藤井 勘一郎(ふじい かんいちろう、1983年12月31日 - )は、奈良県御所市出身の競馬の元騎手JRA栗東トレーニングセンター所属。

藤井勘一郞
パドックで周回する藤井
小倉競馬場パドック(2019年8月18日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県御所市
生年月日 (1983-12-31) 1983年12月31日(40歳)
身長 166.7 cm(センチメートル
体重 51.7 kg(キログラム
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東(フリー)
勝負服 胴水・そで青・白三本輪[1]
初免許年 2006年(豪州)
免許区分 平地
騎手引退日 2024年2月29日
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オーストラリアでデビューし、世界各国で騎乗した後にJRAの騎手免許試験に合格した「逆輸入ジョッキー」である。2022年の落馬事故により脊髄損傷の大怪我を負い、2024年に騎手引退を表明した。

オーストラリアではジョー・フジイの愛称で知られている(勘一郎の発音が現地の者には煩わしく、付けられたニックネームが「ジョー」〈Joe〉であったため)[2]

来歴 編集

騎手デビュー前 編集

漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公・両津勘吉が競馬好きという設定であったことから元々競馬に興味があったが、1995年のフジキセキが勝利した弥生賞をテレビで目にしたことで本格的に興味を持つようになった。京都競馬場阪神競馬場に父親に連れていってもらい[3]、次第に騎手を志すようになったのである[4]。憧れていたのは武豊ランフランコ・デットーリで、当時からビデオを見て騎乗を真似していた[5]

中学3年生のときにJRA競馬学校への受験を考えたが、体重が当時の入学要件を超えていたことから断念。同じ時期にオーストラリアでは日本より比較的容易にライセンスが取得できると知り、現地でちょうど日本人向けの競馬学校がオープンしたことも契機となり、1999年に15歳で単身渡豪した[3][6]

騎手時代 編集

海外拠点時代 編集

オーストラリアの競馬学校で2年間学び、2001年に17歳で見習騎手免許としてデビューした。シンガポールでも短期免許を取得し[7]、2007年3月23日にクランジ競馬場で行われたG3・チェアマンズトロフィーをTrigger Expressで優勝し、重賞初制覇。このとき藤井は残り50 m(メートル)地点でムチを落としてしまったが、手とかかとを使ってなんとかゴールまで持たせた[8]

2009年11月22日、いい夫婦の日にちなんで乗馬インストラクターの女性と入籍した[9]

2012年5月には韓国の短期免許を取得し、釜山慶南競馬場で騎乗を始めた。同年11月には釜山慶南競馬場で行われた慶尚南道知事杯、12月にはソウル競馬場で行われたグランプリを勝利した。外国人騎手による韓国G1制覇は、史上初の快挙であった[3]

2013年5月19日には、ソウル競馬場で行われたコリアンダービーを牝馬のスピーディファーストで勝利し、外国人騎手による初のコリアンダービー制覇を成し遂げている[10]。2013年11月に韓国通算100勝を達成。2013年は約470戦中、一度も制裁を受けず、年末に釜山慶南競馬場の「フェアプレー騎手賞」を受賞した[3]

2015年6月7日、JRA所属馬のエスメラルディーナトゥクソムカップに参戦。JRA所属馬が韓国競馬に参戦するのは、これが初めてのことであった。レースは好位から抜け出し、3馬身差をつけて優勝した[11]

2015年7月1日、地方競馬全国協会(NAR)は短期騎手免許を交付したと発表。免許期間は7月1日から9月30日までで、ホッカイドウ競馬の田中淳司厩舎に所属した[12]。同年7月15日、門別1Rをハッピーヴィータで制し、これが日本での初勝利となった[13]。2015年8月23日、札幌競馬場で行われたクローバー賞でコパノミライに騎乗し、JRA初騎乗を果たした。この期間で119鞍騎乗し、18勝を挙げた[14]

2016年9月11日に行われた第1回コリアカップでは、日本馬のクリソライトに騎乗。同じ日本勢のクリノスターオーとの一騎打ちを下し、6馬身差をつけて圧勝した。多くの日本関係者が見守る中での優勝は、中央競馬を目指す藤井にとって格好のアピールとなった[15]。これを受けて、同馬を管理する音無秀孝調教師からJBCクラシックでの騎乗依頼があり、急いで短期免許を申請した[5]。同年10月24日から2017年1月13日まで大井・荒山勝徳厩舎所属として期間限定騎乗を行い[1]、この期間で22勝を挙げた[16]。大井のみならず南関東4場[注釈 1]すべてで勝利を挙げた[17]

2017年4月1日から6月30日まで川崎(佐藤博紀厩舎所属)[18]、2018年10月8日から2019年1月7日までは大井(2回目、森下淳平厩舎所属)[19]で騎乗。

2018年9月9日にはコリアスプリントモーニンに騎乗し、勝利した[20]

同年10月11日、JRA騎手免許試験の第1次試験に6度目の受験で合格[21]。その後、第2次試験に臨み、2019年2月12日、騎手免許試験に合格したことが発表された。結果が出るや「やったー!めっちゃうれしい」と声を上げた[6]。過去5回不合格となったことについて、「公正競馬という観点から人間性が試されたと思う。海外騎乗での制裁証明書などをJRA側に提出した。JRAを目標にしてきた思いが伝わったのだと思う」と語っている[22]。同年3月1日より栗東トレーニングセンター所属のフリー騎手となり[23]横山賀一[注釈 2]以来、27年ぶり2人目の国外デビューのJRA日本人騎手、すなわち「逆輸入ジョッキー」となった[24]

JRA移籍後 編集

2019年3月2日に阪神競馬場でデビューし、初日から重賞チューリップ賞にも騎乗した。翌週の3月9日、阪神5R・新馬戦を14番人気シュッドヴァデルで制し、通算14戦目でJRA初勝利を掴んだ[25]。同年には菊花賞でGIに初騎乗した[26]

2020年3月20日、フラワーカップアブレイズで制しJRA重賞初制覇となった[27]

2022年4月16日、福島競馬第8競走での落馬事故により、第4胸椎脱臼骨折の重傷を負った[28]脊髄損傷によって胸から下の感覚がなくなり、以降は車椅子での活動を余儀なくされてはいるが、騎手復帰へ向けてのリハビリと並行して、オオバンブルマイの豪州遠征の帯同など積極的に競馬サークルで活動していた[29][30]

2024年2月14日、同年2月29日付での騎手の引退をJRAが発表した[31][32]。騎手免許の更新は行ったものの、2年経ってもリハビリの状況が改善しなかったため、騎手復帰を断念する決断を下したのであった。英語力を活かして大阪のホテルで海外からのゲストの接客などの仕事を始めつつ、将来的には競馬に携わる仕事を志している[29]

2月17日、京都競馬場のウイナーズサークルにおいて引退セレモニーが執り行われた。騎手クラブ会長の武豊、親交の深いミルコ・デムーロからは花束が手渡された[33]。武は「一緒に仕事ができればうれしい」とエールを送った[34]。JRA通算は42勝、騎乗経験のある国は13か国にも上った。

おもな騎乗馬 編集

騎乗成績 編集

中央競馬
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2015年8月23日 2回札幌2日10R クローバー賞 コパノミライ 13頭 11 9着
初勝利 2019年3月9日 1回阪神5日5R 3歳新馬 シュッドヴァデル 15頭 14 1着
重賞初騎乗 2019年3月2日 1回阪神3日11R チューリップ賞 ブランノワール 13頭 5 6着
重賞初勝利 2020年3月20日 2回中山7日11R フラワーカップ アブレイズ 14頭 12 1着
GI初騎乗 2019年10月20日 4回京都7日11R 菊花賞 カリボール 18頭 9 18着

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 大井船橋浦和川崎
  2. ^ ニュージーランドで騎手免許取得後、1992年JRA合格

出典 編集

  1. ^ a b 藤井勘一郎騎手の期間限定騎乗について』(プレスリリース)東京シティ競馬、2016年10月13日https://www.tokyocitykeiba.com/news/31384/2024年2月16日閲覧 
  2. ^ 公式サイト
  3. ^ a b c d 藤井勘一郎(インタビュー)「第77回 - 藤井勘一郎さん(競馬騎手)」『コネスト』、韓巣https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=6748 
  4. ^ 藤井勘一郎(インタビュアー:netkeiba編集部)「【日本馬で韓国重賞制覇】 「人馬とも現地のスタイルに」海外経験で得た強みと展望 /藤井勘一郎騎手インタビュー(前編)」『netkeiba.com』、ネットドリーマーズ、2015年9月4日https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=31229 ( 要購読契約)
  5. ^ a b 藤井勘一郎(インタビュー)「逆輸入ジョッキー藤井勘一郎騎手 今後は何処へ」『競馬ラボ』、ドゥイノベーション、1頁、2017年1月29日https://www.keibalab.jp/column/interview/1615/2024年2月17日閲覧 
  6. ^ a b 松永和彦「27年ぶり「逆輸入ジョッキー」誕生 6度目の挑戦」『朝日新聞朝日新聞社、2019年2月12日、夕刊、10面。
  7. ^ 長谷文「日本で駆ける夢 豪で騎手、御所出身の藤井さん 海外のレースで実力磨く」『朝日新聞』朝日新聞社、2008年1月27日、朝刊 奈良全県、32面。
  8. ^ Lee, Michael; Adams, Jo (2007年3月24日). “Burridge pulls the right Trigger in Chairman's Trophy”. http://www.thoroughbrednews.com.au/news/story/burridge-pulls-the-right-trigger-in-chairmans-trophy-28496?section=Singapore 2024年2月15日閲覧。 
  9. ^ 藤井勘一郎 (2009年11月25日). “◇ Joe the Jet ◇ -藤井勘一郎オフィシャルウェブサイト-”. p. 22. 2024年2月15日閲覧。
  10. ^ 藤井騎手が韓国ダービー制覇」『日刊スポーツ日刊スポーツ新聞社、2013年5月19日。2015年5月18日閲覧。オリジナルの2013年6月8日時点におけるアーカイブ。
  11. ^ a b エスメラルディーナV/韓国トゥクソムC」『極ウマ・プレミアム』日刊スポーツ新聞社、2015年6月7日。2024年2月16日閲覧。
  12. ^ 藤井勘一郎騎手の期間限定騎乗について』(プレスリリース)北海道軽種馬振興公社、2015年7月15日http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=00000038172024年2月16日閲覧 
  13. ^ 藤井 勘一郎騎手日本初勝利』(プレスリリース)北海道軽種馬振興公社、2015年7月15日http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=0000003832&p_ym=2015072024年2月16日閲覧 
  14. ^ 藤井勘一郎(インタビュー)「「逆輸入ジョッキー」の挑戦 2週連続ロングインタビュー(上)」『競馬ラボ』、ドゥイノベーション、2015年9月18日https://www.keibalab.jp/column/interview/1504/ 
  15. ^ a b 野元賢一コリア杯は日本勢圧勝 韓国競馬、反転の契機に」『日本経済新聞日本経済新聞社、2016年9月16日。2024年2月17日閲覧。
  16. ^ 藤井勘一郎(インタビュー)「逆輸入ジョッキー藤井勘一郎騎手 今後は何処へ」『競馬ラボ』、ドゥイノベーション、2頁、2017年1月29日https://www.keibalab.jp/column/interview/1616/2024年2月17日閲覧 
  17. ^ 南関東4場全てで勝利!日々存在感増す“勉強家”藤井勘一郎」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2019年2月19日。2024年2月16日閲覧。
  18. ^ 藤井 勘一郎騎手の南関東地区競馬場における期間限定騎乗について』(プレスリリース)川崎競馬、2017年3月30日。 オリジナルの2017年4月2日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171014180409/https://www.kawasaki-keiba.jp/news/20170330_2.html2024年2月16日閲覧 
  19. ^ 藤井勘一郎騎手の期間限定騎乗について』(プレスリリース)東京シティ競馬、2016年10月13日http://www.tokyocitykeiba.com/news/41715/2024年2月16日閲覧 
  20. ^ a b 【コリアスプリント】モーニンが海外G1初制覇 藤井勘一郎「馬が頑張ってくれた」」『デイリースポーツ神戸新聞社、2018年9月10日。2024年2月17日閲覧。
  21. ^ モレイラ1次試験突破ならず 唯一の合格者は藤井「ワンステップ進むことができた」」『デイリースポーツ』神戸新聞社、2018年10月11日。2024年2月16日閲覧。
  22. ^ 藤井勘一郎の野望 ここが新たなスタート「日本馬で世界挑戦」」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2019年2月19日。2024年2月16日閲覧。
  23. ^ 平成31年度 新規騎手「藤井 勘一郎」』(PDF)(プレスリリース)JRAオリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブhttps://warp.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/11628949/jra.jp/news/201902/pdf/021201_10.pdf 
  24. ^ 藤井勘一郎「感謝」史上2人目のJRA“逆輸入”ジョッキー誕生」『デイリースポーツ』神戸新聞社、2019年4月13日。2024年2月16日閲覧。
  25. ^ 【阪神5R新馬戦】藤井がJRA初勝利 ブービー人気のシュッドヴァデルで制す」『スポーツ報知報知新聞社、2019年3月9日。2024年2月17日閲覧。
  26. ^ 【菊花賞】JRA・G1初騎乗の藤井勘一郎のカリボールはしんがり負け「距離が長かった」」『スポーツ報知』報知新聞社、2019年10月20日。2024年2月16日閲覧。
  27. ^ a b 有吉正徳(有吉正徳の競馬ウィークリー)「逆輸入騎手」がJRA重賞初V」『朝日新聞』、2020年3月27日、夕刊、8面。2024年2月17日閲覧。
  28. ^ 太田尚樹「落馬で大けが藤井勘一郎の挑戦 リハビリをポジティブに「フジイチャレンジ」世界中から応援」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年6月14日。2024年2月17日閲覧。
  29. ^ a b 藤井勘一郎騎手が引退へ 落馬負傷から約2年の決断も前向く「FUJIIチャレンジ第2章にご期待ください」」『UMATOKU』報知新聞社、2024年2月14日。2024年2月17日閲覧。-
  30. ^ 平松さとし大事故から約2年、ついに復帰を諦め、引退を決断した藤井勘一郎騎手の現在と今後」『Yahoo!ニュースYahoo! JAPAN、2024年2月14日。2024年2月17日閲覧。
  31. ^ 藤井 勘一郎騎手が引退』(プレスリリース)JRA、2024年2月14日https://www.jra.go.jp/news/202402/021402.html2024年2月18日閲覧 
  32. ^ 太田尚樹「落馬で脊髄損傷の“逆輸入騎手“藤井勘一郎が今月末で引退「1歩踏み出したい」」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2024年2月14日。2024年2月14日閲覧。
  33. ^ 藤井勘一郎騎手の引退式を実施 武豊騎手、デムーロ騎手から花束」『サンスポZBAT!産経新聞社、2024年2月17日。2024年2月18日閲覧。
  34. ^ 東スポ競馬編集部藤井勘一郎が〝思い出の地〟京都競馬場で引退セレモニー 「競馬は素晴らしい世界であり、私が感じたように多くの学びや喜びが待っています」」『東スポ競馬』東京スポーツ新聞社、2024年2月17日。2024年2月18日閲覧。

外部リンク 編集