藤原 雄敏(ふじわら の おとし)は、平安時代初期の貴族藤原京家従三位藤原継彦の子。官位従四位上兵部大輔

 
藤原雄敏
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 承和15年2月4日848年3月12日
官位 従四位上兵部大輔
主君 淳和天皇仁明天皇
氏族 藤原京家
父母 父:藤原継彦
兄弟 広敏、清敏、雄敏貞敏
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経歴 編集

天長2年(825年従五位上、天長5年(828年正五位下と、淳和朝で順調に昇進し、承和元年(834年)迄に従四位下に至っている。淳和朝では『令義解』編修にも参画した。また、承和元年(834年)淳和上皇の第三皇女・貞子内親王薨去した際に遣わされて、葬儀の監護を行っている[1]

仁明朝では、勘解由長官を務めた後、承和5年(838年)従四位上、承和6年(839年兵部大輔に叙任された。承和13年(846年)仁明天皇が紫宸殿に出御して酒宴が開かれた際、特別に召されて琵琶の演奏を行っている[2]。承和15年(848年)2月4日卒去。最終官位散位従四位上。

官歴 編集

六国史』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本後紀』承和元年5月22日条
  2. ^ 『続日本後紀』承和13年4月1日条

出典 編集