萬屋(よろずや)は、歌舞伎役者の屋号

三代目中村歌六の妻・小川かめの実家が市村座芝居茶屋をしていた小川吉右衛門の「萬屋」だったことに由来する。

1971年昭和46年)、初代中村錦之助ら小川家一門が播磨屋から独立するかたちで名乗りはじめた。

萬屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。

屋号 名跡 定紋 備考
よろずや
萬屋
なかむら かろく
中村歌六
きりちょう
桐蝶
五代目。
のち播磨屋に復帰。
[1]
なかむら かしょう
中村歌昇
三代目。
のち播磨屋に復帰。
[1]
なかむら ときぞう
中村時蔵
五代目以降。
なかむら ばいし
中村梅枝
三代目の途中で播磨屋から萬屋に変わった。
なかむら まんたろう
中村萬太郎
なかむら きんのすけ
中村錦之助
なかむら はやと
中村隼人
なかむら しどう
中村獅童
初代は播磨屋

脚注 編集

  1. ^ a b “歌六、歌昇の屋号が「播磨屋」へ ─新橋演舞場「秀山祭九月大歌舞伎」”. ニュースリリース(歌舞伎美人) (松竹株式会社). (2010年7月13日). https://www.kabuki-bito.jp/news/373 2022年2月16日閲覧。  "20歳の時(1971年)に、叔父の初代中村錦之助(1972年に萬屋錦之介と改名)らと供に萬屋に改名させていただきました。以来39年、萬屋として" by五代目歌六発言

関連項目 編集