福田宏年
来歴・人物 編集
香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京大学文学部独文科卒業。
専門は、登山にまつわる随筆、紀行、ドイツ文学などの翻訳のほか、トーマス・マン、 テオドール・フォンターネ、ロベルト・ムジールを中心にドイツ近代小説の研究。また、井上靖夫人の次兄の娘婿で[1]、最もよき理解者である。『井上靖の世界』『井上靖評伝覚』は、文献的にも作家論的にも井上靖に関する最高の業績である。
1964年(昭和39年)5月に立教大学山岳部ヒマラヤ登山隊を指揮し、ペタンツェ登頂に成功する。同年、その登山記録『バルン氷河紀行 あるヒマラヤ小登山隊の記録』を刊行[2]。翌年の1965年(昭和40年)にも井上靖と共にシルクロードの旅を行った。
1969年(昭和44年)立教大学文学部内に紛争が起こり、辞職[3]。1970年(昭和45年)中央大学文学部教授に就任。同大学文学部長も務めた。
1997年(平成9年)逝去。享年69。
略歴 編集
著書 編集
翻訳 編集
- H.レツヒエンペルク『天国地獄ヒマラヤ』(朋文堂、1959年)
- オイゲン・ギド・ランマー『世界山岳全集第3 青春の泉』(朋文堂、1960年)
- 『世界の名作11 トマス・マン 魔の山』(集英社、1964年)
- スヴェン・ヘディン『ヘディン中央アジア探検紀行全集 7 ゴビ砂漠の謎』(白水社、1965年)、のち新版
- トーマス・マン『世界の文学35 トニオ・クレーゲル』(中央公論社、1965年)
- E.ツィグモンディ『世界山岳名著全集 4 アルプスの高嶺にて』(あかね書房、1967年)
- ヘルベルト・ティッヒー『ヒマラヤ名著全集 5 無名峰の聳える国』(あかね書房、1968年)
- カール・ベトナリック『男の危機』(井上修一共訳 読売新聞社、1971年)
- フォンターネ『世界の文学 12 つくられた微笑』(中央公論社、1972年)
- ノヴァーリス『世界文学全集 22 青い花』(学習研究社、1978年)
- ディーレンフルト『ヒマラヤー第三の極地』(白水社、1978年)
- フランツ・グリルパルツァー『ウィーンの辻音楽師』(岩波文庫、1979年)、のち新版
- ハンス・カロッサ『世界文学全集25 ルーマニア日記』(学習研究社、1979年)
- シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』(「世界文学全集26」学習研究者、1979年/グーテンベルク21・電子出版、2022年)
- H.C.ベラン『ベランのパノラマ』(前島郁雄共訳 実業之日本社、1980年)
- ハインリヒ・ハラー『チベットの七年 ダライ・ラマの宮廷に仕えて』(白水社、1981年、新版1997年)
- 『セブン・イヤーズ・イン・チベット チベットの七年』(角川文庫、1997年)
- エーミール・シュルテス『スイス・パノラマ』(実業之日本社、1982年)
- ヘディン『シルクロード』(全2巻、岩波文庫、1984年)
- 『マウンテン・ワールド 第5巻 スイス山岳研究財団』(杉山雅夫共訳 小学館、1989年)
- 『マウンテン・ワールド 第7巻 スイス山岳研究財団』(山野井裕義共訳 小学館、1989年)
- ヘディン『さまよえる湖』(全2巻、岩波文庫、1990年)
- 本書「訳者あとがき」で、福田は本文には一度も出てこない「1600年周期」という誤った表現を用いて解説を加えており、多くの読者にヘディンの学説に対する重大な誤解を与えた。
- フランツ・アルトハイム『小説亡国論』(中央大学出版部、1996年)