羽生 操(はぶ みさお、男性、1891年5月20日 - 1976年8月21日[1])は、日本の作家、翻訳家。
鹿児島県種子島出身。鹿児島第一中学校卒後、代用教員を務め、第七高等学校造士館に入るが病気で中退。
1918年上京し、雑誌記者、旧制高校教授などを務める。
1928 - 1939年西欧、東南アジアなど世界を回り、1940年より創作・翻訳に従事[2]。
この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。