藤原惟規

平安時代中期の貴族 (974?-1011)

藤原 惟規(ふじわら の のぶのり/これのぶ[1])は、平安時代中期の貴族歌人藤原北家良門流越後守藤原為時の子。紫式部の同母兄もしくは同母弟。

 
藤原惟規
時代 平安時代中期
生誕 天延2年(974年)?
死没 寛弘8年(1011年
官位 従五位下式部丞
主君 一条天皇
氏族 藤原北家良門流
父母 父:藤原為時、母:藤原為信の娘
兄弟 惟規惟通定暹紫式部藤原信経
藤原貞仲の娘
貞職経任
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経歴 編集

一条朝にて、文章生を経て、長保6年(1004年)ごろから寛弘2年(1005年)ごろまで少内記を務める。その後、兵部丞式部丞を歴任する傍らで六位蔵人を兼ね、一条朝末の寛弘8年(1011年)に従五位下に叙せられた。

叙爵後は散位となり、越後守に任じられた父・為時に従って越後国に赴くが現地で卒去

勅撰歌人として、『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集和歌作品10首が採録されている[2]。家集に『藤原惟規集』がある。

逸話 編集

幼少時に、姉妹の紫式部とともに為時について書(漢籍)を学んだ。しかし、惟規は暗誦することができず、紫式部は暗誦して見せたため、父・為時は式部が男でないことが残念だと思った、という逸話がある[3]

官歴 編集

系譜 編集

尊卑分脈』による。

玄孫に平清盛の腹心として権大納言まで昇進した藤原邦綱がいる。

関連作品 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『尊卑分脈』
  2. ^ 『勅撰作者部類』
  3. ^ 紫式部日記
  4. ^ a b 『御堂関白記』
  5. ^ 『蔵人補任』

参考文献 編集