竹中 文博(たけなか ふみひろ)は、日本アナウンサーテレビプロデューサー実業家和歌山放送相談役・元社長・会長、毎日放送取締役常務取締役

来歴・人物 編集

1955年大阪テレビ放送(当時、朝日放送・毎日放送・さらに朝日新聞大阪本社毎日新聞大阪本社の4社合弁。1959年、MBS・毎日新聞が独自のテレビ局開局に伴い、朝日放送に吸収)のアナウンサーとして入社し、1958年に新日本放送(現:MBSメディアホールディングス)へ移籍。その後はテレビ制作一筋で『ヤングおー!おー!』、[1]よしもと新喜劇』など全国ネット関西ローカルのテレビ番組のプロデューサーを務めるほか、『八木治郎ショー・いい朝8時』の制作(チーフプロデューサー)を務めた。

テレビ制作から離れた後は1991年から取締役、1996年から3年間にわたり常務取締役を務めた。その後は和歌山放送社長に就任し、会長も務めた後、現職。

参考出典 編集

  • 『毎日放送50年史』毎日放送50年史編纂 委員会事務局編

脚注 編集

  1. ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.277-280「ヤングおー!おー!」、pp.281-284「お笑い歌手、月亭可朝」、pp.290-293「上方落語ブーム到来」