「山下」と「杉浦」が2人きりになったが、「杉浦」は自分と考えが違い{{Efn2|「杉浦」はすぐに金を手に入れたがっていた一方で殺人には消極的だったため、秘密組織を結成して長期的に儲ける手段や、殺人を提案してくるKTに反発していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=218}}。}}、自分を見下したような態度を取ってくるKTを嫌い、「KTを外し、堀を含む3人で組みたい」と言い出した{{Efn2|その旨を「山下」から電話で伝えられた堀は、「KTが持っているという覚醒剤・拳銃入手のルートは手放したくないが、すぐに金を手に入れようとする2人の計画にはいつでも協力する」と応じている{{Sfn|大崎善生|2016|p=218}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=218}}。翌日(8月23日)昼ごろ、「山下」は堀と落ち合った際に「ダーツバーの店長が売上金を持ち歩いているので、それを襲おう」と提案され、店長宅を下見しに行った上で襲撃することを約束し合ったが、堀を自宅に送り届けた後で翻意{{Sfn|大崎善生|2016|p=219}}。堀との約束を反故にし、「杉浦」と名古屋市[[瑞穂区]]内で落ち合い、かつて自身が住んでいた[[瀬戸市]]へ向かう途中、給油のために立ち寄った[[尾張旭市]]のガソリンスタンドを「後で襲おう」と決めた{{Sfn|大崎善生|2016|p=219}}。その後、強盗に用いる道具を用意するため{{Efn2|この時、犯行計画を話し合う中で「粘着テープが必要になる」と考えた堀は、「山下」に対し、メールで粘着テープの入手方法を依頼した{{Sfn|集刑|2012|p=109}}。}}、「山下」は20時ごろに名古屋市[[守山区]]内のコンビニで粘着テープを購入したほか、「杉浦」は20時30分ごろに瀬戸市内の[[ジャスコ]]で{{Sfn|大崎善生|2016|p=219}}、包丁(刃
そこで
その後、「杉浦」は建造物侵入・窃盗未遂の罪で[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]に[[起訴]]され<ref>『朝日新聞』2007年10月15日名古屋夕刊第一社会面11頁「事務所荒らしの起訴事実認める 拉致「第4の男」初公判 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref>、後に薬局の強盗を計画した強盗予備罪でも追起訴された<ref name="毎日新聞2007-11-13"/>。「杉浦」は同年11月12日に「犯行はいずれも未遂だが、多大な被害が生じた可能性は高い」として[[懲役]]2年を[[求刑]]され<ref name="毎日新聞2007-11-13">『毎日新聞』2007年11月13日中部朝刊社会面29頁「事務所荒らし:愛知・女性拉致殺害の被告と建造物侵入、被告に懲役2年求刑--名地裁」(毎日新聞中部本社 記者:岡崎大輔)</ref>、同月20日に名古屋地裁(寺澤真由美裁判官){{Efn2|寺澤真由美は2006年(平成18年)6月 - 2010年(平成22年)3月、名古屋地裁・[[名古屋簡易裁判所|名古屋簡裁]]の判事を務めていた(2010年3月31日まで)<ref>{{Cite web|url=https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge3575/|title=寺澤 真由美 <nowiki>|</nowiki> 裁判官|accessdate=2021-03-20|publisher=[[新日本法規出版]]|website=新日本法規WEBサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320054042/https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge3575/|archivedate=2021-03-20}}</ref>。裁判所ウェブサイト (2008) によれば、2008年1月21日時点で寺澤は「名古屋地方裁判所刑事第4部」B係(単独審)を担当していたほか、芦澤政治(部総括判事)・小川貴寛とともに同部の合議係を担当していた<ref>{{Cite web|url=http://www.courts.go.jp/nagoya/saiban/tanto/tisai_tanto.html|title=名古屋地方裁判所 担当裁判官一覧(平成20年1月21日現在)|accessdate=2021-03-20|publisher=最高裁判所|date=2008-01-21|website=裁判所|quote=名古屋地方裁判所刑事第4部 B係 寺澤真由美|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080413010420/http://www.courts.go.jp/nagoya/saiban/tanto/tisai_tanto.html|archivedate=2008-04-13|deadlinkdate=2021-03-20}}</ref>。}}で懲役2年・[[執行猶予]]3年の有罪判決を受けた<ref name="毎日新聞2007-11-21">『毎日新聞』2007年11月21日中部朝刊社会面23頁「事務所荒らし:「闇サイト」被告と共謀、被告に有罪判決--名地裁」(毎日新聞中部本社 記者:岡崎大輔)</ref>。
117 ⟶ 120行目:
{{Maplink2|frame=yes|zoom=10|frame-width=500|frame-height=375|text=拉致現場({{Color box2|#5E74F3}})<ref group="注" name="拉致現場"/>・殺害現場({{Color box2|#FF0000}})<ref group="注" name="殺害現場"/>・死体遺棄現場({{Color box2|#800000}})<ref group="注" name="死体遺棄現場"/>の位置関係
|type=point|coord={{coord|35|10|20.8|N|136|57|51.8|E}}|marker-color=5E74F3
|type2=point|coord2={{coord|35|
|type3=point|coord3={{coord|35|19|51.7|N|137|17|14.2|E}}|marker-color3=800000
}}
=== 殺害の共謀成立 ===
「山下」は同日13時ごろに堀を自宅まで迎えに行ったほか、15時ごろにKTと鳴海のTSUTAYAで落ち合った{{Sfn|大崎善生|2016|pp=224-225}}。その上で、 さらに犯行計画を練るため<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>、3人は名古屋市[[北区 (名古屋市)|北区]]内のファミリーレストランへ入店し{{Sfn|大崎善生|2016|p=225}}、計画について話し合った{{Sfn|大崎善生|2016|p=227}}。先述の理由で風俗嬢は候補から外された一方{{Sfn|大崎善生|2016|p=227}}、堀は[[OL]]の拉致を提案<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>{{Sfn|大崎善生|2016|p=227}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=145}}。その標的は、「黒髪で地味そうな(多額の貯金をしていそうなため)女性で、年齢は20歳代後半 - 30歳代前半ほど」とされた{{Sfn|堀慶末|2019|p=146}}ほか、KTは「今日(8月24日・金曜日)なら給料日{{Efn2|民間企業の多くは25日を給料日としているが、同日が土曜日・日曜日の場合は、その直前の金曜日に給与が振り込まれる場合が多いため{{Sfn|NHK「事件の涙」取材班|2020|p=26}}。}}になるだろうし、しばらく拉致・監禁すれば、ある程度まとまった金を引き出せる{{Efn2|KTは「今日拉致して暗証番号を聞き出せば、(ATMで引き出せる金額は1日50万円までであるため)今日から月曜日までに200万円を引き出せるだろう」と発言していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=227}}。預金の引き出しを「月曜日まで」と決めた理由は、標的を換金した際、その標的が出勤してこないことを職場の人間などが気にかけて警察に連絡する可能性を想定したためである{{Sfn|堀慶末|2019|p=146}}。}}だろう。標的は(家族と同居していると、家族がすぐに警察に届ける虞があるため)1人暮らしが良い。1人暮らしなら、その部屋に居座って監禁することもできる」と提案した{{Sfn|大崎善生|2016|pp=227-228}}。
次いで、堀は監禁場所として、名東区[[高針]]のアパートを提案したが{{Sfn|大崎善生|2016|p=228}}、その部屋はかつて堀が起こした[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]の共犯者である元仕事仲間の部屋だった{{Efn2|この時、その碧南事件の共犯者は堀から「3日ぐらい部屋を使わせてほしい」と頼まれると、「今は電気料金を滞納して電気を止められている。友人の家で寝泊まりしているので、電気代を肩代わりしてくれるなら使っても良い」と応じた{{Sfn|堀慶末|2019|p=146}}ものの、実際には犯行で使用されることはなかった。}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=146}}。次いで、KTは「闇の職安」で[[現金自動預払機]] (ATM) から預金を引き出す「出し子」を探したが、ふさわしい人材が見つからなかったため、「山下」が引き出しを行うことになった{{Sfn|大崎善生|2016|p=228}}。そして、拉致場所について相談し、堀の提案通り、高級住宅街の多い[[名古屋市営地下鉄東山線]]の沿線([[覚王山]]・[[一社]]・[[上社 (名古屋市)|上社]]・[[本郷 (名古屋市)|本郷]]方面)に決まった{{Sfn|大崎善生|2016|p=228}}。また、KTは「山下」に対し、被害者が騒ぐといけないので、「車の中でレイプはしないで下さい」「監禁した後は、一緒に寝泊まりしてくださって結構ですから」と言い、「山下」もそれを了承した{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 9 8月24日□□□店での状況等}}。
こうして、3人は19時過ぎに話し合いを終え、レストランを退店<ref group="注" name="殺害共謀時刻"/>{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}。通行中のOL(20歳代後半 - 30歳代)を拉致して金品を奪い、犯行の発覚を阻止するために殺害して、死体を遺棄する旨の犯行計画が決められた<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。
=== 拉致 ===
{{Maplink2|frame=yes|type=point|zoom=13|frame-width=300|coord={{coord|35|10|20.8|N|136|57|51.8|E}}|text={{ウィキ座標|35|10|20.8|N|136|57|51.8|E|region:JP-23|name=闇サイト殺人事件・被害者Aを拉致した現場付近|拉致現場周辺の地図}}:愛知県名古屋市千種区[[春里町 (名古屋市)|春里町]]
[[File:Chikusa 20210921-02.jpg|thumb|拉致現場付近(千種区春里町2丁目4番地の1)の路上。2021年9月撮影。]]
[[File:Chikusa 20210921-03.jpg|thumb|上記地点を逆方向から撮影した写真。]]
ファミリーレストランを退店後、3人は「山下」の運転する車(リバティ<ref group="注" name="リバティ"/>)で標的の物色を開始{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}。KTと堀は互いに軍手を嵌め{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}、KTが2列目シートの助手席側に{{Sfn|堀慶末|2019|p=147}}、堀が運転席側にそれぞれ座り{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}、拉致する標的が車の左方にいた場合はKTが、右方にいた場合は堀がそれぞれ拉致を実行することになった{{Sfn|堀慶末|2019|p=147}}。そして、拉致した女性をKTと堀の足元(2列目シートの床上)に横向きに座らせる{{Efn2|そのため、2列目シートの足元の空間を広くするため、助手席は限界まで前に出し、その足元に軍手と金槌を置いた{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}。包丁は運転席のドアポケットに、金槌はホームセンターの袋に入った状態で座席の下に入れていた{{Sfn|堀慶末|2019|p=147}}。}}こととなった{{Sfn|堀慶末|2019|p=147}}。また、堀は粘着テープを15 cm程度にちぎったものを4枚重ね合わせ、口を塞ぐための特殊なテープを作って用意していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}。
その状態で、3人はATMで預金を下ろした後のOLを狙い{{Sfn|大崎善生|2016|p=229}}、まずは覚王山・本山付近に向かい、その後は一社・本郷など
同日23時ごろ、「山下」は春里町2丁目付近で{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}、被害者Aが車の前方から歩いてきたところを発見{{Sfn|堀慶末|2019|p=149}}。Aの見た目は標的の条件に合致していたため{{Sfn|大崎善生|2016|p=230}}、3人ともAを拉致することを決めた{{Efn2|まず、Aの姿を見た「山下」が「あれどう」などといったところ、堀も賛同した{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=149}}。「山下」は車をUターンさせてAを尾行し、Aの母校でもあった[[名古屋市立自由ヶ丘小学校|自由ヶ丘小学校]]<ref group="注" name="拉致現場"/>の専用歩道橋(校舎と道路を隔てた先にある運動場を結ぶ歩道橋)の付近でAを追い抜くと、約10 m先にあったマンションの駐車場前(道路の左側)で停車し、Aを待ち伏せた{{Sfn|大崎善生|2016|pp=8-9}}。この停車地点が、拉致現場(春里町2丁目4番地の1付近の路上)である<ref group="注" name="拉致現場"/>{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}。
23時10分ごろ{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}、Aが車の右脇を通り過ぎた際、堀が後部ドアを開けて降車<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。堀はAに道を尋ねるふりをして、背後から近づき、Aが立ち止まったところ、口を右手で塞ぎ<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>、左手でAの腹部辺りを押さえ、背後から抱きかかえるようにした{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。そして、Aをリバティの後部座席(運転席側)のスライドドアから車内に押し込み、KTも車内からAを車内に押し込むようにして{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}、Aを拉致・監禁した{{Sfn|集刑|2012|p=98}}。そして、堀はAの右手に手錠を掛け、予め口を塞ぐために用意してあった粘着テープをAの口に貼り付け、完全に抵抗できない状態にした{{Sfn|集刑|2012|p=111}}上で、シート下の床に座らせた{{Efn2|またこの時、車外から目撃されないよう、Aにシャツとタオルを掛けていた<ref name="検察側冒頭陳述要旨"/>。}}<ref name="検察側冒頭陳述要旨">『[[毎日新聞]]』2008年9月26日中部朝刊社会面25頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人 3被告、争う姿勢--初公判 検察側冒頭陳述要旨」([[毎日新聞中部本社]])</ref>。3人はそのまま、Aを乗せたまま車を走らせ、人目に付かない場所まで連行した<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。
「山下」は当初、Aを堀の用意した部屋へ拉致するため、高針方面へ車を走らせたが、KTが「人気のない方へ行け」と指示{{Sfn|大崎善生|2016|p=231}}。「山下」は[[国営木曽三川公園|木曽三川公園]]方面へ向かうことに決め{{Efn2|この時、堀は「山下」に対し、[[自動車ナンバー自動読取装置|Nシステム]]がある幹線道路を避けるよう指示している{{Sfn|大崎善生|2016|p=232}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=150}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=233}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=150}}、[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]から[[愛知県道200号名古屋甚目寺線]]に出て西進した{{Sfn|大崎善生|2016|p=232}}。しかし拉致から約15分後{{Sfn|大崎善生|2016|p=233}}、[[国道155号]]を南進していたところ、Aが「吐きそう」と訴えたため、「車内で吐かれたくない」と思った「山下」は車を停められる場所を探し{{Sfn|大崎善生|2016|p=234}}、国道沿いのレストラン屋外駐車場に至った{{Sfn|大崎善生|2016|p=234}}。その場所が、殺害現場となった[[愛西市]][[内佐屋町]]西新田の屋外駐車場で<ref group="注" name="殺害現場"/><ref name="中日新聞2007-08-27"/>、到着時刻は8月25日0時ごろだった{{Efn2|到着後、KTはカーナビの光が車外に漏れることを恐れ、「山下」に命じてリバティのエンジンを切らせている(カーナビを切るにはエンジンを止める必要があったため){{Sfn|大崎善生|2016|pp=234-235}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=234}}。▼
▲「山下」は当初、Aを堀の用意した部屋へ拉致するため、高針方面へ車を走らせたが、KTが「人気のない方へ行け」と指示{{Sfn|大崎善生|2016|p=231}}。「山下」は[[国営木曽三川公園|木曽三川公園]]方面へ向かうことに決め{{Efn2|この時、堀は「山下」に対し、[[自動車ナンバー自動読取装置|Nシステム]]がある幹線道路を避けるよう指示している{{Sfn|大崎善生|2016|p=232}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=150}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=233}}{{Sfn|堀慶末|2019|p=150}}、[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]([[主要地方道]][[愛知県道60号名古屋長久手線|名古屋長久手線]])から[[愛知県道200号名古屋甚目寺線|県道名古屋甚目寺線]](通称「外堀通り」)に出て西進した{{Sfn|
=== 殺害 ===
{{Maplink2|frame=yes|type=point|zoom=13|frame-width=300|coord={{coord|35|
翌日(8月25日)0時過ぎ{{Efn2|名古屋地裁 (2009) によれば、3人がAから金品を奪った時刻は、24日23時10分ごろ - 25日0時45分ごろまでの間である{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}。}}、3人は屋外駐車場(同県[[愛西市]])に駐車したリバティ<ref group="注" name="リバティ"/>の車内で
結果、Aは虚偽の暗証番号として4桁の{{Sfn|集刑|2012|p=98}}「2960」を述べた{{Efn2|この時、3人は被害者を執拗に脅迫していたことから、「このような状況で嘘をつくはずはない」と考えていた<ref>『中日新聞』2008年10月10日朝刊第二社会面34頁「ニュース前線 千種闇サイト殺人 命賭しうその暗証番号 『母に家を』夢守る Aさん、内緒で貯金」(中日新聞社)</ref>。実際、堀もKTとの会話で「あれだけおびえていたから、嘘ではないだろう」と話していた{{Sfn|堀慶末|2019|p=154}}。また、Aは預金額についても、実際(800万円以上)とは異なる額(40万円)を述べている{{Sfn|NHK「事件の涙」取材班|2020|p=28}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=240}}。それを聞き、KTが運転席の「山下」に口頭で番号を伝え{{Sfn|堀慶末|2019|p=153}}、「山下」は0時45分、自身の携帯電話でその「2960」の番号を打って発信履歴を残した{{Efn2|name="2960への異論"|KTおよび堀は、後の供述で「Aが言った4桁の番号は『2960』ではない」と述べていたが、「山下」の携帯電話には「2960」への発信履歴(時刻:0時45分)が残っている{{Sfn|大崎善生|2016|p=240}}。一方、堀は自著 (2019) で、「Aが言葉にした番号は『2960』ではない。「山下」はKTが口にした番号を携帯電話の発信履歴に残したが、軽度の知的障害 (IQ:65) である「山下」が携帯電話を打つ際に押し間違えたか、KTが口にした番号を聞き間違えた、あるいは捜査機関が捏造した可能性がある。殺害が決まっているわけでもないのに、『2960』という語呂合わせをするのは不自然だ」と述べている{{Sfn|堀慶末|2019|pp=166-167}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=240}}。その後、堀はKTとともに喫煙のため車外に出
KTと堀は、Aから真実の暗証番号を聞き出したと思い込み、口封じのためにAの殺害を決意した{{Sfn|集刑|2012|p=111}}。一方、「山下」はKTと堀が車外に出た隙に乗じ、車内でAを強姦しようと{{Efn2|「山下」は第一審の公判で、Aを強姦しようとした動機について「Aの態度から『小生意気な女』と思い、その鼻をへし折ってやろうと思ったからだ」と主張したが、名古屋地裁 (2009) は、KTや堀に一度は制止されながらも再び強姦未遂行為に及んだことから、「「山下」は自己の性欲から、強姦の強い範囲に基づいて姦淫行為に及ぼうとした」と認定{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。これに対し、「山下」は控訴審で事実誤認を主張したが、名古屋高裁 (2011) は「「山下」はKTや堀に止められ、戒められながらも、2度にわたり被害者を姦淫しようとした。その経緯などに照らせば、自らが捜査段階で供述した通り、『自己の性欲から強姦の強い範囲に基づいて姦淫行為に及ぼうとした』と優に認められる。第一審における「山下」の供述は、合理的な理由なく捜査段階から供述を変遷させるものであって信用できない」として、訴えを退けた{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。|name="強盗強姦未遂動機"}}、Aに覆いかぶさって服を脱がせようとしたり、スカートの裾をまくりあげるようにしたり、スカートのベルトを外そうとしたりしたほか、抵抗したAの顔面を平手打ちした{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。しかし、Aの悲鳴に気づいたKTらに制止されたため、未遂に終わっている{{Efn2|名古屋地検は冒頭陳述 (2008) で、「Aが「山下」に強姦されそうになったことで冷静さを失い、今にも逃走を図りそうになったと判断したため、(KTと堀はAの)殺害を決意した」と述べている<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。}}{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}。名古屋地裁 (2009) によれば、「山下」はKTたちが車外に出た際、1回目の強姦未遂行為におよんだが、Aが「きゃー」と悲鳴を上げたため、少なくともKTが車内に戻り、「山下」を止めて諌めた{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第3 争点に対する判断 > 3 殺害の実行行為の順序等}}。2人は「山下」がAの強姦を諦めたものと思い、再び車外で今後のことについて相談などを始めたが、KTが「やっちゃおうか」などと提案したところ、堀は「ロープありますよ」などと言った{{Efn2|堀は自著 (2019) で、「自分が『暗証番号は嘘ではないだろう』と発言したところ、KTが『殺そうか』と言った。自分は車内に綿ロープがあったことを思い出し、その存在をKに教えた」と述べている{{Sfn|堀慶末|2019|p=154}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。すると、KTは「腕で絞めます」などと言ったが、「山下」が再び強姦未遂行為におよんだため、Aが悲鳴を上げた{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。しかし、これに気づいたKTが堀よりも一足早く車内に戻って制止したため、「山下」は2列目シートからいったん車外に出て、その後、運転席に戻った{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 11 本件各犯行態様等}}。
一方、Aは堀によって頭部を金槌で殴打され、力が一気に抜けたような感じになったが、しばらくしてから「殺さないで、殺さないって言ったじゃない」「お願いします、殺さないで、死にたくない」などと必死で命乞いをした{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。しかし、堀はそのような懇願を無視し、KTとともに、Aの顔面および頭部に粘着テープを数十回横方向に巻きつけ、その上からさらに縦方向に貼り付けた{{Efn2|ガムテープ{{Sfn|大崎善生|2016|p=245}}(粘着テープ)を巻きつけた回数は、冒頭陳述によれば31周とされている<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。大崎善生 (2016) では、「縦横合わせて23巻きにした上、頭からレジ袋を被せ、袋の口を塞ぐようにガムテープを8周巻いた」と述べている{{Sfn|大崎善生|2016|p=245}}。}}{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。これにより、Aは呼吸困難になったが、粘着テープの隙間から「フーン、フーン」とかろうじて呼吸をしていたため、それに気づいたKTと堀は、Aの頭部にビニール袋{{Sfn|集刑|2012|p=112}}(金槌を購入したホームセンターのレジ袋)<ref name="中日新聞2007-08-31"/><ref name="朝日新聞2007-08-29夕刊"/>{{Sfn|堀慶末|2019|p=158}}を被せて頸部まで覆い、その上から頸部・頭部に粘着テープを横方向に多数回巻きつけた{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。そして、最後にKTがAの頸部に綿ロープを巻きつけて絞め付けた上、頭部を金槌で約30回殴打し、Aを窒息死させて殺害した{{Sfn|集刑|2012|p=112}}(殺害時刻:8月25日1時ごろ){{Efn2|KTが脈を取り、Aの死亡を確認した{{Sfn|堀慶末|2019|p=159}}。}}<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。▼
まず、KTがAの背後から、頸部に自身の腕を回して絞め付けた{{Efn2|この時、堀と「山下」はAの手足を押さえていた{{Sfn|集刑|2012|p=120}}。}}が、失敗したため、堀は綿ロープをAの頸部に巻きつけ、その片端を「山下」に渡し、2人で両端を持って絞め上げた{{Sfn|集刑|2012|pp=111-112}}。しかし、両者の位置関係からうまく首を絞めることができず{{Efn2|2人の角度が180°にならず、うまく力が入らなかったため{{Sfn|大崎善生|2016|p=245}}。なお、堀は自著 (2019) で「(首にロープを掛け、両端を引っ張り合う行為が)かつて自身が碧南事件で被害者を殺害した際の記憶をフラッシュバックさせ、自分は激しい恐慌状態に陥った」と述べている{{Sfn|堀慶末|2019|pp=156-157}}。}}、堀は「ハンマー入れましょうか」と言い、準備していた金槌で殴打することをKTと「山下」に告げた{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。そして、綿ロープで首を絞めるのをやめ、金槌を取り出してAの頭部を強い力で3回連続して殴打した{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。しかし、それらの殴打によって返り血が車内に飛び散り、自身の口にも入ったことを気持ち悪く思った堀は、殴打を3回でやめている{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。
▲一方、Aは堀によって頭部を金槌で殴打され、力が一気に抜けたような感じになったが、しばらくしてから「殺さないで、殺さないって言ったじゃない」「お願いします、殺さないで、死にたくない」などと必死で命乞いをした{{Sfn|集刑|2012|p=112}}。しかし、堀はそのような懇願を無視し、KTとともに、Aの顔面および頭部に粘着テープを数十回横方向に巻きつけ、その上からさらに縦方向に貼り付けた{{Efn2|ガムテープ{{Sfn|大崎善生|2016|p=245}}(粘着テープ)を巻きつけた回数は、冒頭陳述によれば31周とされている<ref name="闇サイト冒頭陳述"/>。大崎善生 (2016)
=== 死体遺棄・預金引き出し未遂 ===
{{Maplink2|frame=yes|type=point|zoom=11|frame-width=300|coord={{coord|35|19|51.7|N|137|17|14.2|E}}|text={{ウィキ座標|35|19|51.7|N|137|17|14.2|E|region:JP-21|name=闇サイト殺人事件・被害者Aの遺体が遺棄された現場付近|死体遺棄現場周辺の地図}}:[[岐阜県]][[瑞浪市]]稲津町小里の山林<ref group="注" name="死体遺棄現場"/><ref name="中日新聞2007-08-27"/><ref name="毎日新聞 遺棄現場"/>([[岐阜県道33号瑞浪上矢作線]]付近)<ref name="中日新聞2007-08-26"/>|marker-color=800000}}
その後、堀はAの遺体をリバティの3列目の席に移動させ{{Efn2|その3列目の席は、「山下」の生活用品などが散乱していた{{Sfn|大崎善生|2016|p=247}}。}}、上からタオルや荷物などを被せて隠した上で、車内に飛散したAの返り血を拭き取った{{Sfn|大崎善生|2016|p=247-248}}。その後、3人でAから奪った現金62,000円を分け合い{{Efn2|まず6万円を3等分し、残る2,000円はガソリン代として「山下」が受け取った{{Sfn|大崎善生|2016|p=248}}。}}、[[稲沢市]]内の自動販売機で、堀の体に付いた返り血を洗い流すためのペットボトル入りの水を購入したほか、[[一宮市]]のドン・キホーテで「山下」が3人分の着替え用の衣服を購入{{Efn2|「山下」は預金の引き出しのために変装の必要があったほか、KTと堀は返り血を著しく浴びていたため{{Sfn|大崎善生|2016|p=248}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=248}}。そ
3人はリバティで、[[中央自動車道]]の[[瑞浪インターチェンジ]]から[[岐阜県道33号瑞浪上矢作線|岐阜県道33号]]([[山岡町|山岡]]方面)を経由し、山道に入り{{Sfn|大崎善生|2016|p=249}}、岐阜県瑞浪市稲津町小里の山林<ref group="注" name="死体遺棄現場"/><ref name="中日新聞2007-08-27"/>([[林道]]脇){{Sfn|集刑|2012|p=110}}に向かった。その途中、瑞浪市稲津町にあった資材置き場からスコップ2本を入手し{{Efn2|スコップを盗んだ時期について、堀 (2019) は「高速道路を下りてから、KTが『埋めるために使う道具が必要だ』と言ったので、通り道にあった資材置き場のようなところ(遺棄現場から車で10分ほど)で盗んだ」と述べている{{Sfn|堀慶末|2019|p=160}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 12 死体遺棄に至る経緯及びその後の状況等}}、同日4時40分ごろ、Aの死体を遺棄した{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(罪となるべき事実)}}。まず、KTが堀とともにスコップを使い、Aの遺体をトランクから下ろすと、「山下」に対し、「怪しまれるといけないから離れていろ」と言い、現場から離れさせた{{Sfn|大崎善生|2016|p=249}}。2人は遺体をガードレールのすぐ先に投げ捨てると、その上から土を掛け{{Sfn|大崎善生|2016|p=249}}、Aの遺体を遺棄した{{Efn2|堀は自著 (2019) で、「KTはAの遺体を遺棄した後、数分間にわたり遺体に向かって手を合わせていた。KTはその間、自身なりに自身の行為を反省・後悔して、Aに詫びていたのだろう」と述べている{{Sfn|堀慶末|2019|pp=161-162}}。}}{{Sfn|集刑|2012|p=114}}。この時、堀は以前、手錠を見せられた際に素手で触ったことを思い出し{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 12 死体遺棄に至る経緯及びその後の状況等}}、自分の[[指紋]]が付着している可能性を考え{{Sfn|集刑|2012|p=114}}、手錠を拭くなどしている{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(争点に対する判断)第2 前提事実等 > 12 死体遺棄に至る経緯及びその後の状況等}}。「山下」はKTの指示を受けて遺棄現場を離れ、いったん道の駅{{Efn2|遺棄現場付近には、[[道の駅おばあちゃん市・山岡]](小里川ダムに隣接)がある<ref name="毎日新聞 遺棄現場"/>。}}に向かったが、4時49分にKTもしくは堀から電話で「終わったから迎えに来てくれ」との連絡を受け、迎えに戻った{{Sfn|大崎善生|2016|p=249}}。
そして、Aから奪った
== 捜査 ==
しかし、
また、「山下」が「2人の共犯者(KTおよび堀)がいる」という旨を明かしたため、県警はその2人の居宅を特定した{{Efn2|県警は「山下」が知っていたKTの携帯電話番号から、KTの居宅を特定したほか、「山下」が事件前に何度も堀を迎えに行っていたため、堀の居宅も特定された<ref name="中日新聞2007-08-29"/>。}}上で、3人が決めていた同日の「第2の犯行計画」を利用し<ref name="中日新聞2007-08-29"/>、19時10分ごろ<ref name="読売新聞2007-08-27社会"/>、自宅から出かけようとしていたKTの身柄を確保<ref name="中日新聞2007-08-29">『中日新聞』2007年8月29日朝刊第12版一面1頁「女性拉致殺害 愛知県警 自首容疑者の供述で 「第2の犯行」利用し逮捕」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1223頁</ref> し、KTを[[任意同行]]させた<ref name="読売新聞2007-08-27社会"/>。また、「山下」に命じて堀宛てのメールを送信させ{{Efn2|この時、堀は既に身柄を確保されていた「山下」とメールで集合場所・犯行予定場所についてやり取りをしたが、「了解!」というメールを送っていた{{Sfn|集刑|2012|p=115}}。}}、同日22時ごろに堀の自宅マンション前で落ち合う約束を取り付け、約束の時間に自宅から出てきた堀を張り込んでいた捜査員が取り押さえ<ref name="中日新聞2007-08-29"/>、任意同行させた<ref name="読売新聞2007-08-27社会"/>。3人とも、「自分たちは闇サイトで知り合い、金を奪う目的で通りがかりの女性を狙った。顔を見られたので殺した」と供述したため<ref name="読売新聞2007-08-27"/>、愛知県警は[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[死体損壊・遺棄罪|死体遺棄]]事件として、[[刑事部|捜査一課]]および[[千種警察署]]の<ref name="中日新聞2007-08-27"/>[[捜査本部|特別捜査本部]](特捜本部)を設置<ref name="読売新聞2007-08-27">『[[読売新聞]]』2007年8月27日中部朝刊一面1頁「女性拉致・殺害 男3人遺棄容疑逮捕 手錠、ハンマー殴打 愛知県警=中部」([[読売新聞中部支社]])</ref>。県警特捜本部は翌日(8月26日)0時に事件発生を発表し、4時過ぎ<ref name="読売新聞2007-08-27社会"/>、KT・堀慶末・「山下」の3人を、死体遺棄容疑の[[被疑者]]として[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref name="中日新聞2007-08-27"/>。翌8月27日に[[名古屋地方検察庁]]へ3人の身柄を[[送致|送検]]した<ref>『朝日新聞』2007年8月27日名古屋夕刊第一社会面13頁「「翌日も拉致計画」 容疑者3人、金に困り犯行か 愛知・女性殺害 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref>。
2007年9月14日、名古屋地検は被疑者3人を死体遺棄罪で[[名古屋地方裁判所]]へ[[起訴]]<ref name="朝日新聞2007-09-15">『朝日新聞』2007年9月15日名古屋朝刊第一社会面35頁「首謀、ともに否定 強殺容疑などで3人を再逮捕 名古屋・女性拉致殺害 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref>。同日、特捜本部は被疑者3人を強盗殺人・[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]・[[略取・誘拐罪#処罰類型|営利略取]]の各容疑で再逮捕し<ref name="中日新聞2007-09-15">『中日新聞』2007年9月15日朝刊第12版第一社会面37頁「女性拉致殺人 愛知県警 強殺で3容疑者再逮捕 「謝罪の気持ちない」」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)9月号663頁</ref>、名古屋地検は10月5日にそれらの罪で被疑者3人を追起訴した<ref name="中日新聞2007-10-06">『中日新聞』2007年10月6日朝刊第一社会面35頁「Aさんを執拗に脅迫 名古屋拉致殺害の3被告 強殺などで追起訴」(中日新聞社)</ref>。また、「山下」については、Aの遺族から逮捕後に[[強盗・強制性交等罪|強盗強姦未遂]]の罪で告訴があり、地検も「その事実が認定できる証拠がある」と判断したため、同罪でも追起訴した<ref name="中日新聞2007-10-06"/>。
== 刑事裁判 ==
=== 公判前整理手続 ===
本事件の[[審級|第一審]]の審理は、[[名古屋地方裁判所]]刑事第6部([[近藤宏子]]裁判長)に係属された{{Efn2|name="刑事第6部"|近藤は2007年4月以降、名古屋地裁刑事第6部で[[判事#部総括判事|部総括判事]]([[合議審|合議体]]の裁判長)を務めていた<ref name="毎日新聞2009-03-18"/>(2010年3月31日まで)<ref>{{Cite web|url=https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge1137/|title=近藤 宏子 <nowiki>|</nowiki> 裁判官|accessdate=2021-03-17|publisher=[[新日本法規出版]]|website=新日本法規WEBサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210317125542/https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge1137/|archivedate=2021-03-17}}</ref>。裁判所ウェブサイト (2009) によれば、2008年12月1日時点では近藤と、野口卓志・酒井孝之の各裁判官が「名古屋地方裁判所刑事第6部イ」合議係を担当していた<ref>{{Cite web|url=http://www.courts.go.jp/nagoya/saiban/tanto/tisai_tanto.html|title=名古屋地方裁判所 担当裁判官一覧(平成20年12月1日現在)|accessdate=2021-03-19|publisher=最高裁判所|date=2008-12-01|website=裁判所|quote=名古屋地方裁判所刑事第6部イ 合議係 近藤宏子,野口卓志,酒井孝之|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090302151720/http://www.courts.go.jp/nagoya/saiban/tanto/tisai_tanto.html|archivedate=2009-03-02|deadlinkdate=2021-03-19}}</ref>。ただし、野口と酒井は転補のため、判決に署名押印していない{{Sfn|名古屋地裁|2009}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2009}}<ref name="毎日新聞2009-03-18">『毎日新聞』2009年3月18日中部夕刊社会面7頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人、2被告死刑 母、遺影を胸に涙」(毎日新聞中部本社 記者:飯田和樹、福島祥、中村かさね、木村文彦)</ref>。同地裁における3[[被告人]]の第1回[[公判前整理手続]]は、2007年12月27日に開かれた<ref>『中日新聞』2007年12月27日夕刊第一社会面13頁「3被告 罪状認否せず 千種・拉致殺害 公判前整理手続き開始」(中日新聞社)</ref>。その後、2008年(平成20年)3月11日(第2回) - 9月22日(第8回)にかけて手続が行われ{{Efn2|第7回手続<ref name="公判について"/>(2008年7月31日)で初[[公判]]の期日が指定され<ref>『中日新聞』2008年8月1日朝刊第二社会面34頁「千種の拉致殺害 来月25日初公判」(中日新聞社)</ref>、最後の第8回手続<ref name="公判について"/>(9月22日)で公判(全18回)の詳細な日程が決められた<ref>『中日新聞』2008年9月23日朝刊第三社会面25頁「判決は3月18日 千種区の拉致殺害」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="公判について">{{Cite web|url=http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/page006.html|title=公判について|accessdate=2021-03-15|publisher=被害者Aの遺族によるウェブページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200224115718/http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/page006.html|archivedate=2020-02-24}}</ref>、争点は3被告人の共謀が成立した時期などに絞られた<ref name="中日新聞2008-09-25"/>。
公判前整理手続を行わない場合、起訴 - 初公判の期間は3週間 - 1か月半とされるが、本事件では起訴から初公判まで約1年を要したため<ref name="中日新聞2008-09-25 夕刊">『中日新聞』2008年9月25日夕刊第二社会面10頁「千種拉致殺害 被害者 被告とも苦悩 長引いた公判前手続き」(中日新聞社)</ref>、被害者Aの母親Bは、手続き中の2008年3月3日に当時の[[鳩山邦夫]][[法務大臣]]へ、公判の早期開始などを訴える手紙を郵送した([[#被害者遺族の活動|後述]])<ref name="中日新聞2008-03-04"/>。
170 ⟶ 187行目:
=== 第一審 ===
{{See also|永山基準#被害者1人で死刑が確定した事例}}
本事件
[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が1983年(昭和58年)7月に[[永山則夫連続射殺事件|連続4人射殺事件]]の上告審判決で示した死刑選択基準「'''[[永山基準]]'''」では<ref>『毎日新聞』2009年3月16日中部朝刊社会面22頁「曲がり角で:18日・闇サイト殺人判決/下 被告の父も「極刑相当」」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、'''結果の重大性ことに殺害された被害者の数'''、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、[[前科]]、犯行後の情状」といった事情を総合的に考慮し、「'''その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される'''」と判示されている<ref name="永山基準">{{Cite 判例検索システム|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷|裁判種別=判決|事件番号=昭和56年(あ)第1505号|事件名=窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件|裁判年月日=[[1983年]](昭和58年)7月8日|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁|判示事項=一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例|裁判要旨=一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50235|ref=}} - 「'''[[永山基準]]'''」を示した[[永山則夫連続射殺事件|連続4人射殺事件]]の最高裁判決
177 ⟶ 194行目:
* [[被告人]]:[[永山則夫]]</ref>。同判決では、「ことに」と強調した上で被害者数に言及しているため、同判決後の刑事裁判では殺害された被害者が1人の場合、大半で懲役刑が選択されていた<ref name="法学セミナー">{{Cite journal|和書|journal=[[法学セミナー]]|title=ロー・フォーラム 裁判と争点 被害者1人、異例の死刑判決 闇サイト殺人で名古屋地裁|volume=54|page=139|date=2009-06-01|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/5038.html|issue=6|publisher=[[日本評論社]]|id={{国立国会図書館書誌ID|10216473}}}} - 通巻第654号。</ref>。
[[司法研修所]]の報告 (2012) によれば、1970年度(昭和45年度)以降に判決が宣告され、1980年度(昭和55年度) - 2009年度(平成21年度)の30年間に死刑か無期懲役が確定した死刑求刑事件(全346件)について調査したところ、'''死刑宣告に当たっては被害者の数が最も大きな要素となっている'''ことが報告されている{{Sfn|司法研修所|2012|pp=108-109}}。先述した346件のうち、'''死亡した被害者が1人で死刑が求刑された事件は100件'''(殺人48件+強盗殺人52件)であるが、うち'''死刑確定は32件'''('''全体の32%'''/殺人で18人〈38%〉・強盗殺人で14人〈27%〉)となっている{{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}。その内訳は、'''事前に被害者を殺害することを計画した上で実行した事例'''([[身代金]]目的の[[誘拐]]殺人{{Efn2|name="身代金目的誘拐殺人"|例:[[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]]<ref>『中日新聞』1987年7月9日夕刊一面1頁「木村の死刑確定 最高裁が上告棄却 ○○さん誘拐殺人 『冷酷、同情の余地なし』」(中日新聞社) - [[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]]の関連記事。同事件の死刑囚である木村修治(1995年に死刑執行)は生前、実名で著書『本当の自分を生きたい。』(インパクト出版会)を発刊している。</ref>・日立女子中学生誘拐殺人事件<ref>{{Cite news|title=中学生誘拐殺人のW死刑囚が死亡 東京拘置所|newspaper=日本経済新聞|date=2013-06-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2400Z_U3A620C1CC0000/|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200827140503/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2400Z_U3A620C1CC0000/|archivedate=2020年8月27日}}</ref>・[[泰州くん誘拐殺人事件]]<ref>『中日新聞』1998年11月19日夕刊一面1頁「3死刑囚の刑を執行 名古屋拘置所 ××(日建土木保険金殺人事件の死刑囚の実名)死刑囚ら 氏名除き初公表」(中日新聞社)</ref> など。ただし、[[司ちゃん誘拐殺人事件]]・[[甲府信金OL誘拐殺人事件]]など、誘拐の当初から被害者を殺害することまでは計画していなかった事例の場合、無期懲役が選択されている。}}および[[保険金殺人]]、'''高度な計画性を有する強盗殺人'''{{Efn2|例:[[東村山署警察官殺害事件]](1976年)<ref>『読売新聞』1995年5月27日東京朝刊一面1頁「東京と大阪の拘置所で3人の死刑執行 東京・深川の男児誘拐殺人犯ら」(読売新聞東京本社) - [[東村山署警察官殺害事件]](1976年)の死刑囚が刑を執行されたことを伝える記事。</ref>・[[北九州市病院長殺害事件]](1979年)など<ref>『朝日新聞』1996年7月12日西部朝刊第14版第二社会面26頁「病院長殺人事件 2人の死刑執行 関係者等胸中複雑 一人の死に報い重すぎる/残忍、同情の余地なし」(朝日新聞西部本社) - [[北九州市病院長殺害事件]](1979年)の関連記事。</ref>。}}){{Efn2|これら以外の事例として、殺害された被害者数が1人でも、殺害行為の高度な計画性が重視されて死刑を適用された事例として、[[JT女性社員逆恨み殺人事件]]がある{{Sfn|司法研修所|2012|pp=112-113}}。}}や、無期懲役刑の仮釈放中に殺人および強盗殺人を再犯した事例{{Efn2|司法研修所 (2012) によれば、調査対象になった事件のうち、無期懲役刑の仮釈放中に殺人および強盗殺人を再犯した10件(殺人5件+強盗殺人5件)はいずれも死刑が確定している{{Sfn|司法研修所|2012|pp=110, 113}}。殺人事件としては[[東京都北区幼女殺害事件]](1979年)<ref name="読売新聞1999-09-10">『読売新聞』1999年9月10日東京夕刊一面1頁「東京、福岡、仙台で3人に死刑執行」(読売新聞東京本社)</ref>・川口バラバラ殺人事件{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=165}}(1999年)など。強盗殺人事件では[[福岡県直方市強盗殺人事件]](1980年)<ref>『読売新聞』1990年12月15日東京朝刊第一社会面31頁「最高裁が死刑判決文に誤記 犯行間隔を1年違い 異例の『訂正判決』へ」(読売新聞東京本社)</ref>・[[福島女性飲食店経営者殺害事件]](1990年)<ref name="読売新聞1999-09-10"/>・[[福山市独居老婦人殺害事件]](1992年)など<ref>『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」(読売新聞東京本社)</ref> がある。}}などがある{{Efn2|その他の事例では、わいせつ・姦淫目的の[[誘拐]]殺人3件([[群馬女子高生誘拐殺人事件]]・[[奈良小1女児殺害事件]]<ref name="江東a">{{Cite news|title=江東マンション神隠し殺人事件 【神隠し公判】姦淫の有無は量刑に影響しない 検察側論告(6) (2/4ページ)|newspaper=[[MSN]][[産経新聞|産経ニュース]]|date=2009-01-26|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090126/trl0901261552021-n2.htm|publisher=産業経済新聞社|language=ja|page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090129051130/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090126/trl0901261552021-n2.htm|archivedate=2009年2月10日}} - [[江東マンション神隠し殺人事件]](2009年に無期懲役が確定)の論告求刑公判で、検察官が被告人に死刑を求刑した際の論告要旨の一部。</ref><ref name="江東c"/>・[[三島女子短大生焼殺事件]]<ref name="江東
==== 初公判から ====
3被告人の初公判は、名古屋地裁刑事第6部(近藤宏子裁判長)<ref group="注" name="刑事第6部" />で2008年9月25日に開かれた<ref name="中日新聞2008-09-25">『中日新聞』2008年9月25日夕刊一面1頁「千種拉致殺害 3被告 起訴事実認める 名地裁初公判 細部では争う姿勢」(中日新聞社)</ref>。3被告人とも、起訴事実のうち被害者Aの殺害については認めた<ref name="中日新聞2008-09-25"/> 一方、「殺害を主導したのは自分ではない」<ref name="読売新聞2008-09-26 一面"/>「殺害の計画性はない」と主張<ref name="毎日新聞2009-01-20"/>。以下のように争った。
{| class="wikitable" style="width:90%;font-size:90%"
|+争点表
208 ⟶ 225行目:
| rowspan="2" |特定の誰かが主導したわけではなく、3人がいずれも重要な役割を果たしており<ref name="読売新聞2008-09-26 2" />、'''刑事責任は同等'''<ref name="毎日新聞2009-01-20"/>。
| colspan="2" |Aの首を絞めていた時点で、「山下」は運転席にいた<ref name="毎日新聞2008-12-04"/>。
| rowspan="2" |首謀者は『闇の職安」で呼びかけた自分だが、3人は同格<ref name="毎日新聞2009-01-20" />。主犯はKT<ref name="中日新聞2008-12-12"/> で、'''KTと堀の責任は自分より重い'''<ref name="読売新聞2008-12-12">『読売新聞』2008年12月12日中部朝刊第二社会面30頁「闇サイト殺人 被告「お気の毒」 被害者への反省の言葉なし 名古屋地裁=中部」(読売新聞中部支社)</ref>。<br />(殺害行為には)KTと堀がAの首を絞めるなど殺害行為をしていたため、やむを得ず加わった<ref name="闇サイト冒頭陳述" /> が、それまでは車の外にいた<ref name="毎日新聞2008-12-04">『毎日新聞』2008年12月4日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:公判で3被告、証言食い違い--名古屋地裁」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>。
|-
|分け前は平等で、(自分たち3人は)同格だった<ref name="毎日新聞2009-01-20"/><br/>堀がAから暗証番号を聞き出した後、「もうやっちゃいましょうか』と自分に殺害を提案してきたが、「まだ暗証番号が本当なのかわからない」と思い、首を絞めて失神させようとした<ref name="毎日新聞2008-12-02">『毎日新聞』2008年12月2日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:暗証番号確認後、堀被告が殺害を提案--名古屋地裁」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>。しかし「山下」がAを襲い、騒がれる恐れがあったため、殺害せざるを得なくなった<ref name="読売新聞2008-09-26 2">『読売新聞』2008年9月26日中部朝刊社会面35頁「闇サイト殺人公判 「責任の差」焦点(解説)=中部」(読売新聞中部支社 記者:松田晋一郎)</ref>。
|KTが犯行を主導していた<ref name="毎日新聞2009-01-20"/><br/>KTから「素手で殺害する」と言われ、犯行への加担を決意した<ref name="読売新聞2008-09-26 2" /> が、それまでは拉致して金を奪うことはともかく、「殺す」という話は出ていなかったし、殺害を提案された際には疑問を感じたが、反対はしなかった<ref name="毎日新聞2008-12-04"/>。
|-
!量刑判断における{{nowrap|被告人側の事情}}<ref name="読売新聞2008-09-26 一面"/>
221 ⟶ 238行目:
一方、第2回公判(2008年10月10日)および第4回公判<ref name="公判について"/>(2008年10月31日)に証人として出廷した「杉浦」は、「KTがグループに加わって以降、強盗殺人の話が出るようになった」と証言した<ref>『毎日新聞』2008年10月11日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人 「計画で殺人の可能性感じた」--公判証言」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref><ref>『中日新聞』2008年10月31日夕刊第一社会面15頁「窃盗未遂の男 「KTが主導」 千種拉致公判」(中日新聞社)</ref>。
被告人3人は当初、いずれも被害者Aや遺族への謝罪の弁を述べず、KTは自身の交際相手に対し、Aを侮辱したり、事件を「仕事」と形容したりする内容の手紙を書いたが、その手紙についてKTは「犯行時の正直な気持ちを書くよう求められてそう書いた」と説明した<ref name="毎日新聞2008-12-20">『毎日新聞』2008年12月20日中部朝刊社会面27頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト公判 「嘘吐き」被害者中傷 被告が事件後、知人に手紙」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>。また、第6回公判<ref name="公判について"/>(11月7日)で、「山下」はKT・堀の両被告人に対し、「(被告人としてこの場にいるのは)お前らのせいだ」と暴言を吐いたり<ref name="毎日新聞2009-03-14"/><ref>『中日新聞』2008年11月8日朝刊第一社会面35頁「「山下」被告が暴言 千種拉致殺害公判」(中日新聞社)</ref
一方、第13回公判<ref name="公判について"/>(2008年12月8日)では、同日以前から3被告人への極刑適用を求めた[[署名]]運動を行っていたAの母親B([[#被害者遺族の活動|後述]])および、Aと交際していた男性Cが証人として出廷し、Bは「同種の犯罪を抑止するため、3人への[[日本における死刑|死刑]]を臨む」と陳述<ref name="中日新聞2008-12-09">『中日新聞』2008年12月9日朝刊第三社会面25頁「千種拉致殺害 『3被告に死刑を』 名地裁 初出廷の母ら証言 偽番号 『「憎むわ」の意味』」(中日新聞社)</ref>。また、BおよびCは、Aが3人に伝えた虚偽の暗証番号「2960」<ref group="注" name="2960への異論"/>の意味{{Efn2|Cは2007年9月24日、情状証人として名古屋地検から事情聴取を受けた際、担当検事から「2960」のことを聞き出し、「『2960』は『憎むわ』という意味だろう」と話した{{Sfn|大崎善生|2016|pp=317-318}}。名古屋地検はBに対し、公判までその意味を他言しないよう口止めしていた<ref name="毎日新聞2009-03-15"/>。}}について、「Aは生前、よく数字の語呂合わせをしていた。『憎むわ』の意味だと思う」と証言した<ref name="中日新聞2008-12-09"/><ref>『毎日新聞』2008年12月9日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:偽口座「2960」は「憎むわ」--母証言「娘が気持ち込めた」」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一、式守克史)</ref
また、検察官は[[裁判員制度]]{{Efn2|第一審判決後の2009年5月以降に起訴された事件が裁判員制度の対象。}}を意識した<ref name="朝日新聞2009-03-17"/> ほか、2008年12月に施行された[[被害者参加制度]]を先取りする形で{{Efn2|名古屋地検は、Aの母Bと連絡を取る担当検事を配置し、裁判記録の意味・公判前整理手続(非公開)の進捗状況について説明した<ref name="中日新聞2009-03-19 社会">『中日新聞』2009年3月19日朝刊第一社会面31頁「千種拉致殺害 “被害者参加”の実質的な訴訟に 母ら「無念さ言えた」」(中日新聞社)</ref>。B本人は「証人尋問や意見陳述で、無念の気持ちなど、伝えたいことを言えた」と、Bの代理人弁護士も「論告はBの心情を十分に汲み取った内容で、(本人が)被害者参加制度で訴訟に参加した場合と同等の効果があっただろう」と回顧している<ref name="中日新聞2009-03-19 社会"/>。}}<ref name="毎日新聞2009-03-15">『毎日新聞』2009年3月15日中部朝刊社会面25頁「曲がり角で:18日・闇サイト殺人判決/中 被害者の「無念」代弁」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一)</ref>、法廷で被害者Aの写真を映し出す{{Efn2|名古屋地検が遺族に提案して行ったもので、同地検の次席検事・飯倉立也はその意図について「写真を用いることで、被害者の実情・人となりをできるだけ正確に明らかにすることを狙った」と説明した<ref name="朝日新聞2009-01-26">『朝日新聞』2009年1月26日東京朝刊第一社会面31頁「(人を裁く 第4部 被害者の姿:1)無念「見せる」法廷に 生々しい再現、時に残虐」(朝日新聞東京本社 連載担当記者:市川美亜子、岩田清隆、岩波精、上野嘉之、大島大輔、[[河原理子]]、河原田慎一、中井大助、[[金井和之]]=[[ベルリン]]、真鍋弘樹=[[ニューヨーク]])</ref>。同時期に[[東京地方裁判所|東京地裁]]で審理が行われた[[江東マンション神隠し殺人事件]]の公判でも、被害者の遺族から要望を受けた[[東京地方検察庁|東京地検]]により、法廷のディスプレイに証拠(切断され、下水道に流された被害者の肉片・骨片の実物の写真)や、マネキンを用いた切断シーンの再現が映されたりした<ref name="朝日新聞2009-01-26"/>。}}など、視覚的に訴える立証に力を入れた<ref name="朝日新聞2009-03-17"/>。また、遺族が集めた極刑を求める署名(当時30万件以上)については、証拠採用はされなかったが、検察官が冒頭陳述・証人尋問・論告で繰り返しその存在について言及し、処罰感情の強さを強調した<ref name="朝日新聞2009-03-17"/>。
==== 3人に死刑求刑 ====
240 ⟶ 257行目:
==== 2人に死刑・1人に無期懲役宣告 ====
2009年3月18日に第一審の判決公判が開かれ<ref name="中日新聞2009-03-18"/>、名古屋地裁刑事第6部<ref group="注" name="刑事第6部"/>{{Sfn|名古屋地裁|2009}}<ref name="毎日新聞2009-03-18"/>(近藤宏子裁判長)は'''被告人3人のうち、KTおよび堀の2人を死刑に、残る「山下」を無期懲役に処す判決'''を言い渡した{{Sfn|名古屋地裁|2009}}<ref name="中日新聞2009-03-18">『中日新聞』2009年3月18日夕刊一面1頁「千種殺害2被告に死刑 名地裁判決 『無慈悲で凄惨』 自首の1人は無期」(中日新聞社)</ref><ref name="中日新聞2009-03-19">『中日新聞』2009年3月19日朝刊一面1頁「千種拉致殺害 『悪質性重大な脅威』 名地裁 異例の2被告死刑判決」(中日新聞社)</ref>。[[日本弁護士連合会]](日弁連)が把握していた[[確定判決]]の統計によれば、1983年に最高裁で「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者が1人の殺人事件で死刑が確定した事例は、当時計25件あったが<ref>『毎日新聞』2009年3月19日中部朝刊政治面1頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人・死刑判決 ネット犯罪厳罰」(毎日新聞 記者:秋山信一)</ref>、うち複数の被告人に死刑判決が言い渡され確定した事例は、[[北九州市病院長殺害事件]](1988年に最高裁で被告人2人の死刑が確定)のみだった<ref>『中日新聞』2009年3月18日夕刊第二社会面14頁「千種拉致殺害判決 被害者1人 死刑複数確定は1件」(中日新聞社)</ref><ref>『[[東京新聞]]』2009年3月18日夕刊一面1頁「闇サイト殺人 2人死刑 女性拉致監禁 自首の1人は無期 名古屋地裁判決 『無慈悲で残虐』」([[中日新聞東京本社]])</ref>。
名古屋地裁 (2009) は、犯罪事実について「3人は互いに強盗などの様々な犯罪を計画した末、事前に預貯金の貯えがありそうな女性通行人を拉致・監禁した上でキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出した上で最終的に殺害することを計画した上で犯行におよんだ」と[[事実認定|認定]]{{Sfn|集刑|2012|p=98}}。その上で、各事実について以下のように認定した。
{| class="wikitable" style="width:
|+名古屋地裁 (2009) の判示
!争点
! colspan="
|-
!{{nowrap|殺害の共謀が成立した時期}}
| colspan="
|-
!計画性
| colspan="
|-
!犯罪の性質・態様
| colspan="
|-
! rowspan="4" |3被告人の主従関係
| rowspan="4" |KTが最も積極的だったが、堀や「山下」もKTが有する知識・経験を頼りにし、'''互いに互いを利用し合って集団で犯罪を行うことで、自らの利欲目的を満たそうとする'''側面が強かったと認められる<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。そのような犯行の経緯・状況を考えれば、'''3被告人の間に量刑上、特に刑種の選択を分かつほどの差異を設けるべき事情は認められない'''<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。
! colspan="2" |3被告人の役割
!情状
!{{nowrap|量刑およびその理由}}<ref group="注" name="更生可能性"/>
|-
!KT
|殺害行為にて果たした役割は、計画段階において他の2人(堀・「山下」)より大きく、実行行為の際にも最も積極的におよんでいる<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。
|事件後、自身なりに犯行を顧みる姿勢も見せているが、自首した「山下」に対し、脅迫めいた内容の手紙<ref name="脅迫手紙" group="注" /> を送ったり、知り合いを介して被害者Aを中傷したとも受け取れる表現を用いた文章を掲載・公開するなど、真摯な反省な態度を見せているとは到底言い難い{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(量刑の理由) 第3 個別の情状等 > 1 被告人Y1(「KT」)の個別情状}}。
| rowspan="2" |'''2人とも死刑を選択'''{{Sfn|集刑|2012|p=99}}。<br/>結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状などを考慮すれば、殺害された被害者が1人であることや、2人とも粗暴犯による前科がない{{Efn2|name="KT前科"|KTの前科は詐欺罪による執行猶予付きの1犯で、本事件当時はその猶予期間中だったが、それ以外の前科は交通関係の罰金前科のみだった{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(量刑の理由) 第3 個別の情状等 > 1 被告人Y1(「KT」)の個別情状}}([[#事件前の経緯]]を参照)
|-
!堀
|当初から様々な犯行計画を積極的に提案し、特に「人を拉致して強盗をする」という計画を当初から提案していた。被害者Aを最も執拗に脅迫し、殺害の実行行為でもKTに次いで積極的に行っている<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。
|事件後、自身なりに反省・謝罪の意思を持ち、言葉や反省文・謝罪文などに表しているが、Aを殺害した点については、恐怖心からKTや「山下」を止められなかったという気持ちの方が強く、真摯な反省の態度を示しているとまで見ることはできない{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(量刑の理由) 第3 個別の情状等 > 2 被告人Y2(堀)の個別情状}}。
|-
!{{nowrap|「山下」}}
|殺害
|公判でAに対する気持ちや謝罪の気持ちを聞かれても、無責任で心無い言葉を述べたり、審理中にKTと視線を飛ばし合ったり、自身の被告人質問中に怒鳴り立てるなど、粗暴で無思慮な行動を取っている。このような行動からすると、最終陳述で自身なりに真剣な姿勢で反省の言葉を述べるに至ったことを考慮しても、なお、各犯行について十分な反省をしているとは言い難い{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(量刑の理由) 第3 個別の情状等 > 3 被告人Y3(「山下」)の個別情状}}。
|
'''無期懲役を選択'''<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。<br/>犯行後、短時間で自首したことにより、捜査機関は初めて犯行を把握し、他2人の逮捕・事件解決に至ったことは明らかである<ref group="注" name="自首動機"/>。(インターネットを通じて集まった集団による)本事件の特殊性を鑑みれば、「山下」が'''犯行後に短期間で自首して事件解決に貢献し、その後に起こり得た犯罪を阻止した'''{{Efn2|name="自首による解決"|第一審で証人として出廷した愛知県警捜査一課の警部(事件の捜査を担当)は<ref name="中日新聞2008-11-06"/>、第5回公判(2008年11月5日)<ref name="公判について"/> における証人尋問で「仮に「山下」が自ら警察に通報しなくても、「山下」とともに窃盗未遂事件を起こした「杉浦」が既に逮捕されていたことなどから、3人が捜査線上に浮上し、検挙することは可能だった」と証言した<ref name="中日新聞2008-11-06">『中日新聞』2008年11月6日朝刊第一社会面37頁「通報なし検挙 警察側「可能」 千種拉致殺害公判」(中日新聞社)</ref> が、名古屋地裁 (2009) は、「「山下」の自首は、KTらに腹を立てたことが動機と言えるが、もし自首しなかった場合、捜査は相当難航し、次の犯行が行われた可能性が否定できない」と指摘した<ref name="読売新聞2009-03-19 判決要旨"/>。}}点は量刑上、特に有利な事情として評価することができる{{Efn2|『[[読売新聞]]』 (2009) は社説で、「名古屋地裁は、3人の間に明確な上下関係が存在しない中、自首した1人(「山下」)のみを無期懲役、ほか2人を死刑とした。これは、「山下」の自首が事件解決につながったことを評価した結果だ。もしこれがなければ、結びつきの薄かった3人を警察が割り出すことは難しかっただろう」と指摘している<ref>『読売新聞』2009年3月19日東京朝刊三面3頁「[社説]闇サイト殺人 自首が死刑と無期を分けた」(読売新聞東京本社)</ref>。}}。「山下」の刑事責任は極めて重大だが、この点を鑑みれば、極刑をもって臨むことは躊躇せざるを得ず、無期懲役に処すことが相当である<ref name="中日新聞2009-03-18 判決要旨" />。
|}
KTの弁護人は即日[[控訴]]した<ref name="中日新聞2009-03-19"/> ほか、堀・「山下」それぞれの弁護人{{Efn2|ただし、「山下」の弁護人は「検察が控訴しなければ、(控訴は)取り下げる」と表明していた<ref>『読売新聞』2009年3月25日中部朝刊社会面39頁「闇サイト殺人、2被告が控訴=中部」(読売新聞中部支社)</ref>。}}<ref>『中日新聞』2009年3月25日朝刊第二社会面32頁「2被告の弁護人控訴」(中日新聞社)</ref>、KT本人も同年3月24日付で[[名古屋高等裁判所]]へ控訴した<ref>『中日新聞』2009年3月25日夕刊第二社会面12頁「KT被告も控訴」(中日新聞社)</ref>。一方、名古屋地検も「山下」を無期懲役とした第一審判決を不服として、同月27日付で控訴した<ref>『中日新聞』2009年3月28日朝刊第二社会面38頁「検察側も控訴」(中日新聞社)</ref>。本判決は全国紙が一面トップで取り上げるなど、高い注目を集めた{{Sfn|福田ますみ|2011|p=170}}が、司法の専門家や[[法学者|刑法学者]]からは「異例の厳しい判断」との見方が少なくなかった一方、新聞各紙の[[社説]]は判決を概ね支持する内容だった{{Efn2|『[[毎日新聞]]』『[[朝日新聞]]』『[[日本経済新聞]]』は「死刑制度がある以上、大方が支持するものだろう」と、『[[東京新聞]]』は「被害者1人の事件では異例だが、手口や被害者の無念さ、遺族の悲嘆を思えばやむを得ない」と評価したほか、『[[産経新聞]]』は「社会常識に沿ったごく自然で当然の判断と評価できる。(5月から始まる裁判員制度を控え)裁判員にとって、多大な影響を及ぼす意義ある妥当な判決だろう」と評価した<ref name="毎日新聞2009-03-22">『毎日新聞』2009年3月22日東京朝刊解説面6頁「社説ウォッチング:闇サイト殺人判決 死刑制度前提に容認」(毎日新聞東京本社 論説委員:森嶋幹夫)</ref>。その上で、「永山基準」については産経が「最高裁は26年の前の基準を見直し、裁判員が納得できる明確な死刑基準を示す時だ」、毎日も「通り魔的犯行や児童虐待などが増加・横行する現在、従来の量刑基準は見直しを迫られている。社会を挙げて刑罰論議を深めるべきだ」と主張した一方、『[[読売新聞]]』は「死刑か無期懲役か、プロの裁判官も苦悩する判断」、日経は「明快な基準は事実上不可能であり、個別の事件と真剣に向き合って判断するしかない」と指摘した<ref name="毎日新聞2009-03-22"/>。}}{{Sfn|福田ますみ|2011|p=172}}。
==== KTの死刑確定 ====
しかし、被告人KTは2009年4月13日付で、自ら控訴を取り下げた{{Efn2|控訴取り下げの理由について、KTは「殺したければ早く殺せ」という思いがあったことのほか、「インターネットや週刊誌などで、自身の交際相手を誹謗中傷する記事が掲載され、彼女が精神的につらい旨を訴えてきている。これ以上裁判を続けて彼女に迷惑を掛けられないと思った」などと述べている{{Sfn|名古屋高裁|2010}}。}}<ref name="中日新聞2009-04-15">『中日新聞』2009年4月15日朝刊一面1頁「KT被告の死刑確定へ 千種拉致殺害 控訴を取り下げ」(中日新聞社)</ref> ため、同日付で死刑が[[確定判決|確定]]した{{Efn2|最高裁第一小法廷([[澤田竹治郎]]裁判長)は1949年(昭和24年)6月16日の判決[事件番号:昭和24年(れ)第857号 収録文献:[[刑集]] 第3巻7号1082頁]で、「被告人が控訴を取り下げた場合、弁護人の控訴も効力を失う」という判断を示している<ref>{{Cite 判例検索システム|事件番号=昭和24年(れ)第857号|裁判年月日=1949年(昭和24年)6月16日|法廷名=最高裁判所第一小法廷|裁判形式=判決|判例集=[[刑集]] 第3巻7号1082頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55507|事件名=殺人、死体遺棄、死体損壊被告事件|判示事項=被告人の控訴權と辯護人の控訴自立權|裁判要旨=辯護人は、固有の獨立した上訴權を有するものではなく、被告人の上訴權をその明示した意思に反しない限り、行使し得るに過ぎないものであること、舊刑訴法第三七八條の規定の明文と同第三七九條の規定の明文とを對照し且つ辯護人には上訴の放棄は勿論その取下をも認めなかつた立法の趣旨に照し、明白なところであるから、辯護人の控訴申立權は、被告人の控訴權の存續を前提とするものと解すべきである。從つて、前記辯護人の控訴、申立も亦た右被告人の控訴取下により消滅し、存續するを得ないものといわねばならぬ。}}
* 最高裁判所裁判官:[[澤田竹治郎]](裁判長)・[[真野毅]]・[[齋藤悠輔]]
* 判決主文:本件上告を棄却する。</ref>。しかし、最高裁第二小法廷([[大西勝也]]裁判長)は1995年(平成7年)6月28日付の決定で、第一審で死刑判決を受け控訴したものの、後に判決の衝撃や公判審理の重圧に伴う精神的苦痛によって精神障害を生じ、苦痛から逃れることを目的に控訴を取り下げた事例([[藤沢市母娘ら5人殺害事件]])について、「自己の権利を守る能力を著しく制限されていた状態での控訴取り下げは無効」とする判断を示している<ref>{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成6年(し)第173号|裁判年月日=1995年(平成7年)6月28日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=決定|判例集=刑集 第49巻6号785頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50166|事件名=訴訟終了宣言決定に対する異議申立て棄却決定に対する特別抗告|判示事項=死刑判決の言渡しを受けた被告人の控訴取下げが無効とされた事例|裁判要旨=死刑判決の言渡しを受けた被告人が、その判決に不服があるのに、死刑判決の衝撃及び公判審理の重圧に伴う精神的苦痛によって精神障害を生じ、その影響下において、苦痛から逃れることを目的として控訴を取り下げたなどの判示の事実関係の下においては、被告人の控訴取下げは、自己の権利を守る能力を著しく制限されていたものであって、無効である。}} - [[藤沢市母娘ら5人殺害事件]]の[[判例]]
285 ⟶ 306行目:
</ref>。}}<ref name="法務省2015">{{Cite press release|title=法務大臣臨時記者会見の概要 平成27年6月25日(木)|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[上川陽子]])|date=2015-06-25|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00669.html|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180209182204/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00669.html|archivedate=2018-02-09}}</ref>([[#関連項目]]も参照)。名古屋地検の検察官は同月24日付で、[[名古屋拘置所]]長に対し、KTの死刑判決が同月13日に確定した旨の「死刑判決確定通知書」を送付{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=4}}。これを受け、名古屋拘置所処遇部長は同月27日、KTに死刑判決の確定を告知した{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=4}}。
しかし、第一審でKTの[[国選弁護制度|国選]][[弁護人]]を務めていた弁護士2人<ref name="中日新聞2009-04-28"/>(藏冨恒彦{{Efn2|name="藏冨恒彦"|藏冨恒彦(2017年4月8日に59歳で死去)<ref>{{Cite web|url=https://www.shadan-aisei.jp/news/2017/1704.pdf|title=愛整ニュース No.61 通巻348号|accessdate=2021-03-21|publisher=[愛知県柔道整復師会 https://www.shadan-aisei.jp/]|date=2017-04-26|format=PDF|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321150303/https://www.shadan-aisei.jp/news/2017/1704.pdf|archivedate=2021-03-21}}</ref> は、[[愛知県弁護士会]]に所属していた弁護士<ref>{{Cite news|title=「昼休み」で弁護士と容疑者の面会拒否は違法 名古屋地裁|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2010-07-13|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG13046_T10C10A7CC1000/|accessdate=2021-03-21|publisher=[[日本経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321145902/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG13046_T10C10A7CC1000/|archivedate=2021年3月21日}}</ref>。}}・福井秀剛{{Efn2|name="福井秀剛"|福井秀剛は愛知県弁護士会所属の弁護士<ref>{{Cite web|url=https://www.aiben.jp/page/library/kaihou/1801keiji.html|title=会報「SOPHIA」 平成18年1月号より , 刑事弁護人日記(28) 我が身を弁護する|accessdate=2021-03-21|publisher=[[愛知県弁護士会]]|author=福井秀剛|date=2006-01|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200806183004/https://www.aiben.jp/page/library/kaihou/1801keiji.html|archivedate=2021-03-21}}</ref>。}})<ref name="中日新聞2009-08-13"/> は同日(2009年4月27日){{Efn2|同日、KTは本事件の控訴審における私選弁護人として、藏冨・福井の両名を選任する旨の「弁護人選任届」に署名押印した{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=4}}。}}、「KTは控訴取り下げの効果を十分に理解せず、あるいは理解する能力を欠いた状態で取り下げに至った」として{{Efn2|その訴えの根拠として、弁護人は「KTは控訴を取り下げた時点で、死刑判決後の[[拘禁反応]]などによる朦朧状態にあり、自己の権利を守る能力を欠いていた。また、『もし自分が控訴を取り下げても、弁護人がした控訴は存続し、判決は確定しない』という重大な錯誤に基づいて取り下げに至った」と訴えた{{Sfn|名古屋高裁|2010}}。しかし、名古屋高裁 (2010) は決定要旨で、「KTは取り下げ前から、自ら死刑を受け入れる旨を述べていたほか、取り下げの経緯の概要については記憶しているし、控訴取り下げに至った経緯・理由も短絡的とはいえ、一応了解可能なものだった。また、取り下げ後の[[精神鑑定]]の結果からみても、意識変容を伴う朦朧状態など、自己の権利を守る能力が著しく制限された状態ではなかった」と指摘し、訴えを退けた{{Sfn|名古屋高裁|2010}}。}}、「取り下げは真意に基づくものではなく、無効である」と主張し<ref name="中日新聞2009-04-28">『中日新聞』2009年4月28日朝刊第一社会面27頁「控訴取り下げ『無効』 拉致殺害、KT被告 弁護人が申し立て」(中日新聞社)</ref>、控訴審における審理を求める旨の期日指定申立書を提出した{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=4}}。しかし、名古屋高裁刑事第2部{{Efn2|name="刑事第2部"|下山保男は2009年(平成21年)5月22日以降、定年退官(2012年6月5日)まで名古屋高裁部総括判事を務めていた<ref>{{Cite web|url=https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge1419/|title=下山 保男 <nowiki>|</nowiki> 裁判官|accessdate=2021-03-19|publisher=新日本法規出版|website=新日本法規WEBサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210319155306/https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge1419/|archivedate=2021-03-19}}</ref>。裁判所ウェブサイト (2011) によれば、2010年4月1日時点では下山と高橋裕・柴田厚司・松井修の各裁判官が名古屋高裁の刑事第2部を担当していた<ref>{{Cite web|url=http://www.courts.go.jp/nagoya-h/saiban/tanto/index.html|title=名古屋高等裁判所 担当裁判官一覧(平成22年4月1日現在)|accessdate=2021-03-19|publisher=最高裁判所|date=2010-04-01|website=裁判所|quote=刑事第2部 下山保男,高橋裕,柴田厚司,松井修|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110322192534/http://www.courts.go.jp/nagoya-h/saiban/tanto/index.html|archivedate=2011-03-22|deadlinkdate=2021-03-19}}</ref>。このうち、高橋を除く3裁判官が本事件の審理を担当した{{Sfn|名古屋高裁|2011}}。}}([[下山保男]]裁判長)は[[2010年]](平成22年)9月9日付で、弁護人が求めていた控訴審期日指定の申し立てを退ける[[裁判#裁判の形式|決定]]を出した<ref>『中日新聞』2010年9月11日朝刊第一社会面39頁「闇サイト殺人 KT死刑囚 控訴取り下げ有効 高裁決定」(中日新聞社)</ref>。弁護人は同決定を不服として、同月13日付で名古屋高裁の別の裁判部に異議を申し立てた{{Efn2|また、同年11月15日付で異議申立理由補充書を提出した{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=5}}。}}<ref>『中日新聞』2010年9月14日朝刊第二社会面28頁「KT死刑囚弁護人 控訴取り下げ異議 闇サイト殺人」(中日新聞社)</ref> が、同高裁(志田洋裁判長)は[[2011年]](平成23年)2月10日付の決定{{Efn2|平成22年(け)第16号{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=5}}。}}で異議申し立てを棄却<ref name="中日新聞2011-02-16">『中日新聞』2011年2月16日朝刊第三社会面27頁「闇サイト死刑囚 弁護人異議棄却 名高裁」(中日新聞社)</ref>。弁護人は同月14日付で[[抗告#特別抗告|特別抗告]]した<ref name="中日新聞2011-02-16"/> が、同月3月2日付で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三[[小法廷]]([[那須弘平]]裁判長)が抗告を棄却する決定を出した{{Efn2|最高裁第三小法廷 (2011) は、弁護人2人(藏冨・福井)から提出された特別抗告申立書(2011年2月14日付)について、「具体的な抗告理由の記載がなく、抗告提起期間内に理由書の提出もないので、申立ては不適法である」とした{{Sfn|名古屋地裁|2013|p=5}}。}}ため、「控訴取り下げは有効」とする原決定が確定した<ref>『中日新聞』2011年3月8日朝刊第一社会面33頁「KT死刑囚本人の控訴取り下げ有効 最高裁が決定」(中日新聞社)</ref>。
=== 控訴審 ===
309 ⟶ 330行目:
|
* 法令違反の主張 - 訴訟手続に法令違反がある{{Efn2|堀の弁護人は以下のように、名古屋地裁 (2009) の法令違反を主張した。
:しかし、名古屋高裁 (2011) は以下のように指摘し、論旨をいずれも退けた。
* 事実誤認の主張 - 堀・「山下」の両者が、KTの「最後は殺しちゃうけど、いいよね」という言葉を承諾した事実はなく、もしその前提に立って考えても、堀が会話の内容を認識せず、KTの言葉に適当に相槌を打った可能性もあるため、その時点では共謀は認められない{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。また、殺害現場に停めたリバティ車内に金槌・包丁・綿ロープがあったことは殺害の共謀の間接事実にはならない{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。Aに片手錠を掛けた事実はなく、殺害行為の順序{{Efn2|name="殺害行為の順序"|原判決が(1)KTがAの首を絞める(2)堀がAの側頭部を金槌で3回殴打する(3)堀が頸部に綿ロープを巻き付け、KTとともに引っ張り合ったと認定した点について、堀は「(2)は(3)の後に行われた」と主張{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。しかし、名古屋高裁 (2011) は「(KTを含め)3人とも、捜査段階・原審公判でいずれも原判決と認定に沿う供述(特段不自然不合理な点はない)をしているが、それらを裏付ける客観的証拠はない。KTが行っていない金槌による殴打行為がされた時期について、記憶違いをしている可能性は否定できないが、(2)と(3)の先後関係が各被告人の刑事責任に差異を生じさせるとはいえず、この誤りは判決に影響しない」と判示し、堀の論旨を退けた{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。}}も異なる{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=被告人両名の控訴趣意中、事実誤認の論旨について}}。
* 量刑不当の論旨 - 原判決の量刑(死刑)は重過ぎて不当で、無期懲役刑が相当{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}
330 ⟶ 351行目:
* 山田の評価 - 軽度の知的障害や、面接時の「サスペンスドラマを見ているようだった」という発言から、どこまで認知して犯行におよんだか疑問で、攻撃性は窺えない<ref name="中日新聞2010-09-25"/>。
|原判決の量刑(無期懲役)は軽過ぎて不当で、死刑が相当{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。
* 「山下」は共犯者らに働きかけて犯罪者集団を結成し、各犯行でも不可欠かつ重要な役割を果たした中心的人物であり、単独で強盗強姦未遂<ref name="強盗強姦未遂動機" group="注" /> に、「杉浦」とともに建造物侵入・窃盗未遂に及んでいるため、刑事責任はKTや堀より重い{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。自首についても、自己保身目的で反省は窺えない<ref name="読売新聞2010-08-10">『読売新聞』2010年8月10日中部朝刊社会面31頁「闇サイト殺人控訴審 初公判 検察側、改めて死刑主張=中部」(読売新聞中部支社)</ref>。
|論旨はいずれも採用できず、(原審と同じく)'''無期懲役を選択'''([[#2被告人に無期懲役を宣告|後述]])。
|}
336 ⟶ 357行目:
==== 2被告人に無期懲役を宣告 ====
2011年(平成23年)4月12日の第5回公判{{Efn2|控訴審判決公判は当初、2011年3月25日に予定されていたが、同月10日になって延期が発表された<ref>『中日新聞』2011年3月11日朝刊第一社会面31頁「闇サイト殺人 二審判決延期 来月12日に」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="公判について"/> で判決が宣告された<ref name="中日新聞2011-04-13"/>。名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)<ref name="刑事第2部" group="注" /> は'''原判決のうち、堀を死刑とした部分を破棄し、堀を無期懲役に処す'''判決を言い渡した{{Sfn|名古屋高裁|2011}}。また、'''「山下」については原判決(無期懲役)を支持'''し、検察官と弁護人の双方からなされていた控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した<ref name="中日新聞2011-04-13">『中日新聞』2011年4月13日朝刊一面1頁「闇サイト殺人 2被告に無期懲役 名高裁判決 堀被告死刑破棄 「模倣性高いといえず」」(中日新聞社)</ref>。
名古屋高裁 (2011) は、両被告人からなされていた法令違反および事実誤認の主張をいずれも退け([[#控訴審|前述]])、情状についても原判決と同様の趣旨を認定した{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}一方、量刑について検討した。
362 ⟶ 383行目:
| rowspan="2" |殺害行為に関しては、「KTが主犯で2人が従属的だった」と言えるほど役割に大きな差はないが、'''2人ともKTの「拉致した女性を最終的に殺害する」という提案に安易に応じた側面があり、殺害の共謀が成立する前からそのような意思を有していたとはいえない'''{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。特に「山下」は運転席に座っていたという位置関係の影響もあったが、殺害行為への直接的な関与の度合いはKT・堀の両者より低い{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。<br/>このように、'''両被告人が殺害行為に関して果たした役割には、KTとの間に差がある'''ことは否定できず、原判決がその点を考慮せずに「3人の間に刑種の選択を分かつほどの役割の軽重の差異は認められない」と断じたことは相当ではない{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。
|'''死刑→無期懲役'''。<br/>犯行の大筋の決定などに大きな影響を与え、被害者の殺害(量刑判断に当たり最も重要な点)についてもKTに次いで積極的な役割を果たしてはいるが、その役割はKTと全く同等にまで見ることはできない{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。
| rowspan="2" |2被告人とも、本件ではさしたる躊躇もなく、強盗殺人などという重大凶悪な事件に加担しているため、犯罪への抵抗感が希薄であることは否定できない。しかし、'''2人とも粗暴犯・凶悪犯の前科はなく<ref group="注" name="堀前科"/>{{Efn2|name="山下前科"|「山下」の前科は詐欺罪などによる執行猶予付きの1犯で、本事件当時はその猶予期間中だった
|-
!{{nowrap|「山下」}}
|'''無期懲役(原判決と同じ)'''。<br/>サイトへの投稿によって事件のきっかけを作るなどしたほか、殺害行為の一部を分担したが、前者についてはKT・堀の両者が主体的な判断で「山下」からの誘いに応じた点や、当初は3人とも殺人を全く考えていなかったことなどに照らせば、この点は、強盗殺人を中心とする本件の量刑判断において殊更に重要な事情ではない{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。<br/>また単独で強盗強姦未遂に、「杉浦」とともに建造物侵入・窃盗などの犯行におよんではいる{{Efn2|そのため、「山下」側の「自首の点を評価し、有期懲役にすることが相当」という主張を退けた{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。}}が、殺害行為についてはKT・堀より関与の度合いは低い上、犯行後に自首して事件解決に一定の寄与をするなどした<ref group="注" name="自首による解決"/>点は、量刑に当たって相応の評価がされるべきだ{{Efn2|宇田幸生(犯罪被害者支援弁護士フォーラム会員・[[愛知県弁護士会]]){{Sfn|犯罪被害者支援弁護士フォーラム|2020}}は、「犯行は(預金の引き出しに失敗するなど)さほど巧妙ではなく、被害者が簡単に絶命しなかったため、殺害の手段を次々に変えた結果、殺害態様が残虐になった」として死刑を回避した名古屋高裁 (2011) の控訴審判決について、「被害者Aが預金を必死に守ろうと、虚偽の暗証番号を告げたことで犯行は失敗に終わった。そして、Aは最後まで生きることを諦めなかったため、凄惨な方法で殺害された」{{Sfn|犯罪被害者支援弁護士フォーラム|2020|pp=179-181}}「第一審判決が指摘した(インターネットを通じた犯行グループによる)犯罪の特殊性を重視しないならば、自首による犯罪発覚の効果もそこまで重視すべきではないとの考えもできるが、控訴審判決はその点について言及しなかった」と指摘した{{Sfn|犯罪被害者支援弁護士フォーラム|2020|p=183}}上で、「名古屋高裁は『被害者数が1名の場合には死刑を回避する』という結論ありきで判決を宣告したのではないか?」と評価している{{Sfn|犯罪被害者支援弁護士フォーラム|2020|pp=181-183}}。}}{{Sfn|名古屋高裁|2011|loc=検察官の控訴趣意及び被告人両名の控訴趣意中、量刑不当の論旨(被告人D〈「山下」〉につき量刑事情に関する事実誤認の主張を含む。)について}}。
|}
名古屋地裁 (2009) が[[サイバー犯罪|インターネット犯罪]]の危険性・模倣性を重視した<ref name="中日新聞2009-03-18"/> 一方、名古屋高裁 (2011) はその判断の枠組を否定し、2人に重大前科や詳細な殺害計画がない点などを挙げた上で、(「永山基準」が示されて以降、死刑判決が宣告された事件の多くは被害者が複数の場合に限られてきた)従来の判例を踏襲する形で、極刑を回避した{{Efn2|[[前田雅英]]([[東京都立大学 (2020-)|首都大学東京]]法科大学院教授)は「本件で問題になった『闇サイトの悪用』は、実際の犯罪行為から判断すれば、罪を重くすべき決定的な要素ではなく、『痕跡が残るため、発見は困難ではない』とした名古屋高裁の判断に一定の合理性がある。殺害された人数などから、死刑とするには特段の事情が必要な事件で、控訴審判決は従来の死刑選択基準にかなったものだ」と評価した{{Sfn|福田ますみ|2011|p=175}}一方、[[土本武司]](元[[最高検察庁]]検事)は「全体として悪質性を強調すべき事件の特色を過小評価し、『永山基準』に引きずられる形で極刑を回避した感が否めない。名古屋高裁が死刑回避の情状として挙げた『堀の更生可能性』『「山下」の犯行後の自首』は過大評価すべきでない」と指摘した<ref name="中日新聞2011-04-13 社会"/>。また、井口文彦(『[[産経新聞]]』編集長)は、名古屋高裁が「動機に酌量の余地はなく、(犯行は)残虐で無慈悲」と指摘しながら、「被害者が1人の事件で、死刑がやむを得ないと言えるほど悪質とは断じ難い」として、堀の死刑判決を破棄した(および、最高裁が「死刑にすべき特段の事情はない」としてその判断を是認した)ことについて、「被害者1人事件への死刑適用を回避するための言い訳としか思えない」「最高裁が言う『特段の事情』とは何なのか」と指摘した上で、「最高裁は、残虐で冷酷な犯行の中身より、『被害者が1人』との理由を優先して死刑を回避する司法の官僚主義が、市井から不信感を呼んでいることを認識すべきだ。被害者の数で死刑(適用の可否)を考える人数主義は、裁判員制度の精神と相容れない」と述べている<ref>『[[産経新聞]]』2012年8月14日大阪夕刊スポーツ面「【西論】編集長・井口文彦 最高裁報告と裁判員制度 「数」で死刑を考えるな」([[産経新聞大阪本社]])</ref>。}}<ref>『中日新聞』2011年4月13日朝刊一面1頁「被害者1人 判例を踏襲 破棄、より丁寧な説明を」(中日新聞社 社会部記者:加藤文)</ref>。
==== 判決確定 ====
[[名古屋高等検察庁]]は、堀を無期懲役とした控訴審判決を不服として、同月25日付で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[上告]]した{{Efn2|上告趣意書提出は2011年9月22日、答弁書提出は2012年3月15日<ref name="公判について"/>。}}<ref>『中日新聞』2011年4月25日夕刊第一社会面13頁「闇サイト殺人上告 名高検 堀被告の死刑破棄で」(中日新聞社)</ref>。一方、「山下」については上告を断念し<ref>『中日新聞』2011年4月23日朝刊第一社会面35頁「闇サイト殺人1人上告 名高検 自首踏まえ1人断念」(中日新聞社)</ref>、「山下」も上告期限(2011年4月26日)までに上告しなかったため、無期懲役が確定した<ref>『読売新聞』2011年4月28日東京朝刊第三社会面37頁「「闇サイト」判決が確定」(読売新聞東京本社)</ref>。
検察官は、上告趣意書(提出:2011年9月22日付)<ref name="公判について"/> で「控訴審判決は、永山判決(「永山基準」を示した判決)<ref name="永山基準"/> や、[[光市母子殺害事件]]の差戻し判決{{Efn2|2006年(平成18年)6月20日・最高裁第三小法廷判決{{Sfn|集刑|2012|p=103}}。同判決は、「'''犯行自体に関連する量刑要素を評価した上で、特に酌量すべき事情がない限りは死刑を選択するほかない'''」と判示したもの{{Sfn|集刑|2012|p=105}}で、検察官は闇サイト事件における堀の控訴審判決に対する上告趣意書で「堀に無期懲役を言い渡した控訴審判決は、結果の重大さ・悲惨さや、動機に酌むべき余地がない点、犯行が計画的である点、遺族の処罰感情の強さ、社会的影響の大きさなどの諸情状を軽視し、殺害された被害者が1人であることを過大に評価している」と指摘した{{Sfn|集刑|2012|p=127}}。}}を始めとする、最高裁の[[判例]]が示した死刑適用基準に反するほか、罪刑均衡および一般見地のいずれから見ても、著しい量刑不当であり、破棄しなければ著しく正義に反する」と主張した{{Sfn|集刑|2012|p=127}}。しかし、最高裁第二[[小法廷]]([[千葉勝美]]裁判長)は[[2012年]](平成24年)7月11日付で、堀に無期懲役を言い渡した控訴審判決を支持し、検察官の上告を[[棄却]]する決定を出した{{Sfn|最高裁|2012}}<ref>『中日新聞』2012年7月14日朝刊第一社会面31頁「闇サイト殺人 堀被告無期確定へ 最高裁 「関与に差」高裁支持」(中日新聞社)</ref> ため、同年7月18日付で堀の無期懲役が確定した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=21}}。しかし、堀は同年8月3日に'''[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]'''(1998年発生)の被疑者として、強盗殺人容疑で共犯者の男2人(同事件当時の仕事仲間)とともに愛知県警に逮捕された<ref>『中日新聞』2012年8月4日朝刊一面1頁「「闇サイト」堀受刑者逮捕 碧南の夫婦強殺容疑」(中日新聞社)</ref>。その後、同事件および強盗殺人未遂事件1件の被告人として起訴され、[[2019年]]([[令和]]元年)8月に死刑が確定している{{Efn2|堀は碧南事件などの被告人として、2015年(平成27年)12月15日に名古屋地裁刑事第4部([[景山太郎]]裁判長){{Sfn|名古屋地裁|2015}}で死刑を宣告された<ref>『中日新聞』2015年12月16日朝刊一面1頁「夫婦強殺 堀被告に死刑 妻殺害 共謀を認定 碧南の事件 裁判員判決」(中日新聞社)</ref>。同判決を不服として控訴した<ref>『中日新聞』2015年12月18日朝刊第一社会面31頁「碧南強殺で死刑 堀被告側が控訴」(中日新聞社)</ref> が、[[2016年]](平成28年)11月8日には名古屋高裁刑事第1部{{Sfn|名古屋高裁|2016}}(山口裕之裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡された<ref>『中日新聞』2016年11月9日朝刊第一社会面31頁「堀被告 二審も死刑 「主導的立場」 碧南強殺で判決」(中日新聞社)</ref>。その後、2019年7月19日に最高裁第二小法廷([[山本庸幸]]裁判長)で上告棄却の判決を受け{{Sfn|最高裁第二小法廷|2019}}<ref name="中日新聞2019-07-20"/>、同判決に対する訂正申立も、同小法廷による同年8月7日付の決定で棄却された{{Sfn|最高裁第二小法廷|2019.8}}<ref name="中日新聞2019-08-10"/>。}}<ref name="中日新聞2019-08-10">『中日新聞』2019年8月10日朝刊第14版第三社会面27頁「碧南夫婦強殺で死刑確定 最高裁 闇サイト事件の堀被告」(中日新聞社)</ref>。
== 加害者の経歴 ==
426 ⟶ 447行目:
小学生のころに両親が離婚し、父親から暴力を振るわれ、学校でも[[いじめ]]を受けるような環境で生育した<ref name="サイゾー2"/>。また16歳のころから激しい[[頭痛]]に悩まされ、治療費が高額なために十分な治療を受けられず{{Efn2|成人後も持病([[群発頭痛]])のため、職が長続きしなかった<ref name="サイゾー2">{{Cite news|title=深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.601 被害者と加害者の両視点で描く東海テレビの力作 闇サイト事件を劇映画化『おかえり ただいま』|newspaper=[[サイゾー|日刊サイゾー]]|date=2020-09-18|author=長野辰次|url=https://www.cyzo.com/2020/09/post_253068_entry_2.html|accessdate=2021-03-20|publisher=株式会社サイゾー|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320151041/https://www.cyzo.com/2020/09/post_253068_entry_2.html|archivedate=2021年3月20日}}</ref>。}}<ref name="毎日新聞2008-09-26">『毎日新聞』2008年9月26日中部朝刊社会面25頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人 3被告、争う姿勢--初公判」(毎日新聞中部本社 記者:式守克史)</ref>、[[暴走族]]に所属した{{Sfn|大崎善生|2016|p=226}}。[[1989年]]([[平成]]元年)<ref name="朝日新聞2007-08-27 社会">『朝日新聞』2007年8月27日名古屋朝刊第一社会面31頁「互いに偽名、素性知らず「女性狙い、金奪おう」 名古屋・女性殺害 3容疑者 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref>、地元・高崎市内の[[工業高等学校|工業高校]]を卒業<ref name="毎日新聞2007-08-27 社会">『毎日新聞』2007年8月27日中部朝刊社会面23頁「愛知・女性拉致殺害:「携帯サイト」殺人、面識ない女性襲う--仲間内でも偽名使い」(毎日新聞中部本社 記者:桜井平、松岡洋介)</ref>。[[人材派遣会社]]などに登録した{{Efn2|このころ、KTは家族に対し「自動車関係の仕事をしている」と説明していた<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。}}が、実際に仕事に就いた形跡はなく<ref name="読売新聞2007-09-01">『読売新聞』2007年9月1日中部朝刊社会面35頁「[闇サイト殺人](上)脱落トリオ、意気投合 一気に凶暴化(連載)=中部」(読売新聞中部支社 連載担当記者:山下昌一、譜久村真樹、半田真由子)</ref>、上京後には[[暴力団]]関係の仕事をするようになった{{Sfn|大崎善生|2016|p=226}}。その後、[[東京都]]内の[[新聞販売店]]・愛知県内の人材派遣会社など、仕事を転々としたが<ref name="毎日新聞2007-08-27 社会"/>、堀や「山下」と同様に、仕事は長続きせず<ref name="読売新聞2007-09-01"/>、各地を転々として名古屋にたどり着いた{{Sfn|大崎善生|2016|p=226}}。また、事件の10年ほど前(1997年ごろ)から携帯電話で闇サイトを利用していたとされる{{Efn2|KTは、堀や「山下」と出会った「闇の職安」について、「風俗関係の知人女性を希望者に紹介したり、事件の5年前から小遣い稼ぎに利用していた」と述べている<ref name="中日新聞2008-11-20"/>。}}<ref name="中日新聞2007-09-15"/><ref name="朝日新聞2007-09-15"/>。
[[2006年]](平成18年)9月から[[豊明市]]内の新聞販売店に入社し{{Efn2|入社のきっかけは「求人誌を読んだこと」<ref name="毎日新聞2007-08-27 社会"/> あるいは「携帯電話の求人サイトを見たこと」とされる<ref name="闇からの凶行 上"/>。}}、会社の寮に住み込む<ref name="闇からの凶行 上">『朝日新聞』2007年8月30日名古屋朝刊第一社会面35頁「(闇からの凶行 女性拉致殺人事件:上)職続かず、転落の3人【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref>。『[[朝日新聞]]』のセールススタッフとして<ref name="闇からの凶行 上"/>、新聞勧誘員の仕事をしていたが、勤務態度はあまり良くな
KTは[[#事件前の経緯|先述]]のように、闇サイトを悪用した別の詐欺事件で[[執行猶予]]付き有罪判決を受けて以降も、金欲しさから闇サイトの閲覧・投稿を続けていた<ref name="毎日新聞2009-03-14"/>。
438 ⟶ 459行目:
==== 死刑執行 ====
死刑囚KTは控訴を取り下げて死刑を確定させた後、一転して[[再審]]請求を検討していた{{Efn2|フォーラム90 (2012) によれば、KTは2011年3月に再審請求した{{Sfn|フォーラム90|2012|p=93}}とされるが、『中日新聞』 (2015) では「最近、再審請求の検討を始めていた」と報道されている<ref name="中日新聞2015-06-26"/>。}}<ref name="中日新聞2015-06-26">『中日新聞』2015年6月26日朝刊第二社会面30頁「KT死刑囚「再審望む」 闇サイト事件 見えなかった本心」(中日新聞社)</ref> が、2015年6月25日8時25分{{Sfn|年報・死刑廃止|2015|p=135}}、[[法務大臣]]・[[上川陽子]]{{Efn2|この死刑執行は、上川法務大臣にとって初の死刑執行命令だった<ref name="法務省2015"/>。上川は後に、[[市川一家4人殺害事件]](1992年発生)の死刑囚([[少年死刑囚|事件当時19歳]])を含む[[再審]]請求中の死刑囚2人や<ref>『[[千葉日報]]』2017年12月20日朝刊一面1頁「市川一家4人殺害 元少年の死刑執行 永山元死刑囚以来20年ぶり 再審請求中、群馬3人殺害も」(千葉日報社)</ref>、[[オウム真理教事件]]で死刑が確定した[[オウム真理教|教団]]元教祖の[[麻原彰晃]]ら、計15人(うち13人は麻原以下、オウム事件の死刑囚)の死刑執行を命じた<ref>{{Cite news|title=上川法相「1カ月2度の死刑執行初めて」 24日に署名|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|date=2018-07-26|author=浦野直樹|author2=北沢拓也|url=https://www.asahi.com/articles/ASL7V43J0L7VUTIL022.html|accessdate=2021-03-13|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210313081750/https://www.asahi.com/articles/ASL7V43J0L7VUTIL022.html|archivedate=2021年3月13日}}</ref>。上川が(麻原らオウム事件の死刑囚13人の死刑執行を命令した)2018年7月までに、自身の在任中に死刑執行を担当した死刑囚の人数(計16人)は、1989年(平成元年)11月から一時中断していた死刑執行が再開された1993年(平成5年)3月以降および<ref>{{Cite news|title=【社会】上川法相、執行最多の16人に|newspaper=[[東京新聞]]|date=2018-07-26|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072602000283.html|edition=夕刊|publisher=[[中日新聞東京本社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180726081231/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072602000283.html|archivedate=2018年7月26日}}</ref>、法務省が死刑執行に関する情報公開を行うようになった1998年(平成10年)10月以降では、1人の法務大臣として最多となっている<ref>{{Cite news|title=【オウム死刑執行】上川陽子法相「身勝手な教義の下、二度の無差別テロ」 2日前の24日に命令書署名|newspaper=[[産経新聞|産経ニュース]]|date=2018-07-26|url=https://www.sankei.com/affairs/news/180726/afr1807260016-n1.html|accessdate=2021-03-13|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201106093640/https://www.sankei.com/affairs/news/180726/afr1807260016-n1.html|archivedate=2020年11月6日}}</ref>。}}が発した死刑執行命令により、収監先の[[名古屋拘置所]]で[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑を執行された]](44歳没){{Efn2|死亡確認は8時37分(死刑執行から12分後){{Sfn|年報・死刑廃止|2015|p=135}}。その後、同日9時30分に名古屋拘置所から元弁護人の福井に連絡がなされ、遺品・遺骨などは全て福井に引き渡された(遺体は翌26日14時30分に火葬){{Sfn|年報・死刑廃止|2015|p=135}}。}}<ref name="中日新聞2015-06-25">『中日新聞』2015年6月25日夕刊一面1頁「闇サイト殺人 死刑執行 女性拉致、KT死刑囚」(中日新聞社)</ref>。[[日本弁護士連合会]](日弁連)は同日、村越進会長名義で死刑執行に抗議する声明を出した<ref>{{Cite press release|title=死刑執行に強く抗議し、改めて死刑執行を停止し、死刑制度の廃止についての全社会的議論を求める会長声明|publisher=[[日本弁護士連合会]](日弁連、会長:村越進)|date=2015-06-25|url=https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2015/150625.html|language=ja|accessdate=2018-02-08|archivedate=2018-02-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180208135110/https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2015/150625.html}}</ref>。
弁護士の福井秀剛<ref group="注" name="福井秀剛"/>(第一審でKTの国選弁護人を担当)は同年7月26日、[[静岡県]][[静岡市]][[葵区]]で開催された「上川陽子法務大臣の地元で死刑執行に抗議する集い」で、KTの最期について「死刑執行の直前、KTは被害者Aや彼女の遺族、および友人らに対し『命を以て償います』と言い残し、取り乱すことなく立派に死刑執行を受け入れた。KTは最期まで自分の犯したことと向き合っていた」と証言している{{Sfn|年報・死刑廃止|2015|pp=135, 137-140}}。一方、同集会では福井とともにKTの国選弁護人を務めていた藏冨恒彦<ref group="注" name="藏冨恒彦"/>弁護士は「国家賠償請求訴訟の間隙を縫って執行されたようで理不尽さを感じる。KTは控訴を取り下げなければ、共犯者(堀)とのバランス上は明らかに無期懲役相当事案であり、死刑執行を急ぐ必要はないはずだ。KTより先に死刑が確定した死刑囚は多数いるはずで、なぜ今回執行されたのか理解しがたいものがある。処遇が難しい死刑確定者なので執行を急いだとすれば、あまりにも理不尽ではないか?」と{{Sfn|年報・死刑廃止|2015|p=135}}、死刑廃止論者である弁護士2人([[安田好弘]]・[[村上満宏]]{{Efn2|村上は後に、碧南事件の第一審で堀の弁護人(主任弁護人:神谷武文)を務めている{{Sfn|名古屋地裁|2015}}。}})も「KTは控訴を取り下げなければ、堀と同様に控訴審で無期懲役に軽減されていた可能性が高い」と指摘している{{Sfn|年報・死刑廃止|2015|pp=126-137}}。
=== 「山下」 ===
2011年に無期懲役が確定した加害者'''「山下」'''(事件当時40歳){{Sfn|大崎善生|2016|p=200}}は[[1966年]](昭和41年)生まれ{{Sfn|名古屋高裁|2011}}・[[石川県]][[金沢市]]出身{{Efn2|逮捕直前は「愛知県
子供のころに[[腎臓病]]を罹患したことが原因でいじめを受け、高校進学後からその反動で[[不良行為少年|不良]]として[[非行]]に走るようになり、[[少年鑑別所]]に収監されたこともあった{{Sfn|大崎善生|2016|p=227}}。高校を出た後{{Efn2|『読売新聞』『朝日新聞』では「高校中退」<ref name="読売新聞2007-09-01"/><ref name="闇からの凶行 上"/>、『毎日新聞』では「高校卒業」と報道されている<ref name="道誤った臆病者"/>。}}、[[富山県]][[富山市]]内で<ref name="闇からの凶行 上"/>、大手警備会社に就職して7年間勤務した<ref name="道誤った臆病者"/>。[[1999年]](平成11年)8月、[[住宅ローン]]を組み、愛知県[[瀬戸市]]内の分譲マンションを購入<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊">『読売新聞』2007年8月27日東京夕刊第一社会面19頁「愛知の闇サイト殺人 多額借金で夜逃げ 車で生活、1週間前に共犯募る」(読売新聞東京本社)</ref>。妻・子供4人と共に暮らしていたが<ref name="読売新聞2007-09-01"/>、このころ(事件の8年ほど前)から携帯電話で闇サイトを利用し始め<ref name="中日新聞2007-09-15"/><ref name="朝日新聞2007-09-15"/>、「闇の職安」を通じて入手した偽の[[運転免許証]]を用いて、[[振り込め詐欺]]用の銀行口座を開設・販売していた<ref name="中日新聞2007-08-27 社会">『中日新聞』2007年8月27日朝刊第12版第一社会面25頁「拉致強殺 逮捕の3人 素性知らぬ「仲間」共謀 「弱い女性」狙う 身勝手、死刑恐れ自首」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1159頁</ref>。[[2000年]](平成12年)ごろ以降は、愛知県内の運送会社を転々とした{{Efn2|2000年末から4か月ほど、豊明市内の<ref name="闇からの凶行 上"/> 運送会社に勤めていたが、その際に「実家の父が病気」と言い<ref name="読売新聞2007-09-01"/>、毎月4 - 5万円を<ref name="闇からの凶行 上"/> 会社から借金<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。約30万円を返済しないまま<ref name="闇からの凶行 上"/>、行方をくらました<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。}}<ref name="闇からの凶行 上"/> が、各社に提出していた履歴書には、多くの虚偽記載があった{{Efn2|実際には高校を中退していたにも拘らず「卒業」と書いていたり、勤務年数を偽ったりなど<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。}}<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。
その後、金に困るようになり、住宅ローン<ref name="読売新聞2007-09-01"/>・税金を滞納したため、[[2002年]](平成14年)には瀬戸市などにマンションの部屋を差し押さえられた<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>。2002年12月、瀬戸市内の運送会社{{Efn2|人材派遣会社を通じて就職した<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>。同社の社長は『毎日新聞』の取材に対し、当時の「山下」について、「当時の月給は約30万円だったが、ローンを抱えて生活は苦しく、身なりも綺麗ではなかった」と証言した<ref name="道誤った臆病者"/>}}に就職し<ref name="道誤った臆病者"/>、会社が借り上げたアパートに住み始めたが<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>、それから数か月後には妻子に逃げられ<ref name="道誤った臆病者"/>、妻と離婚した<ref name="読売新聞2007-09-01"/>。その後、[[2003年]](平成15年)8月ごろに[[トヨタ・スターレット]]<ref group="注" name="リバティ"/>を<ref name="朝日新聞2007-08-30"/>、当時の職場(瀬戸市内の会社)を通し、毎月の給与から代金を天引きする形で購入<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>。しかし[[2004年]](平成16年)5月ごろ、荷物を積んだトラックを駐車場に放置したまま、会社に出勤しなくなり<ref name="闇からの凶行 上"/>、車とともに夜逃げした{{Efn2|この時、会社を通じて購入した車の借金を踏み倒した上、会社から支給された携帯電話を持ち去った<ref name="道誤った臆病者"/>。また同年、瀬戸市などによって再び部屋を差し押さえられた<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>。}}<ref name="読売新聞2007-08-28 夕刊"/>。その後は同県[[尾張旭市]]の運送会社に勤めたが、そこでも給料を前借していたほか、他に警備会社・運送会社を転々とし<ref name="読売新聞2007-09-01"/>、遺体遺棄現場となった[[瑞浪市]]周辺に住んでいたり<ref name="読売新聞2007-08-27社会"/>、殺害現場付近の愛西市で勤務していた時期もあった<ref name="朝日新聞2007-08-27 社会"/>。[[#事件前の経緯|先述]]したように詐欺事件で執行猶予付きの有罪判決を受けて以降も、金欲しさから闇サイトへの投稿・閲覧を続けていた<ref name="毎日新聞2009-03-14"/>。事件直前、「仕事が嫌になった」と無断欠勤し、車中で路上生活を始めたが、その前の約1年間は、派遣工として月10 - 20万円の収入を得て生活していた{{Sfn|名古屋地裁|2009|loc=(量刑の理由) 第3 個別の情状等 > 3 被告人Y3(「山下」)の個別情状}}。
逮捕後は「犯行場面の幻影を見て眠れなくなった」と精神安定剤を服用するようになり、曖昧な受け答えをするようになった{{Sfn|福田ますみ|2011|p=174}}。第一審でKTと堀が死刑を宣告された一方、自身は唯一死刑を免れる形となった際には、[[フジニュースネットワーク|FNN]]記者との面会で以下のように発言している{{Efn2|また、翌19日には『中日新聞』記者との面会でも「KTと同じ判決だったら控訴するつもりだったが、自首が認められ、助かった」と述べている<ref>『中日新聞』2009年3月20日朝刊第一社会面35頁「千種拉致殺害 自首評価に『助かった』 本紙記者面会 無期判決で「山下」被告」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="FNN 2009-03-18"/>。
453 ⟶ 474行目:
== 影響 ==
事件現場となった自由ヶ丘学区は、千種区内で最も犯罪件数が少ない学区だったため、本事件は地元住民にも大きな衝撃を与えた<ref name="中日新聞2007-09-01"/>。事件後(8月26日以降)、拉致現場となった
また、被害者Aが生前に「なるぅ」のハンドルネームで運営していた[[ブログ]]([[#外部リンク]]参照)には事件後、知人らによって追悼のコメントが多数投稿された{{Efn2|一方、匿名の投稿者らによる中傷コメントや、事件を揶揄するコメントも投稿されたが、それらのコメントは削除された<ref name="闇の接点 下">2007年8月30日朝刊第12版第一社会面35頁「女性拉致殺害事件 闇の接点 下 モラル破る匿名性 迫られるネット規制」(中日新聞社 記者:北島忠輔、太田鉄弥) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1301頁</ref>。}}<ref name="朝日新聞2007-08-29夕刊">『朝日新聞』2007年8月29日名古屋夕刊第一社会面9頁「レジ袋かぶせ犯行 手口も場当たり的 名古屋・女性拉致殺害 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)</ref><ref>『中日新聞』2007年8月28日夕刊E版第一社会面15頁「女性拉致殺害 Aさん 3月開設 ブログに込めた願いかなわず… 怒り、嘆き 知人ら次々書き込み」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1221頁</ref>。
460 ⟶ 481行目:
=== 被害者遺族の活動 ===
被害者Aの母親Bは事件後、8月28日(Aの通夜が営まれた日)に、「犯人たちを絶対に許さない」とする報道各社向けの手記を発表{{Efn2|これは、マスコミからの取材に追われたBが、警察に「マスコミが付きまとわないようにしてもらえないか」と相談したところ、警察から「お母さんのコメントを貰うまでは難しいでしょう。文章にして私に渡してくれれば、私の方からマスコミに渡します」と提案されたことに応じて書いたものだった{{Sfn|大崎善生|2016|pp=292-293}}。}}<ref>『中日新聞』2007年8月29日朝刊第12版第一社会面31頁「女性拉致殺害事件 Aさんの母 手記を公開 何の落ち度もない娘に…絶対に、絶対に、許しません。」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)8月号1253頁</ref>。その後、「日本の法律では、過去の例からも1人を殺しただけでは死刑にならない」という内容の手紙が届いたことを機に{{Sfn|大崎善生|2016|p=301}}、9月には加害者3人への死刑適用を求める[[署名]]活動の開始を決意<ref name="中日新聞2007-09-14">『中日新聞』2007年9月14日朝刊第12版第一社会面33頁「女性拉致殺害 3人きょう再逮捕 強殺、逮捕監禁容疑 愛知県警 Aさん母語る ただ犯人が憎い 「3人死刑」署名活動も」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2007年(平成19年)9月号607頁</ref>。初公判までに30万人分の署名{{Efn2|署名数は2008年12月18日に30万人(当初目標)に到達{{Sfn|極刑陳情書への署名を募っていたサイト}}。}}を集めることを目標に<ref>『中日新聞』2007年12月9日朝刊第二社会面38頁「母も街頭で署名活動 千種・女性拉致殺害」(中日新聞社)</ref>、同月中旬から署名活動を開始した{{Efn2|Aの元交際相手である男性Cや、Bの姉(Aの伯母)であるDも署名活動に積極的に協力した{{Sfn|大崎善生|2016|pp=313-314}}。署名活動に対しては「人殺しを募るなんて」という批判もあったが<ref>『中日新聞』2009年3月17日朝刊第一社会面27頁「ニュース前線 千種拉致殺害 あす判決 亡きAさん思い母が詩 空見上げればあなたが」(中日新聞社 社会部記者:長田弘己)</ref>、街頭での署名活動の際に激励の言葉を掛けられたり{{Sfn|大崎善生|2016|p=313}}、郵送で送られてきた署名用紙に「お母さんは1人じゃない」「私が裁判員なら死刑を主張する」などの言葉が綴られていた<ref name="中日新聞2008-09-24"/>。また、『読売新聞』社会部 (2009) は「署名に添えられた手紙の多くには、ネットを通じて形成された犯罪者集団が見ず知らずの市民を殺害したことに対する、切迫した不安感が滲んでいた」と述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=207}}。}}<ref name="中日新聞2007-09-23">『中日新聞』2007年9月23日朝刊第一社会面29頁「女性拉致殺害 母、娘しのぶHP 『もう一度抱きしめたい』」(中日新聞社)</ref> ほか、報道機関の取材に積極的に協力したり{{Efn2|Bは「(遺族として取材に応じることに抵抗はあったが)自分が表に出ることで、娘のことを覚えていてもらえる」と考え、マスコミからの取材に積極的に応じてきた<ref>『読売新聞』2008年8月24日中部朝刊第二社会面32頁「闇サイト殺人1年 進まぬ法規制 「娘の死、無駄にしないで」=中部」(読売新聞中部支社)</ref>。}}{{Sfn|大崎善生|2016|p=304}}、ホームページ([[#外部リンク]]を参照、同月22日に設立)を通じて署名活動への協力を呼びかけたりした<ref name="中日新聞2007-09-23"/>。同月27日以降は名古屋市の繁華街(名駅・栄)でも署名活動を実施し{{Efn2|Dは初めて街頭で署名活動を行った9月27日、(ホームページに送られてきたメールの処理のために来れなかった)Bに対し、「(同日に署名に賛同した人々のうち)約半分は事件を知っていたが、もう半分はこの署名活動を通じて初めて事件を知った」と話している{{Sfn|大崎善生|2016|p=313}}。}}{{Sfn|大崎善生|2016|pp=312-313}}、初公判直前(2008年9月時点)で284,000人分の署名を集め<ref name="中日新聞2008-09-24">『中日新聞』2008年9月24日朝刊第一社会面27頁「ニュース前線 千種・拉致殺害 あす初公判 母『傍聴怖いが真実を』 署名28万人 元気と勇気」(中日新聞社 記者:加藤弘二)</ref>、2012年8月25日{{Efn2|事件からちょうど5年の日<ref name="読売新聞2015-06-26"/>。}}に終了するまでに、332,806名分の署名が集まった{{Efn2|署名は日本国内だけでなく、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[スイス]]、[[ニュージーランド]]といった海外から郵送されたものもあった{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=206}}。また[[地下鉄サリン事件]]([[オウム真理教事件]])の実行犯である[[広瀬健一]]([[オウム真理教|教団]]元幹部 / 2009年に死刑確定・2018年に死刑執行)の弁護人を務めていた弁護士の田瀬英敏([[第二東京弁護士会]]所属)も、自身の弁護士事務所の職員全員とともに署名を行ったが、田瀬はその理由について「広瀬は教祖([[麻原彰晃|松本智津夫]])による[[マインドコントロール]]下で犯行におよんでおり、一貫して罪を悔いているため、死刑は重すぎると思ったが、本事件の加害者は誰から指示されたわけでもなく凶悪な犯行におよんだ。死刑が言い渡されなければ、女性が夜道を歩くことが命賭けになってしまう」と述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=208-209}}。}}{{Sfn|極刑陳情書への署名を募っていたサイト}}<ref name="読売新聞2015-06-26">『読売新聞』2015年6月26日中部朝刊社会面31頁「闇サイト殺人 被害者母「一つの区切り」 極刑求め活動=中部」(読売新聞中部支社)</ref>。また、第一審の第13回公判<ref name="公判について"/>(2008年12月8日)<ref name="中日新聞2008-12-09"/>、控訴審の第3回公判(2010年10月18日)ではそれぞれ証人として出廷し、被告人らへの死刑適用を求めた<ref>『中日新聞』2010年10月19日朝刊第三社会面32頁「『生きて一生償いたい』 闇サイト事件 控訴審で堀被告」(中日新聞社)</ref>。
また、Bは当時の[[鳩山邦夫]][[法務大臣]]や{{Efn2|公判の早期開始や、インターネット上の有害サイトの法規制、(凶悪犯罪に対し厳罰を下すことで犯罪の抑止力を発揮するための)法改正・法整備を求める手紙(2008年3月3日付)<ref name="中日新聞2008-03-04"/>。その後、鳩山は同月6日付でBに対し「『凶悪犯罪に対する厳罰が犯罪の抑止力になる』という考えは同感だ。インターネットを使った犯罪など、新しい類型の犯罪を考える必要もある」という趣旨の返信を送っている<ref>『中日新聞』2008年3月11日朝刊第一社会面35頁「千種拉致殺害 母の手紙 法相返信 サイト対策に理解」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="中日新聞2008-03-04">『中日新聞』2008年3月4日朝刊第一社会面35頁「千種の拉致殺害 Aさんの母 法相あてに直訴の手紙 始まらぬ公判 有害サイト放置」(中日新聞社)</ref>、[[検事総長]]に対し、それぞれ請願の手紙を送ったほか<ref name="中日新聞2015-06-25 社会"/>、平成23年度版『犯罪被害者白書』に手記を寄せた<ref>{{Cite book|和書|title=犯罪被害者白書 平成23年度|publisher=[[内閣府]]|date=2011-06-01|pages=16-17|url=https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/whitepaper/w-2011/html/gaiyou/part3/c5.html|format=html|accessdate=2021-03-21|id={{NDLJP|3492287}}|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321132525/https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/whitepaper/w-2011/html/gaiyou/part3/c5.html|archivedate=2021-03-21}}</ref><ref>{{Cite news|title=「被害者1人でも死刑を」署名活動した母親 死刑容認派は8割|newspaper=産経ニュース|date=2015-06-25|url=https://www.sankei.com/affairs/news/150625/afr1506250053-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321133652/https://www.sankei.com/affairs/news/150625/afr1506250053-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref><ref>『産経新聞』2015年6月25日東京朝刊社会面「名古屋闇サイト殺人死刑執行 母親の執念、署名30万超」([[産経新聞東京本社]])</ref>。また、「緒あしす」{{Efn2|「NPO法人 犯罪被害当事者ネットワーク 緒あしす」(2000年9月に、東海地方で初めての犯罪被害者自助グループとして設立)<ref>{{Cite web|url=http://www.oasis2000.com/about.html|title=緒あしすとは|accessdate=2021-03-21|publisher=NPO法人 犯罪被害当事者ネットワーク 緒あしす|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321130734/http://www.oasis2000.com/about.html|archivedate=2021-03-21}}</ref>。}}や「[[殺人事件被害者遺族の会|宙の会]]」{{Efn2|Bは2012年3月に「宙の会」へ入会し、同年以降は[[愛知豊明母子4人殺人放火事件]](2004年9月9日に愛知県豊明市で発生・[[未解決事件|未解決]])の被害者遺族とともに<ref>『毎日新聞』2012年9月3日中部朝刊社会面21頁「愛知・豊明の放火殺人:未解決のまま8年 罪償って 思いは同じ 「闇サイト」被害者母がビラ」(毎日新聞中部本社 記者:岡大介、沢田勇)</ref>、同事件の発生日に情報提供を呼びかけるビラを配布する活動を行っている<ref name="中日新聞2015-06-25 社会"/>。}}といった犯罪被害者の自助団体{{Efn2|自助グループのメンバーの1人として、[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]](1994年)の被害者遺族(「[[長良川]]事件」被害者の父親」)がいる<ref name="中日新聞2011-04-13 社会">『中日新聞』2011年4月13日朝刊第二社会面30頁「闇サイト殺人 「誰のための裁判か」 Aさん母、無念 名高裁判決 「被害者目線なかった」」(中日新聞社)</ref>。}}に参加したり、犯罪被害者遺族の支援拡大を訴え、講演{{Efn2|2017年8月時点で、全国各地で60回以上の講演活動を行ったほか、「事件を若い人にも知ってほしい」とインターネット上での討論会にも参加した<ref>『中日新聞』2017年8月24日朝刊第11版一面1頁「闇サイト殺人10年 「社会を変えたい」 娘の死 母は語り続ける」(中日新聞社 記者:塚田真裕)</ref>。}}などの活動を行っている<ref name="中日新聞2015-06-25 社会">『中日新聞』2015年6月25日夕刊第一社会面11頁「3人極刑求め法相らに請願 Aさんの母」(中日新聞社)</ref>。以下は主張・希望の概要である。
* 「加害者の更生という未来の不確定なことを前提にして裁くのではなく、まじめに生きている人を守ることを優先して裁く司法であってほしい」<ref>{{Cite news|title=【死刑制度廃止論】闇サイト殺人遺族のBさん基調講演詳報 「被害者が1人でも、私にとってはかけがえのない大切な娘」 残忍な殺害状況も子細に…|newspaper=産経ニュース|date=2016-12-24|url=https://www.sankei.com/affairs/news/161224/afr1612240001-n7.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|page=7|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321141543/https://www.sankei.com/affairs/news/161224/afr1612240001-n7.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>
* 死刑制度は存置すべきで、[[日本弁護士連合会]](日弁連)が2016年10月7日に採択した「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言{{Efn2|同宣言で、日弁連は死刑制度の代替として[[終身刑]]を提案しているが、Bは「被害者遺族も払っている税金を使って加害者を生かす制度(死刑制度に代わる終身刑)は必要ない」と述べている<ref>『毎日新聞』2016年12月18日東京朝刊東京都内地方版27頁「シンポジウム:死刑巡り 遺族「制度存置を」 /東京」(毎日新聞東京本社)</ref>。}}<ref>{{Cite web|url=https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2016/2016_3.html|title=死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言|accessdate=2021-03-22|publisher=[[日本弁護士連合会]]|date=2016-10-07|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210322121001/https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2016/2016_3.html|archivedate=2021-03-22}}</ref><ref>{{Cite news|title=日弁連がついに「死刑廃止」宣言を採択 野次や声援飛び交うなか…福井市の人権擁護大会|newspaper=産経ニュース|date=2016-10-07|url=https://www.sankei.com/west/news/161007/wst1610070076-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321155011/https://www.sankei.com/west/news/161007/wst1610070076-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref> には反対。
* 裁判官は(殺害された)被害者の数だけでなく、犯罪内容を見て裁くべきだ<ref>『中日新聞』2014年1月24日朝刊市民版16頁「「娘の事件忘れないで」 闇サイト事件の遺族講演 守山署」(中日新聞社)</ref><ref>{{Cite news|title=【死刑制度廃止論】闇サイト殺人遺族のBさん基調講演詳報 「被害者が1人でも、私にとってはかけがえのない大切な娘」 残忍な殺害状況も子細に…|newspaper=産経ニュース|date=2016-12-24|url=https://www.sankei.com/affairs/news/161224/afr1612240001-n8.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|page=8|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321142109/https://www.sankei.com/affairs/news/161224/afr1612240001-n8.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref><ref>『毎日新聞』2017年9月15日中部朝刊愛知地方版21頁「にじ:司法の常識 /愛知」(毎日新聞中部本社 記者:金寿英)</ref>。
* 被疑者や被告人だけでなく、被害者やその家族の[[人権]]や処遇を[[日本国憲法|憲法]]に明記すること{{Sfn|犯罪被害者支援弁護士フォーラム|2020|p=207}}。
471 ⟶ 492行目:
=== 類似事件 ===
[[2017年]](平成29年)に発覚した'''[[座間9人殺害事件]]'''は、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|会員制交流サイト (SNS)
[[2018年]](平成30年)6月には、[[静岡県]][[藤枝市]]の山中で女性看護師の遺体が発見される事件が発生したが<ref name="中日新聞2019-04-16">『中日新聞』2019年4月26日朝刊県内版12頁「平成の事件後 愛知 (中) ネット 犯罪防ぐ対策不可欠」(中日新聞社 記者:河北彬光)</ref>、同事件はインターネットの掲示板で知り合った男3人{{Efn2|同事件では、拉致を主導したとされる男(事件後に自殺)が、被疑者死亡のまま殺人・死体遺棄・営利目的略取・逮捕監禁の各容疑で[[書類送検]]された<ref>{{Cite news|title=看護師殺害 自殺の男を書類送検 殺人、死体遺棄など4容疑 静岡|newspaper=[[産経新聞|産経ニュース]]|date=2018-10-16|url=https://www.sankei.com/region/news/181016/rgn1810160026-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321122645/https://www.sankei.com/region/news/181016/rgn1810160026-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>(後に[[不起訴処分]])<ref>{{Cite news|title=看護師殺害、男を不起訴 拉致主導役 静岡地検|newspaper=産経ニュース|date=2018-10-18|url=https://www.sankei.com/affairs/news/181018/afr1810180039-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321122723/https://www.sankei.com/affairs/news/181018/afr1810180039-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>。また、共犯の男2人も殺人容疑については不起訴処分となり<ref>{{Cite news|title=看護師遺棄、殺人容疑で再逮捕の男2人を不起訴|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|date=2018-09-26|url=https://www.asahi.com/articles/ASL9V5D8PL9VUTPB00Z.html|accessdate=2021-03-21|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321123110/https://www.asahi.com/articles/ASL9V5D8PL9VUTPB00Z.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>、1人(営利略取罪・逮捕監禁罪で起訴)は懲役4年の刑が確定<ref>{{Cite news|title=看護師拉致で懲役4年確定 営利略取と監禁の28歳男|newspaper=産経ニュース|date=2019-01-07|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190107/afr1901070006-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321123621/https://www.sankei.com/affairs/news/190107/afr1901070006-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>。もう1人は営利目的略取・逮捕監禁・詐欺・死体遺棄の罪に問われ<ref>{{Cite news|title=ネットで集まった男たちの凶行 2つの公判でも真相分からぬまま|newspaper=産経ニュース|date=2019-02-16|author=石原颯(産経新聞静岡支局)|url=https://www.sankei.com/premium/news/190216/prm1902160010-n3.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|page=3|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321124029/https://www.sankei.com/premium/news/190216/prm1902160010-n3.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>、懲役7年の刑を言い渡されている<ref>{{Cite news|title=浜松看護師遺棄・被告に懲役7年判決 静岡地裁浜松支部|newspaper=産経ニュース|date=2019-02-15|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190215/afr1902150006-n1.html|accessdate=2021-03-21|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321122452/https://www.sankei.com/affairs/news/190215/afr1902150006-n1.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref>。}}が被害者の女性を拉致し、遺体を山中に遺棄した事件として、本事件との共通性が指摘されている<ref name="朝日新聞2018-06-15">{{Cite news|title=「全てが娘と重なる」 闇サイト被害者の母が胸中語る|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2018-06-15|author=松本龍三郎|url=https://www.asahi.com/articles/ASL6G4TNSL6GUTIL021.html|accessdate=2021-03-21|publisher=朝日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321121201/https://www.asahi.com/articles/ASL6G4TNSL6GUTIL021.html|archivedate=2021年3月21日}}</ref><ref>{{Cite news|title=【特集】闇サイト 消えない“不条理” 「ダークウェブ」を絶て|newspaper=共同通信|date=2018-07-03|author=柴田友明|url=https://this.kiji.is/386759807099110497|accessdate=2021-03-21|agency=[[共同通信社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210321122015/https://this.kiji.is/386759807099110497|archivedate=2021年3月21日}}</ref>。
485 ⟶ 506行目:
=== 映像作品 ===
[[東海テレビ放送]]の[[ドキュメンタリー]]チーム{{Efn2|ドキュメンタリーチームは2006年から司法関連のドキュメンタリー番組を相次いで制作しており、本作はその第5弾<ref name="読売新聞2009-04-11">『読売新聞』2009年4月11日中部朝刊愛知県版第二地方面22頁「裁判とどう向き合うか あす東海テレビでドキュメンタリー=愛知」(読売新聞中部支社)</ref>。『裁判長のお弁当』(2007年)が[[ギャラクシー賞|ギャラクシー大賞]]を受賞<ref name="読売新聞2009-04-11"/>。また、2006年には[[名張毒ぶどう酒事件]]を題材とした『「重い扉」~名張毒ぶどう酒事件の45年~』(第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品)が<ref>{{Cite web|url=https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/15th/06-204.html|title=第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『「重い扉」~名張毒ぶどう酒事件の45年~』 (東海テレビ)|accessdate=2021-03-20|publisher=[[フジテレビジョン]]|date=2006-07-08|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201001084921/https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/15th/06-204.html|archivedate=2021-03-20}}</ref>、2008年には同じく名張事件を題材にした『黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~』や、[[光市母子殺害事件]]の弁護団に焦点を当てた『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(2008年)が制作され、ともに「日本民間放送連盟賞」(中部・北陸地区審査会)の1位を受賞している<ref>{{Cite press release|title=『日本民間放送連盟賞』 中部・北陸地区審査会 報道部門・教養部門ダブルで1位!|publisher=[[東海テレビ放送]]|date=2008-07-04|url=https://www.tokai-tv.com/press/pdf/2008/080704_01.pdf|format=PDF|language=ja|accessdate=2021-03-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320153905/https://www.tokai-tv.com/press/pdf/2008/080704_01.pdf|archivedate=2021-03-20}}</ref>。}}は2008年夏以降、[[裁判員制度]]開始(2009年5月)を控え、本事件の被害者Aの母親Bのほか、同じ東海地方で発生した凶悪事件の被害者遺族{{Efn2|[[名古屋保険金殺人事件]](1983年)の被害者の兄および、[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]](1994年・「長良川事件」)の被害者の父親<ref>『朝日新聞』2009年4月10日名古屋夕刊ポップ6頁「死刑―被害者遺族の思いは 12日、東海テレビ放送 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社 記者:増田愛子)</ref>。}}を取材し、2009年4月12日にドキュメンタリー番組『罪と罰 -娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父-』を放送した<ref name="読売新聞2009-04-11"/>(ナレーター:[[藤原竜也]])<ref name="罪と罰">{{Cite web|url=https://www.tokai-tv.com/tsumibatsu/|title=罪と罰 ―娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父―|accessdate=2021-03-20|publisher=[[東海テレビ放送]]|date=2009-04-12|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320143219/https://www.tokai-tv.com/tsumibatsu/|archivedate=2021-03-20}}</ref>。
* 東海テレビは同番組放送以降も、被害者Aの母親Bを継続取材し、「事件前の母娘の物語」を再現したドキュメンタリードラマ『Home(ホーム) 東海テレビ開局60周年記念 ドキュメンタリードラマ』[プロデューサー:[[阿武野勝彦]](東海テレビ)、監督・脚本:齊藤潤一(東海テレビ)、助監督・ドキュメンタリー取材:繁澤かおる]<ref name="Home">{{Cite web|url=http://tokai-tv.com/home/|title=Home(ホーム) 東海テレビ開局60周年記念 ドキュメンタリードラマ|accessdate=2021-03-20|publisher=東海テレビ放送|date=2018-12-25|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320145138/https://www.tokai-tv.com/home/|archivedate=2021-03-20}}</ref> を2018年12月25日19時00分 - 21時00分に放送<ref>{{Cite web|url=https://www.tokai-tv.com/ichioshi/|title=いちおし番組|accessdate=2021-03-20|publisher=東海テレビ放送|date=2019-01|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320150127/https://www.tokai-tv.com/ichioshi/|archivedate=2021-03-20}}</ref>。同作では被害者Aを[[佐津川愛美]](子供時代:[[矢崎由紗]])が、母親Bを[[斉藤由貴]]が演じた<ref name="Home"/>。その後、同番組を再構成した[[映画]]作品『おかえり ただいま』([[映画監督|監督]]:齊藤潤一)が<ref>{{Cite news|title=深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.601 被害者と加害者の両視点で描く東海テレビの力作 闇サイト事件を劇映画化『おかえり ただいま』|newspaper=[[サイゾー|日刊サイゾー]]|date=2020-09-18|author=長野辰次|url=https://www.cyzo.com/2020/09/post_253068_entry.html|accessdate=2021-03-20|publisher=株式会社サイゾー|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320151042/https://www.cyzo.com/2020/09/post_253068_entry.html|archivedate=2021年3月20日}}</ref>、2020年9月19日から劇場公開された<ref name="映画化">{{Cite news|title=カネ欲しさに見知らぬ女性を拉致・殺害…「死刑囚」の生い立ちを追って 名古屋闇サイト殺人事件が映画化|newspaper=弁護士ドットコムニュース|date=2020-09-11|author=編集部・吉田緑|url=https://www.bengo4.com/c_23/n_11676/|accessdate=2021-03-20|publisher=[[弁護士ドットコム]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210320142155/https://www.bengo4.com/c_23/n_11676/|archivedate=2021年3月20日}}</ref>。
;その他テレビ番組
* 『[[テレメンタリー]]2008 ネット社会に潜む“闇” ~名古屋・女性拉致殺害事件~』[制作局:[[名古屋テレビ放送]](メ~テレ)] - 2008年2月12日に[[テレビ朝日系列]]で放送<ref>{{Cite web|url=https://www.tv-asahi.co.jp/telementary_archives/contents/backnumber/0225/|title=ネット社会に潜む闇~名古屋・女性拉致殺害事件~2008年2月11日放送~|accessdate=2021-06-06|publisher=[[テレビ朝日]]|date=2008-02-11|website=[[テレメンタリー]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210606142601/https://www.tv-asahi.co.jp/telementary_archives/contents/backnumber/0225/|archivedate=2021-06-06}}</ref>。ディレクター:酒井千絵、プロデューサー:赤地龍也ほか(ナレーション:[[屋良有作]])<ref>{{Cite web|url=https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=143522|title=検索結果 テレメンタリー2008 ネット社会に潜む“闇” ~名古屋・女性拉致殺害事件~|accessdate=2021-06-06|publisher=[[放送ライブラリー]]|date=2008-02-12|website=[https://www.bpcj.or.jp/ 放送ライブラリ公式ページ]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210606130949/https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=143522|archivedate=2021-06-06}} - 同番組は、[[放送ライブラリー]]([[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]])の視聴ブースにて番組ID「201232」を入力することで視聴が可能。</ref>。
504 ⟶ 525行目:
== 参考文献 ==
'''本事件における刑事裁判の[[判決 (日本法)|判決]]文・[[裁判#裁判の形式|決定]]'''
*
** [[裁判官]]:[[
** [[被告人]]:KT(本文中「Y1」)・[[堀慶末]](本文中「Y2」)・「山下」(本文中「Y3」)
** [[判決 (日本法)|判決]][[主文]]:被告人Y1及び被告人Y2'ことY2を[[日本における死刑|死刑]]に処する。被告人Y3’ことY3を[[懲役#無期懲役|無期懲役]]に処する。被告人Y3’ことY3に対し、[[未決勾留]]日数中370日をその刑に算入する。([[求刑]]:被告人3名に対し、いずれも死刑)
** [[検察官]]:川原幸夫・海津祐司
** 各被告人の[[弁護人]]
*** KTの[[国選弁護制度|国選]]弁護人:藏冨恒彦(主任)・福井秀剛
*** 堀の国選弁護人:渥美雅康(主任)・中山弦
*** 「山下」の国選弁護人:萱垣建(主任)・都築真琴
* [[控訴]]審判決 - {{Cite 判例検索システム|ref={{SfnRef|名古屋高裁|2011}}|事件番号=平成21年(う)第219号|裁判年月日=[[2011年]]([[平成]]23年)4月12日|裁判所=[[名古屋高等裁判所]]|法廷=刑事第2部|裁判形式=判決|事件名=営利略取、逮捕監禁、強盗殺人、死体遺棄、窃盗未遂、強盗強姦未遂、建造物侵入各被告事件|判例集=『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25670946|判示事項=|裁判要旨=インターネットの[[電子掲示板|掲示板]]を利用して集まった被告人らが、帰宅途中の被害女性を自動車内に押し込んで逮捕監禁し、暴行を加えて現金及びキャッシュカードを強取し、脅迫してキャッシュカードの暗証番号を聞き出した後、同女を殺害してその死体を遺棄するなどした営利略取、逮捕監禁、強盗殺人、強盗強姦未遂の事案において、殺害された被害者が1名である本件において、死刑の選択がやむを得ないと言えるほど他の量刑要素が悪質であるとは断じがたいことなどから、被告人A(堀慶末)を死刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、他方で、被告人B(「山下」)を無期懲役に処した原判決の量刑は結論において相当であるとして、原判決中、被告人Aに関する部分を破棄し、被告人Aを無期懲役に処した事例。 (TKC) }}
** 裁判官:[[下山保男]](裁判長)・[[柴田厚司]]・[[松井修 (裁判官)|松井修]]
** 被告人
***
*** 「山下」 - 同上および強盗強姦未遂、建造物侵入(求刑:死刑/原判決の量刑:
**
**
*** [[名古屋地方検察庁]]検察官:玉岡尚志 - 被告人「山下」に対し控訴し、控訴趣意書を作成
*** [[名古屋高等検察庁]]検察官:白井玲子・工藤恭裕 - 両被告人の控訴趣意書に対する答弁書を記載・提出、被告人「山下」に対する控訴趣意書を提出
** 被告人の
*** 堀の弁護人:長谷川龍伸(主任弁護人)・夏目武志・稲垣高志 - 控訴趣意書を連名作成
*** 「山下」の弁護人:成田龍一(主任弁護人)・金井正成・磯貝隆博 - 控訴趣意書を連名作成、および検察官の控訴趣意書に対する答弁書を連名作成
* 堀慶末(検察官が[[上告]])の上告審決定 - {{Cite 判例検索システム|Ref={{SfnRef|最高裁|2012}}|事件番号=平成23年(あ)第844号|裁判年月日=[[2012年]](平成24年)7月11日|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]|裁判形式=決定|判例集=集刑 第308号91頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=82564|事件名=営利略取、逮捕監禁、強盗殺人、死体遺棄、窃盗未遂被告事件|判示事項=被害者1名の強盗殺人等の事案につき無期懲役の量刑が維持された事例(名古屋闇サイト殺人事件)}}
** [[裁判#裁判の形式|決定]]主文:本件上告を棄却する。
** [[最高裁判所裁判官]]:[[千葉勝美]](裁判長)・[[竹内行夫]]・[[須藤正彦]]
** 収録文献 - {{Cite journal|和書|journal=最高裁判所裁判集 刑事|year=2012|title=平成24年7月11日決定 平成23年(あ)第844号|issue=308|pages=91-127|publisher=最高裁判所|ref={{SfnRef|集刑|2012}}|NCID=|id={{国立国会図書館書誌ID|000000086900}}}}:『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)2012年5月 - 10月号。検察官の上告趣意書が収録されている。
528 ⟶ 558行目:
** 判決内容:原告の請求(賠償金:2,700万円)のうち、計145万2,000円の支払いを命じる
** 裁判官:德永幸藏(裁判長)・光野哲治・荻野文則
** [[原告]]:死刑囚KTおよび藏冨恒彦・福井秀剛(死刑囚KTの第一審における
** [[被告]]:日本国
'''[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]における[[堀慶末]]への判決文・決定文'''
598 ⟶ 628行目:
{{死刑囚}}
<!-- 以下のマジックワードは除去しないでください。プライバシーの侵害になるおそれがあります -->▼
{{デフォルトソート:やみさいとさつしんしけん}}
[[Category:平成時代の殺人事件]]
614 ⟶ 648行目:
[[Category:瑞浪市の歴史]]
[[Category:戦後の名古屋]]
▲<!-- 以下のマジックワードは除去しないでください。プライバシーの侵害になるおそれがあります -->
▲{{noexternallanglinks:*}}
|