百済王理伯

奈良時代の貴族。百済王敬福の子。従四位下・右京大夫

百濟王 理伯(くだらのこにきし りはく)は、奈良時代貴族官位従四位下右京大夫

 
百済王 理伯
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 宝亀7年6月16日776年7月6日
官位 従四位下右京大夫
主君 孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 百済王氏
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経歴 編集

孝謙朝天平勝宝6年(754年従五位下摂津亮に叙任される。淳仁朝でも天平宝字6年(762年肥後守と地方官を務める。

称徳朝では、天平神護2年(766年)従五位上、天平神護3年(767年正五位下・摂津大夫、神護景雲4年(770年)従四位下に叙任されるなど、引き続き地方官を務めながら順調に昇進した。

光仁朝に入っても宝亀2年(771年伊勢守と地方官を務めた後、宝亀5年(774年)右京大夫として京官に遷る。宝亀7年(776年)6月16日卒去。最終官位は右京大夫従四位下。

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

参考文献 編集