福岡本拠地時代のライオンズ主催試合の地方球場一覧

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福岡本拠地時代のライオンズ主催試合の地方球場一覧では福岡県に本拠地を置いていた時のライオンズ(西鉄クリッパース、西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ)のホームスタジアムの平和台球場以外で公式戦を主催した野球場を列記する(フランチャイズ制度が導入された1952年から)(平和台本拠地最終年度の1978年まで)。

なお、所沢に本拠地を移転した1979年以降は、埼玉西武ライオンズ主催試合の地方球場一覧を参照。

福岡県(保護地域) 編集

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海外 編集

参考事項 編集

  • 九州時代のライオンズは平和台球場がメイン球場ではあったが西鉄末期の1965年から1972年は小倉球場でも毎年20試合以上開催されていた。特に1965年は平和台と小倉の開催数は35試合ずつと同数であった。
  • 小倉で開幕戦を行う年もあった。1958年は特に平和台の施設改善工事(スタンド増築その他)が開幕までに間に合わなかったので、開幕シリーズをこの年新設された小倉球場(現-北九州市民球場)で行った。
  • 西鉄ライオンズの前身の一つである西日本パイレーツ(1950年の1年間、セントラル・リーグに存在。1951年より西鉄クリッパーズと合併してライオンズになった)は、佐賀県祐徳国際グラウンドで主催試合を行った記録が残っている[1]。また日程調整の関係で、本来は福岡で50-60試合程度行うとしていたが、実際に行われたのは平和台での4試合を含む7試合にとどまり[2]、6月4日に行われた大洋ホエールズ主管扱いの試合を最後に、74泊75日で福岡を離れる日程が組み込まれ[3]、さらに10月11日の中日ドラゴンズ戦で一旦福岡・平和台に戻る予定だったが、雨天中止となり、結果的に閉幕まで福岡県内で試合を行うことは1試合もなかった。
  • 1973年の後楽園での主催試合は日程消化の都合上、ダブルヘッダー第1試合を本来のホームチームである日拓主催で行い、第2試合を太平洋主催で行ったものである。また1956年度の後楽園での主管試合は、リーグ優勝決定した場合はすぐに日本シリーズが同球場(読売ジャイアンツ主管)で開幕する日程が決まっており、その移動日程の関係もあった(その試合で西鉄の優勝が確定)
  • 九州を本拠地とする球団であったので九州各県(アメリカ占領下の沖縄県を含む)で主催試合を行ったが、宮崎県では主催試合を1度も行っていない。なお、現行の福岡県を本拠とする福岡ソフトバンクホークスは沖縄県・佐賀県ではいまだ主管試合をしていないが、ライオンズ主管の沖縄での試合では2019年・2022年の対戦相手(ビジター)として登場している。

脚注 編集