石口 広宗(いしぐち ひろむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。

 
石口広宗
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年6月3日1582年7月2日
別名 通称:采女
主君 北条高広上杉景勝
氏族 石口氏
兄弟 広宗、内匠、兵部、大膳
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略歴 編集

元は北条高広の家臣。天正6年(1578年)の御館の乱では北条城に籠城して奮戦したが、天正9年(1582年)3月に降伏し、以後上杉景勝に仕えた。

その後景勝に越中国魚津城に送られる。魚津城の戦いの際には守将として奮戦したが、織田信長の家臣・柴田勝家に攻められ、天正10年(1582年)6月3日に弟内匠、兵部、大膳と共に自刃した。

脚注  編集