競馬中継(けいばちゅうけい)はフジテレビが開局直後の1959年4月5日から1985年6月9日にかけて毎週日曜午後に放送された中央競馬(関東)の実況番組である。

概要 編集

フジテレビ開局当初は中山競馬場開催分のみ中継し、東京競馬場開催分はNETテレビが中継していた。その後、関西では京都競馬場阪神競馬場開催分とも関西テレビが放送していたこともあって関東でも関西テレビと同じ系列であるフジテレビに統一することになった。

番組は当初モノクロ放送だったが、1967年11月12日京都競馬場からの「第28回菊花賞」の中継(中継部分は関西テレビ制作)にて初のカラー放送を行い[1][2]、同年12月24日第12回有馬記念では、フジテレビの競馬に於いての自社中継制作に於いて、初のカラー放送行い[3][4]1969年4月には、完全カラー放送となる。

1980年代に入り番組のハードルを低くすることを目的とし、視聴者参加形式を取り入れた。視聴者に着順を予想させ的中者には賞品などをプレゼントしていた。この路線をさらに進め、バラエティの要素を取り入れた番組として1985年6月16日からはタイトルを『チャレンジ・ザ・競馬』に改めリニューアルした。

しかしその後、競馬もある程度一般層に定着したと判断、番組内容を「純粋にレースを見せる」方向へ変更し1987年4月5日から『スーパー競馬』にリニューアルする。さらに2008年1月6日からは『みんなのケイバ』に、2010年1月10日からは『みんなのKEIBA』に受け継がれ、当番組を含めこれまで5つのタイトルで放送されている。井崎脩五郎(当番組は1983年から出演)は、これらの5番組全てにレギュラー出演する唯一の人物である。同じく1983年から司会を務めている鈴木淑子も、『スーパー競馬』までは司会を継続し、その後も不定期にゲスト出演しているため、こちらも5番組全てに出演経験がある。

テーマ曲にはFNN系列のスポーツ番組テーマ曲であった、アール・エレソン・マッコイ作曲の『ライツアウトマーチ』が使われていた。

同番組のメインスポンサーとしては、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)セブン-イレブン石垣食品(関東)、北沢産業、酒田時計貿易、SOFT-99が挙げられる(関西テレビも同様)。

なお、1957年から1968年まで、曜日にかかわらず、勤労感謝の日宮中祭祀新嘗祭が行われる日)である11月23日秋の天皇賞が開催されていたが、当番組の放送曜日である日曜日以外の秋の天皇賞中継については、1963年より特別番組を設けて中継を行った[5]。また、1960年代後半には土曜日も中継を行っていた時期がある。

ローカル開催時は福島競馬場福島テレビ新潟競馬場新潟放送がそれぞれ技術協力(裏開催時は自社ローカルだが、主要重賞は同時ネット)していた。なお新潟県では1983年10月から新潟総合テレビがフジテレビ系フルネットとなったが、JRA側の都合により引き続きBSNが継続してネットを行った(1999年12月まで)。

歴代司会者 編集

歴代解説者 編集

実況担当アナウンサー 編集

すべてフジテレビアナウンサーが務めた

主なコーナー 編集

優駿回想
ナレーターは堺正幸
ジョッキーグラフティー・思い出の名馬
インタビュアーは鈴木淑子

アーカイブ番組 編集

フジテレビTWOで随時『中央競馬中継黄金伝説』と題した番組が組まれている。これは後継『チャレンジ・ザ・競馬』→『スーパー競馬』の初期の頃を含め、過去の中央競馬の名勝負・名場面を紹介した番組である。

脚注 編集

  1. ^ 日本中央競馬会総務部(編集)『日本中央競馬会20年史』1976年、185頁。 
  2. ^ 朝日新聞 1967年11月12日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ 優駿』1968年6月号、p.76
  4. ^ 朝日新聞 1967年12月24日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  5. ^ 1962年までは東京競馬場開催分はNETテレビ(現在のテレビ朝日)で中継されていたため、NETテレビで特別番組を設けて中継を行った。

関連項目 編集

フジテレビ 日曜午後の競馬番組
前番組 番組名 次番組
(なし)
競馬中継
(1959.4.5 - 1985.6.9)
チャレンジ・ザ・競馬
(1985.6.16 - 1987.3.29)