細川定禅

鎌倉時代末期~南北朝時代の武将

細川 定禅(ほそかわ じょうぜん)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将細川頼貞の子。

 
細川定禅
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 元応2年(1320年)?
死没 延元4年/暦応2年(1339年)?
別名 卿律師
幕府 室町幕府
主君 足利尊氏
氏族 奥州細川氏
父母 父:細川頼貞
兄弟 顕氏直俊定禅皇海
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生涯 編集

はじめ鶴岡若宮の別当であったが、兄の顕氏や従兄弟の和氏と共に足利尊氏に仕えた。建武2年(1335年)の中先代の乱では尊氏に従って功績を挙げた。その後、尊氏の命を受けて四国中国の国人衆を糾合し、翌建武3年(1336年)1月、尊氏の京都乱入と同時に攻め入り、武功を挙げている。同年2月、顕氏や和氏と共に再び四国に渡海し、同地の諸大名や国人衆を糾合した。5月の湊川の戦いでも武功を挙げている。

その後も畿内における南朝勢力と戦って多くの武功を挙げたが、延元4年/暦応2年(1339年)8月の記録を最後に史料から姿を消した。そのため、この時期に死去したとも言われている[1]が定かではない。

脚注 編集

  1. ^ 小川信 著「細川定禅」、安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、564頁。